コロナのロックダウンは終わっていたけれど、まだソーシャルディスタンスが大事だった頃のことです。

 

用事があってドイツに行き、ある夜、ビアガーデンで夕食を食べることにしました。

 

当時はまだ感染対策が厳しく、テーブルは一つおき。


知らない人と気軽に会話するような雰囲気ではありませんでした。

 

そんな中、少し離れた席に、若い夫婦と赤ちゃんが座っていました。

 

泣き続ける赤ちゃんと、急いで食べる両親

赤ちゃんは、ずっと泣いていました。

 

お母さんが食事をしている間は、お父さんが抱っこする。
お父さんが食べる番になると、お母さんが抱っこする。

 

二人は交代で食事をしていました。

 

料理をゆっくり味わう、という感じではありません。
「とにかく早く食べ終わらないと」という空気でした。

 

その光景を見たとき、夫と私の頭に同時に浮かんだのは、昔の自分たちの姿でした。

 

中国で子育てしていた頃のこと

私たちの息子は中国で生まれました。

 

中国では、赤ちゃんの世話を家族みんなで支えることが多く、外食に行くと、おじいちゃんやおばあちゃんが赤ちゃんを代わる代わる抱っこしている光景をよく見かけました。

 

その間、お父さんやお母さんはゆっくり食事を楽しむことができます。

 

でも、私たちには中国に家族はいませんでした。

だから外食に行くと、息子を抱っこしながら、夫婦で交代して食事をしていました。

 

どちらかが抱っこして、もう一人が急いで食べる。
食べ終わったら交代する。

 

「おいしいね」とゆっくり話す余裕は、あまりありませんでした。

 

ビアガーデンで赤ちゃんをあやしているあの夫婦を見たとき、中国で子育てをしていた頃の自分たちの姿と重なったのです。

 

 

本当は声をかけたかった

もしコロナの時期じゃなかったら、私はきっと声をかけていたと思います。

「食事が終わるまで、赤ちゃんを抱っこしていましょうか?」

 

でも、その頃はまだ人との距離を取ることが求められていました。


知らない人と気軽に会話をするような状況ではありませんでした。

 

それに、他人の赤ちゃんを抱っこしましょうか、なんて言っていいのかもわかりません。

助けたいけれど、助けられない。

 

コロナの時期には、そんな場面がたくさんありました。

 

紙ナプキンで折った、小さな折り鶴

そこで私は、テーブルにあった紙ナプキンを手に取りました。

折り紙の要領で、鶴と花を作りました。

 

そして夫に頼んで、その夫婦のテーブルに持っていってもらいました。
夫はドイツ語が話せるので、自然に声をかけられると思ったからです。

 

すると、不思議なことが起きました。

赤ちゃんが、泣き止んだのです。


たまたまだったのかもしれません。

でも、赤ちゃんをあやしていたお父さんとお母さんの表情が、少しだけやわらいだように見えました。

 

子育てをしていると、ほんの小さな優しさが救いになる

私たちは先にお店を出ました。

 

少し離れたところから手を振ると、ご両親も笑顔で手を振り返してくれました。
そして、お母さんが軽く頭を下げてくれました。

 

私は直接会話をしたわけではありません。

 

でも、子育てをしているとき、周りの人のちょっとした優しさに救われることがあります。

 

席を少し広くしてくれたこと。
「大丈夫ですよ」と言ってくれたこと。
赤ちゃんに微笑んでくれたこと。

 

そんな小さなことが、驚くほど心を軽くしてくれることがあります。

 

泣いている赤ちゃんに優しい社会でありますように

レストランやカフェで、泣いている赤ちゃんを見かけることがあります。

 

困っているお父さんやお母さんもいるかもしれません。

 

そんなとき、「うるさいな」と思う社会よりも、
「大変だよね」と少しだけ優しい目で見られる社会だったらいいなと思います。

 

子どもは、みんなで育っていくもの。

 

ほんの少しの思いやりが、誰かの一日を救うこともあります。

 

泣いている赤ちゃんと、頑張っているお父さんやお母さんに、
少し優しい社会でありますように。

 

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