DEEP SLEEP TO LOSE
天山広吉
VS
飯塚高史
※試合の決着は絞め技等により相手を失神させた場合のみとする。
フォール、ギブアップ、リングアウト決着はなし。反則は通常ルール。
第3試合は、天山と飯塚の泥沼遺恨決着戦です。
7月の札幌でも棚橋vs飯塚戦で行われ、自分としては大会ベストバウトに推したいほどの好勝負となりました。
飯塚はスリーパー、天山はアナコンダ・バイスで締めあげる展開になるでしょう。
この2人の因縁は、遡ること約2年半前から続いています。
08年頭にGBHを追放された天山が、本間や外道らと不透明決着の試合を繰り返しては、試合後にGBHの面々から集団リンチに遭う光景が連日のように繰り返されていました。
そんな折、ボコボコにされる天山の救出に現れたのが当時は正規軍にいた飯塚高史でした。
当初は「あんなやつ知らん。シカト」と無下に扱っていた天山でしたが、次第に2人の友情は深まり、最終的には天山の口から「ヘルプして」という言葉が出るまでに至りました。
その後、2人は“打倒GBH”掲げ、友情タッグとして活動していきます。
そしてついに2人は当時のタッグ王者である真壁&矢野組への挑戦権を手にします。
場所は大阪府立体育会館第一競技場。ここで事件が起きます。
試合の方は、真壁&矢野組が超悪党ファイトを展開。天山が延々とつかまってしまいます。
普段であれば、飯塚が助けに入るのですが、飯塚が天山に手を貸す場面が一向に訪れません。
血にまみれ、どんどん疲弊していく天山でしたが、ここは流石の不屈の猛牛です。意地を見せて、GBH勢をなぎ倒します。ここで、ようやく青コーナーの飯塚にタッチ!・・・と思いきや、なんと飯塚はリング下へ降りてしまいます。
天山とのタッチを拒否したのです。
さらに、GBH総出で痛めつけられる天山の背後からスリーパー!
飯塚の裏切りが決定的となった瞬間でした。
府立のリングサイドに響く、現役時代にタッグを組んでいた山崎一夫さんの「どうしたー!?飯塚ぁぁぁ!!!」という叫びが非常に印象的でした。
その後、飯塚は頭を剃り上げた現在の風貌に変わり、アイアンフィンガー・フロム・ヘルを使い毎日のように反則決着試合をしては、天山を袋叩きにする日々です。
飯塚を仕留めきれない天山に、タッグを組んでいた蝶野や長州、ライガー、はたまた同世代の永田までも天山に対して辛辣なコメントを出すようになり、不屈の猛牛はいつしか孤独の猛牛へとなり果ててしまいました。
毎試合、飯塚との完全決着戦をアピールする天山にGBHのボスである真壁が、セコンドがリングを取り囲み、リングアウトを防ぐランバージャックデスマッチでの飯塚とのシングルマッチを提案。
7・8後楽園のメインイベントで天山vs飯塚の完全決着戦が組まれました。
そのときの煽りVと試合の映像がこちらです。
煽りV
試合映像
今回の記事の本筋とはあまり関係ないですが、最後の一幕は自分の中では「プロレス史上で最も美しい瞬間」です。
この試合を経て、事態は収束に向かうことなく、さらに拡大。
プロレス史上“最終決着戦”と唄った試合が、最後になったことなど片手で数えられるほどですから。
宇宙大戦争が良い例です。
天山は同年10月には、飯塚とチェーンデスマッチで対戦し、敗北。
2人の遺恨は深まる一方です。
その後、天山は欠場と復帰を繰り返し、復帰の度に飯塚が襲撃する流れが幾度も起き、天山は長期欠場へと突入するのです。
そして2010年――。天山は遂に帰ってきます。そちらの映像も載せておきます。
これが11月に若手主体興業『NEVER』新木場大会で行われた復帰戦の模様です。
正直、人によっては復帰戦の相手や場所など賛否はあると思いますが、自分は思わず泣いてしまいました。
復帰後の天山はシリーズ帯同とはいきませんでしたが、12・11大阪・12・12名古屋で本隊興業にも復帰。
1年3か月ぶりの復帰ということで、どちらの会場も天山を暖かく迎えましたが、もう一人天山の復帰を心待ちにしていた男がいました。
無論、飯塚です。
天山の試合後に現れては襲撃を繰り返しては、締め落とす日々。
終いには、放送席で解説をする天山を休憩時間中に襲うという暴挙に出ます。
この遺恨決着の場として新日本は東京ドームという舞台に、DEEP SLEEP TO LOSEというルールを用意します。
飯塚は20年を越えるキャリアで、常に必殺技として磨いてきたスリーパーを、天山は代名詞ともなったアナコンダバイスを――。
どちらが締め落とし、どちらが締め落とされるのか。
非常に分かりやすいルールではありますが、この2人には2年以上も引きずった因縁があるのです。
極悪狂乱坊主が勝つか、それとも猛牛が蘇るか。
俺たちは、元気な天山を見たい!!