本日は後楽園ホールで健介オフィスの『佐々木健介デビュー25周年記念大会』を見てきました。



健介オフィスの試合を見るのは、地方に力を入れて興業を展開している関係から、初めてでした。



ただ、所属選手の多くが参戦しているNOAHにて彼らの闘いは見たことはあります。



しかし、NOAHでの戦いぶりと今日見た戦いぶりにはいささか異なる趣があるように感じました。



出している技などの動きには違いこそ無いものの、NOAHで健介たちが見せる高度で濃厚な攻防と言うよりかは、基本のプロレス的動作の持つ迫力や説得力をきちんと見せようとしていた感覚を受けました。



プロレス村ではすでに定説として認知されていますが、健介オフィスの興業がターゲットにしている客層は家族連れ―さらに言うと子供―などのライト層です。

実際、この日も客席には子供たちを連れた家族連れが多くいました。


反面、NOAHはマニア層をターゲットにしている訳では決してないのですが、観戦歴の長いファンであっても唸るような細かい技術と、様々な豪快な技により構成される濃厚なプロレスを提供する団体です。

現代のプロレス団体全体に言えることですが、特にNOAHは“プロレスファンが喜ぶプロレス”を見せているように感じます。

“プロレスファンが喜ぶプロレス”とは、プロレスにおける暗黙のルールや常識を飛び越えるプロレスです。場外での危険な技や見たことも無い飛び技などなど・・・今までの経験に無い動きを見たときなどにプロレス者はカタルシスを覚えるのです。



そういうプロレスがメインになった中で、健介オフィスはそれとは逆の“プロレスらしいプロレス”の方へ向かっているのではないでしょうか。


健介オフィスは北斗晶・佐々木健介の絶対的な知名度を生かして、主婦を窓口にして家族連れにターゲットを絞ってプロレスというジャンルそのものの窓口にもなろうとしています。



客席の多くを観戦経験の少ない人が占める場合、リング上に期待されるのは“分かりやすさ”です。



しかし、“分かりやすいプロレス”を展開するのは実に難しいことです。


一つ一つの技に説得力を持たせなくてはならず、説得力を持たせるために技の効く箇所・威力などを見ている人に届けなくてはなりません。


もっと言えば、肉体や風貌、声までもが客席に攻防を届ける上では重要な要素となります。



これらを高いクオリティで発揮できる選手でないと、意図する攻防・スタイルの100%を伝えきるのは困難になります。


健介ほどの実力とキャリアから来る引き出しの多さを持ってすれば実現は可能ですが、健介オフィスはその所属選手のほとんどがキャリア5年以内の若手です。



駆け出しの選手がシンプルな攻防で客席を沸かせるのは本来ならば難しいことなのです。


この日、宮原に課せられたのは、まずは『大会全体を締めくくるにふさわしい活躍』、そして『健介オフィスの未来を見せること』です。



前者はほぼクリアできたことと思います。では、後者はどうだったでしょう。



『未来を見せること』というのは『潮崎との実力差に対するファンの認識を改めさせること』とイコールでつながると考えます。


これらのミッションをクリアする上に、『“プロレスらしいプロレス”を見せながら』という“縛り”が加えられます。


これは並大抵のことではありません。ただでさえ後楽園大会のメインを務めるというプレッシャーがあるにもかかわらず、大会の副題には「佐々木健介25周年記念大会」とついており、当の健介本人は第1試合に出場しており、すでに試合を終えている。


様々な要素が宮原の首を絞めます。


先述の通り、大会を締めくくるのにふさわしい戦いは出来たと思います。


では、健介オフィスの未来を見せる=潮崎に肉迫する戦いを見せることはできたのか。



正直言うと、この点についてはまだまだだったと思います。



宮原が優勢だったのは試合開始直後くらい。劣勢を覆しかけたのは、終盤の丸めこみ狙いの場面くらい。



終始、潮崎が試合をリードし、重み十分の攻撃を浴びせ圧倒します。



確かに、潮崎相手に20分以上も良く頑張りました。しかし、潮崎を本当の意味で脅かすことができた場面はほとんど皆無でした。


特に終盤は、宮原はふらふらになっており、ブートを顔の高さに打つのもままならぬほどでしてが、反面、潮崎はまだまだいけるようで、チョップに代表される技の的確さも落ちることがありませんでした。



これが2人の実力差と言ってしまえばそれまでですが、それを限りなく0にすることが宮原には求められていたのです。



しかし、まだまだキャリアも浅く、年も若いので挽回のチャンスはレスラーを続けている限りいくらでも訪れます。「今日の成功のためにあの潮崎との1戦があったのだ」と言えるくらいになってほしいと思います。



そして、興業全体を通じて感じたのが“ハードとしての成熟度”についてです。


ソフト(=中身)にあたるプロレスの部分は申し分のないものでしたが、ハード(=段取りや演出など)の部分はまだまだ成熟しきっていない面が見えてしまいました。



特に第2試合のバトルロイヤルなどでは、当初は12人参加のはずでしたが、何故か卍丸がおらず何の説明も無いままに11人参加でスタート。オーバー・ザ・トップロープルールのはずが、セカンドロープをくぐって落ちた選手も失格になったケースもありました。


たしかに卍丸がいようがいまいが大勢にはそれほど影響は無いかもしれませんが、せめてルールの徹底はお願いしたいところです。



最近は大相撲の八百長問題で嫌な形でプロレスに日が当たることがあるそうです。そういう目は除けるためにもルールくらい―失格などの重要なものは特に―は徹底させてほしいものです。



少ない人数で大変だとは思いますが、健介オフィスは新規顧客開拓の面でプロレス界にとって非常に重要な面を有しています。ですので、プロレスの入り口としてふさわしい団体であってほしいのです。




ユニオン新宿FACE大会に行ってきました。



自分にとっては初の新宿FACEでしたが、非常に見やすかったです。



試合の方は、年初の後楽園大会とは違ってユニオンらしさが全開となった興業でした。



タイガースマスクと富永の試合はなかなかに趣深い闘いでした。



インディーのお仕事でも放送されないヴァージョンのタイガースマスクがそこにはいました。



それに対応していく富永の力はガクプロで培ったものでしょうか。



腹を抱えて笑いました。



そして、前日になって来日がキャンセルになった大家の対戦相手であったルフィストの代役ですが、なんと出てきたのは、アジャ・コング!


説得力という点では、女子プロ界随一のアジャ様の攻撃が容赦なく大家の肉体に刻まれていきます。完膚無きまでにペラペラにされていました。


そして、メインの石川vs菊地戦ですが、またも泣かされました。



戦前の煽りVだけでも泣けたのに、菊地の生きざまをそのままリング上に投影したかのような闘いぶりに涙が出ました。


自分は菊地毅というレスラーの全盛期を知りません。


自分は菊地が超世代軍を結成した年に生まれました。


ですが、当時の全日本が、日本プロレス界でどれほど崇高な立場に身を置いていたのかは十分に分かっているつもりです。



その後、NOAHへと移籍し、フリーとなり現在に至るわけですが、日本プロレス界のトップブランド団体に身を置いていた選手であることは揺るぎない事実です。



そんな選手が「プロレスをしたい」という一念だけで、過酷な環境でアルバイトをし、インディペンデントのリングでプロレスラーとして生きています。


これだけで涙が出ます。



菊地は色ものと扱われようが何と扱われようが、どこまでも貪欲にプロレスを求めます。


ふざけているのではなく、どこまでも一途にプロレスと向かい合っているだけなのです。それがたまたま奇異にうつってしまうのは、そういう星のもとに生まれているということであり、レスラーとしての一つの才能です。



それが、近頃の祭り状態の理由でもあります。


煽りVでコメントしていた和田京平レフェリーも語っていたように、菊地は「真面目」なのです。



たしかに他人の目からはふざけているようにしか見えません。実際、自分の目にもそう映りました。



でも前述のように、菊地は心からプロレスを求めているだけだったのではないでしょうか。



内館牧子氏の男色ディーノへのコメントではありませんが「ただの色ものならすぐに消えている」のです。



どこまでも真面目にプロレスに食らいつく菊地だからこそ、見ている人は応援するのです。



その、菊地のプロレスへの思いを見せる意味でも、今日の石川戦は昨年後半から続く菊地祭の集大成だったのかもしれません。



フィジカル面では圧倒的に石川の方が有利。



普通ならば、菊地の様なベテラン選手はキャリアに裏打ちされたテクニックで翻弄し、一瞬の切り返しなどで勝利をもぎ取るような戦術をとるべきなのですが、そんなことでは“火の玉小僧”の名が廃ります。



身長にして20cm以上、体重にして30kgも上回る相手の重いエルボーを、受け続け、首元にどす黒い内出血を見せても立ちあがります。



たとえ脳天からマットに串刺しにされても、あばらが捩じ切れそうなほどにキツいコブラツイストをかけられても音を上げません。



何度跳ね返されても立ちあがる―――激しさにかけては世界一であった超世代軍~四天王時代全盛の王道マットを生き抜いてきた菊地毅がそこにはいました。



最後に、あの頃の菊地の試合を間近で裁き続けていた和田京平が、石川のスプラッシュ・マウンテンでぺしゃんこになった菊地を看取るように3回マットを叩いたシーンが非常に印象的でした。



この試合、自分はぼろぼろに泣いていました。煽りVにてプロレスをできることに幸せを感じると語った菊地を見て。ズタズタにされる菊地を見て。あの石川の巨体を見事な弧を描いて投げ切った菊地を見て。何をされても2で肩を上げる菊地を見て・・・。



見ているファンはこういうところにレスラーの強さを感じ、手をたたき、声援を送り、涙を流すのです。



試合後の会場は何とも言えない充足感と感動の空気に満ちていました。



しかし、そこで終わらせないところがユニオンの凄いところ。見ている人に油断も隙も与えません。



石川が大会を締めようとしたところで、突如の矢郷軍の乱入。


スーザン代表をディーヴァとして世界に送り出すためにと、まさかの“スーザン親衛隊”結成!円華が24時間専属秘書!昼でも夜でも円華はいける!!などなど見ているこちらがハラハラしてしまうような決定事項を次々と発表していきます。



当然、ユニオン軍はスーザン代表を渡すわけもなく、次回の新木場大会での6人タッグが決定。スーザン・コントラ・スーザンになるのでしょうか...



そして、ユニオン軍は諸橋が最初に名乗りを上げ、それに石川も続き、さらに諸橋がユニオンのメンバーに奮起を促す中、登場したのは、なんと菊地!!



三四郎と入江のTKGメンバーに押さえられながらも、リングまでたどり着き、ユニオン正規軍への“レンタル移籍”を懇願。



TKG総帥の三四郎もあっけにとられながらも、それを了承。



そんな感じで、石川&諸橋&菊地vs矢郷&真霜&円華が決定しました。



その後に石川が呟いた「僕と菊地さんが作った感動物語がこんな結末で終わっていいんですか!?」に客席にいた誰もが共感せざるを得ませんでした。



しかし、良くも悪くも、これがユニオンの不思議な磁場なのです。これをカオスと言わずに何と言いましょうか。



これだけ滅茶苦茶なことをやっていても、やはり目を離すことはできません。




これからのユニオンにも引き続き注目です。

1/30は昼にDDT、夜に新日本と後楽園ダブルヘッダーでした。


今回はDDTを観ての感想を書き記します。



今大会の目玉は何と言ってもメインの東郷vsアントーニオ本多のKO-D無差別級選手権王座統一戦。



タイトルマッチであるよりも、今年の6月に国内引退を控えるディック東郷と愛弟子であるアントンがシングルマッチで向かい合うという方に注目が集まるシチュエーションでした。



約4年半前のマッスルハウス2にてアントーニオ本多とディック東郷の遠い親戚にあたるフランチェスコ・トーゴーとのシングルマッチが組まれたことがあります。


この試合後にアントンはディック東郷への自身の思いの丈を綴った手紙を読みます。


東郷がマッスルの中の登場人物の一人でしかなかったアントンをDDTの本隊にも登場させてくれたこと、落ち込んでいる時に励まされたことなど東郷への思いを赤裸々に語った内容で、リングサイドで聞いていたマッスル坂井が本気で泣いてしまうほどでした。



アントンは「出会っていなかったらプロレスをここまで好きになっていなかった」と語るほどに東郷の人柄とレスリングに心酔しており、東郷がDDTの選手たちに練習を教えていたときは、東郷曰く「誰よりも熱心」に取り組んでいたそうです。


そして、昨年2月に行われた村田晴郎氏と鈴木健.txt氏がプロデュースする神実況トークライブにアントンがゲストとして呼ばれた際に、シークレットゲストとして現れた東郷が、4年の時を経てお返しの手紙を読みました。



「アントンよくなったな」という声を聞くと弟子の一人だから嬉しかったこと、いつもアントンの成長を間近で見ていたことなどを語り、これにはアントンも大泣きしてしまいました。



手紙を読み終えた東郷は「自分の引退時期はもう決めている。それほど長くはない」と語り、そして「その前にもう一度シングルマッチをしたい」と続けました。



その2ヵ月後に東郷は2011年の6月での国内引退を発表しました。この瞬間から東郷とアントンのシングルマッチ実現へのタイムリミットが設定されたのです。


しかし、東郷とアントンは師弟関係ということもあり、同じリングに上がる時は、同じコーナーに立つことが多く、なかなか闘いの機運というのは高まりません。


しかし、東郷の国内引退発表から半年以上経った11月3日、東郷はKO-D無差別級への挑戦をアピールし、鶴見GMにより受理されたため、14日に行われるHARASHIMA(王者)vs佐藤光留(挑戦者)の防衛戦の勝者への挑戦が決定します。


そして、11月28日の後楽園大会にて14日の防衛戦を激戦の末に制した佐藤光留との防衛戦に臨むことになりました。これもまた超がつくほどの激しい試合になり、最後は東郷が場外へのシルバーブレットからぺディグリー、セントーンとつないで勝利。



試合後のリング上でマイクを持った東郷は「引退するまで俺がみんなの壁になる。このベルトに挑戦したいやつはいつでも名乗りを上げろ!」と叫びます。



そのマイクが終わるか否かのタイミングでリングに滑り込んできた選手が一人。


アントンです。


アントンは東郷に「自分はディック東郷対アントーニオ本多、K-OD無差別級選手権試合をやるために・・・生まれてきました」「史上最高のレスラーのひとりである、あなた!そのあなたを超えて史上最高のレスラーの一人なる・・・それが、俺の、人生です!」と今にも泣きそうな顔で叫びました。


この試合を自分は会場で観ていたのですが、試合自体で泣き、その後の2人のやりとりでまた泣きました。



顔をぐしゃぐしゃにしてマイクを持つワンショルダーのアントンはとても変でしたが、最高にかっこよかった。



2人の防衛戦は12月26日、2010年最後の後楽園大会に決まりました。



しかし、レスリングの神様はここで余計なちゃちゃを入れてきます。



大会のわずか5日前に東郷の負傷欠場が発表されたのです。


カードはやむなく変更。アントンとGENTAROの暫定王者決定戦に変更となりました。



もしもアントンが敗れれば、そのために生まれてきたとまで語った東郷との王座戦は永遠に実現しないかもしれないのです。



そして超満員札止めの観衆で埋まった年内最後の後楽園大会のメインイベントでアントンとGENTAROは向かい合います。試合は、非常にトラディショナルで、なおかつ密度の濃いレスリングが展開されました。


その日のセミファイナルで行われたIWGPジュニアタッグ戦とは対極に位置するような重厚な攻防にグッと引き込まれていきました。



結末は、アントンの執念の卍固めによりGENがギブアップ。ここにKO-D無差別級選手権暫定王者アントーニオ本多が誕生したのです。



年が明けてから東郷に復帰の目途が立ち、今回の王座統一戦実現の運びとなりました。






結果は東郷の勝利。アントンは負けました。



序盤から東郷の左腕を執拗に狙い続けるアントン。何度返されても、グラウンドのリストロック―チキンウィングなどでによる腕殺しではない、ただのリストロック―をかけ続けます。


本当に何度返されても、何度返されても逃さずに腕を攻め抜きました。



トペ・スイシーダも披露し、頭から血を流しながらもアントンは奮闘。切り札であるドラゴン・スープレックスまで出しました。



この試合最大のハイライトは中盤と終盤に行われたナックルの打ち合いです。



にもかかわらず、2人は何発も何発も拳を互いの顔面にぶつけあいます。



ただ殴りあっているのではなく、1発1発にありったけの思いを乗せて打ち込んでいるのです。



最初の打ち合いではアントンが渾身のアッパーで打ち勝ちましたが、終盤は自力の差か東郷に軍配。



このまま押し切られ、最後は必殺のダイビング・セントーンに沈みました。


時間にして26分24秒――


一体2人はどんな言葉を交わしたのか。どんな思いをぶつけたのか。



21世紀にあって2人の奏でた闘いは非常に異質なものでした。とてもとても古臭く、それでいてかっこいい。2人が心から愛し、目指したプロレスがそこにはありました。



アントンは戦前の煽りVの中で、「自分が勝つことで、東郷が素晴らしい選手で素晴らしい師匠であることを証明する。今日は(東郷に)教わってきたことの答え合わせをしたい」と語っていました。



アントンは負けてしまったけれど、ディック東郷がいかに素晴らしく、いかに強い選手であるかを証明することには成功しました。



また、アントンの「答え合わせをしたい」という発言を受けては、試合後のコメントで「地味な、腕を攻撃することで、ここままで追い込まれるということは、自分で教えてきたことを実証できたんじゃないかなと思います。」「(答え合わせは)全問正解ですよ。」と語りました。


Sアリーナの司会も務める三田佐代子さんは自身のコラムにて、この試合を“卒業試験”と語りました。



まさに、その通りだと思います。



同コラムにて「『全問正解ですよ』と言った時の東郷選手は本当に誇らしげで、素晴らしい笑顔でした。」とありました。



自分はおそらく同じ笑顔を1度だけ見たことがあります。



それは昨年の8月。場所は新木場1stRINGでした。


DDTビアガーデンプロレス最終日に行われた若手4選手による次期KO-D挑戦者決定トーナメントを勝ち上がり、時の王者HARASHIMAへの挑戦権を獲得した愛弟子・佐々木大輔(佐々木は東郷が主宰していたレスリングスクール“スパークルー”の1期生)を東郷はゴングが鳴った瞬間にリングに駆け込み、抱き上げました。



そのときの笑顔が、実況の村田晴郎さんも「ディック東郷が、こんなにも誇らしげな笑顔をしている!」と語るほどに心底うれしそうな笑顔だったのです。



おそらく、今回も弟子の成長に満面ではないけれど本当にうれしそうな笑顔を見せてくれたのでしょう。



コメントの終わりに東郷はアントンに対して「教えたことをパーフェクトにして、10年、15年、20年やっていくうちに」アイツも誰かの壁になると思います」と語ります。



東郷は今年の6月で日本マットからいなくなってしまうけれど、アントンのプロレス人生はまだまだ続くのです。



稀代のプレスラーであるディック東郷の遺伝子を受け継いだアントンは闘い続けなくてはなりません。



今度はアントンが闘い続けることで、自身が最高の選手であるとともに、ディック東郷が最高の師匠であったことを証明していってほしいと思います。



同時刻、違う場所でコメントしていたアントンは、師匠の意を汲むかのように「とりあえず、明日からまた練習をはじめます」と語っています。



東郷の教えは、遺伝子は、確実にアントンに受け継がれ、アントンは東郷から卒業していきました。