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ストレス発散の為に思いの丈を綴るブログ

プロ野球を中心にニュース記事や雑誌を見て思った事を始め思い付いた事を書いてストレス発散しています。

ちなみにドラゴンズファンです。週ベのボールパークにも同じ名前で投稿しています。
頭の中で整理してから書くので2・3日ズレるのなんてざらです

セリーグは25日に開幕、パリーグは数週間の延期をそれぞれの緊急理事会で決定したそうだ。

これらは確定事項ではなく、ファンの意見や選手会との話し合い等で変わる可能性もある流動的なものだ。


これを聞いた時「ああ、また非難の声に晒されるんだろうな」と考えた自分が腹立たしい。

WBC以降のマスコミ等のバッシングによって、こういう声を怖がっている自分がいる。そんなのは些細なことなのに。


被災者を思い、電力問題も加味した上で開幕延期を支持する声が大きいのはわかる。

じゃあいつ開幕するのが『正解』なのか。それを示してくれる人はいない。

数週間遅らせただけで全てが解決しているのか。


正直私も予定通り開幕することには懐疑的だった。

でもそれは“ペナントレース”をする事に反対だったのであって、今流れている空気の様な“野球をやってはいけない”というものでは決してない。

今日から4日間ドラゴンズがやるようなチャリティーをベースとした特別試合ができないだろうかと考えていた。

そうすれば球団は収益が出る。野球を見たい人は見ることができる。被災者に義援金を送ることができる。

全てに少しずつ利益をもたらすことができるではないか。


でも、球団からも選手からもそんな声はついに聞こえてこなかった。

利益を優先する球団側。

偽善的言葉を並べる選手側。

私にはそう映る。


それでも球団側の

「経済活動をすべてやめるのか!やめれば日本社会は沈没するだけだよ。何でもかんでも自粛すればいいというものじゃないだろ!」(清武巨人代表)

という言葉には社会人として一定の理解を示す事ができる。一度止まった経済の歯車を動かすことは容易ではない。


一方で選手側の

「野球に集中できない」「野球をやってる場合じゃない」

という声は理解ができない。

彼らにとって野球とは何なのだろうか。お金をもらっている以上、それは仕事ではないのか。

それを被災者が可哀想だからという理由でどうして放棄できるのか。一般社会ならあり得ない物の考え方だ。よもやプロ野球は仕事ではないと考えてはいないだろうな?

パリーグと足並みをそろえる必要があるという点は同意するが、それならその間何かしようとは考えなかったのか?誰も何も行動しようとしない。


野球ができないと叫ぶだけで何もしようとしない。それは怠慢だ。

被災者が可哀想だからと何もしようとしない。それは偽善だ。


とりあえず動こうとする球団側、全く動こうとしない選手側。

現状ではどちらの意見にも問題があり支持することはできないが、どちらか一方を選べと言われたら今回は球団側に付く。

悲しんで人が救えるならいくらでも悲しめばいい。そんな事をしてる間に日本経済は沈んでいく。

五体満足に仕事ができ、収益を生む事ができる人達は働くべきではないのか。

各スポーツ紙の記事でダルビッシュの現在の心境が掲載されている。要約すると

>この状況で野球をやって良いのか?プレーする側も人間。野球だけを考えられない。

というものである。

その中でもデイリースポーツの記事(リンク )の内容がどうも引っかかったので書く。


前回人それぞれ考えがあると書いた通り、こういう考えの人が現れるだろうとは思ったし、この気持ちも彼らが人間である以上正しい感情なのであろう。プロ野球選手としてどうかと言われれば今こそ野球をすべきだと思うが。

それはいい。問題は別にある。

この記事の中でダルビッシュは「ボールを投げてバットを振り回している場合じゃないでしょう」と語っている。


野球を『ボールを投げてバットを振り回す』ものと表現したのだ。


なんとさみしい表現なのだろうか。

もし野球を愛し、プロ野球選手というものに少しでも誇りを持っているのなら、このような表現にはならなかっただろう。

非常時で正確に言葉を選べなかっただけかもしれない。しかし心のどこかでこう思っていなければ、こんなある意味蔑むような言葉は出てこなかった筈だ。


彼にとって野球とはそんな軽い存在だったのだろうか?少々失望した。

震災が起きまもなく三日が経とうとしている。

私のところは震源地から遠かったので揺れるだけで済んだが、震度3程度でこれでは現地の人達の恐怖は察するに余り有る。

私には被災者の無事を祈り、義捐金等を送ることしかできないのだが、被災者に勇気を与え、心労を和らげることができる人達を私は知っている。

その名を「プロ野球選手」という。


今は流石にそれどころではないだろうが、被害の拡散がある程度収まった時、被災者に必要なのがストレス発散である。その時こそプロ野球の出番ではないか。

もちろん、プロ野球だけでなくサッカーを始めとしたプロスポーツ全般がその役割を担っているのだろうが、年間144(×6なので864か)もの試合を見せられるのは紛れもなくプロ野球だけである。

そこで流石プロ!と唸らせるプレーを見せ観客が感嘆するような試合を見せる事こそ、今プロ野球ができる最大の救済なのである。


だが十人十色人それぞれの考え方があるのだろうが、バファローズの岡田監督の様に「試合やったらあかんのちゃう」と練習試合すらすべきではないと考える人もいるようだ。(しかし発言の翌日紅白戦をやってるのは解せない物がある。練習試合も紅白戦も同じ“練習”ではないか)


はっきり言う。この考えは間違っている。

被災者を思い祈りを捧げることは重要だ。だが、それ以上の事をできるにもかかわらずそれを放棄する事こそ被災者を思わない身勝手な行動ではないのか。

冒頭でも述べた通り来るべき時にプロ野球という娯楽を最高の姿で提供する為に最善を尽くす事こそ被災者救済に繋がる筈だ。


プロ野球選手にとって野球は仕事であり、ペナントレースに万全の態勢を持って挑みこそ彼れに与えられた使命なのだ。そしてそれが人助けにもなる。

こんなに素晴らしい職業に就いているにもかかわらずそれを放棄するのは、自分達は被災者を気遣ったと自己満足に浸っているだけである。


これらは私が被害にあっていないから言える事なのかもしれない。

でも、私は間違った事を言ってはいない筈だ。

こんな被害にあっても静かに耐え忍んでいる日本人を救う為、今こそプロ野球が立ち上がるべきなのだ。

がんばれ日本!