偏見と差別って一緒に語られることが多いけど別モンだと思っている。
悲しいけど差別をなくすのは難しいと思うが偏見はなくしていく事ができそう。
偏見とは間違った、もしくは足りない知識や経験から生まれるものだからそれをひとつひとつ修正していけば潰していけばなくなっていくだろう。
もちろん途方もない時間はかかるけど。
しかし差別というのは正しい知識と経験を経てなおも残る感情の問題だから人間が人間であるうちはなくならないのかもしれない。
偏見も一見正しい偏見というのはなかなか厄介だ。
例えばお年寄りや障害者は弱い存在だから守っていかなければいけない、というのは偏見だと僕は思っている。
もちろん守っていかなければいけない人たちはたくさんいる。
しかしそれはお年寄りや障害者だからというカテゴリーで分けるのはおかしい。
その人個人個人を見ていないということだ。
長く生きた人はただそれだけでうやまうべきとか、障害を持った人には無条件で手を貸すべきだという考え方はやさしく正しいように見えるが実は一人一人とちゃんと向き合っていない失礼な考え方だと思う。
お年寄りや障害者はただそれだけで弱い存在、というのは思いこみにすぎない。
実際にちゃんと目の前の人と関わっていない証拠だ。
しかもさらに厄介なのは「そんなつもりはなかった」という言い訳する人。
そんなつもりがあったかなかったはどうでもいい事なんですよ。
いじめの言い訳と同じ事。
むしろつもりがなくそうしていたということこそが偏見なのでしょう。
そしてなぜか、逆に当然なのか、福祉や医療に関係している人にそういう考え方をする人が多いのは悲しいことだ。
悲しいけど差別をなくすのは難しいと思うが偏見はなくしていく事ができそう。
偏見とは間違った、もしくは足りない知識や経験から生まれるものだからそれをひとつひとつ修正していけば潰していけばなくなっていくだろう。
もちろん途方もない時間はかかるけど。
しかし差別というのは正しい知識と経験を経てなおも残る感情の問題だから人間が人間であるうちはなくならないのかもしれない。
偏見も一見正しい偏見というのはなかなか厄介だ。
例えばお年寄りや障害者は弱い存在だから守っていかなければいけない、というのは偏見だと僕は思っている。
もちろん守っていかなければいけない人たちはたくさんいる。
しかしそれはお年寄りや障害者だからというカテゴリーで分けるのはおかしい。
その人個人個人を見ていないということだ。
長く生きた人はただそれだけでうやまうべきとか、障害を持った人には無条件で手を貸すべきだという考え方はやさしく正しいように見えるが実は一人一人とちゃんと向き合っていない失礼な考え方だと思う。
お年寄りや障害者はただそれだけで弱い存在、というのは思いこみにすぎない。
実際にちゃんと目の前の人と関わっていない証拠だ。
しかもさらに厄介なのは「そんなつもりはなかった」という言い訳する人。
そんなつもりがあったかなかったはどうでもいい事なんですよ。
いじめの言い訳と同じ事。
むしろつもりがなくそうしていたということこそが偏見なのでしょう。
そしてなぜか、逆に当然なのか、福祉や医療に関係している人にそういう考え方をする人が多いのは悲しいことだ。



