本自体はけっこう以前のもので現在とは状況が違う点もありこれを読んで「障害者の性」を一般論的に理解した気持ちになるのは違うとは思います。
あくまで「人間ていろんな人がいて面白いよね」というエピソードの集まりとして読んでいくのがいいのではないかと感じました。
しかし一面においては確かに「障害者の性あるある」な部分も多くあります。
僕には女性の友人がいます。
異性間の友情は普通にあると思うしそれを現実にできていると思います。
でもそれができるようになったのは15年以上も前の30歳前後、ずばり言うと女性と性的関係を持ってからです。
それまでの僕は多くのティーンエイジャーがそうであるように女性に対して女神を見るような妙な神格化と、それとは全く逆にいつもどこかに性の対象としか見られないような感情とがないまぜになって特に同年代以下の女性とはまともに口すら聞けなかったように思います。
これが10代ならある意味自然なことだと思います。
しかし30歳近くにもなってそんな思いを抱いているのはやはりおかしいと思っていました。
余談ですがもてない中年男性が性的な事件を起こすのは、もちろん許されざることですが感覚としては解らなくないです。
あの頃の僕が身体が自由であったら何かしら事件を起こしていたのかもしれません。
繰り返しますが感覚として理解できるからといって犯罪行為を許すものではけしてありません。
このままではおかしくなると思った僕は(もちろん性的好奇心が中心でしたが)、ちょうどその頃電動車椅子を作り活動範囲が広がったこともあり金銭的・身体的に少し無理をしてもと行動しました。
当時いくつかあった障害者デリヘルというものを利用したのです。
そしてバリアフリーのホテルを調べリフト付き自動車を手配したりして副産物的にいろんなスキルがつきました。
もちろん家族には内緒で。
はじめての体験は本当にいろんな感覚・思い・考えが一度に湧いてきました。
女性の身体の柔らかさ、匂い
肌と肌の触れあい
とても心地よい、しかし全然女神なんかじゃないい、しかし全然女神なんかじゃない
トイレ介助ではなく性器を触られるということ
何の気兼ねもなく思い切り射精できる悦び
それを見て喜んでくれる相手
お互いの汗や体液が混ざり合い密着する心地よさ
もちろん相手がプロフェッショナルだったからということはあるでしょうが工夫や助けは要るけど自分にも性行為ができるんだという自信
いろんな話ができる楽しさ
お互い全裸でいることの安心感
女性は一人の人間だという当たり前のこと
そしてお金を払って性的なことをすることのむなしさ
そんな思いが一度に僕を包みました。
そして何回かそんな経験をするうちに女性と普通に会話できるようになり性別関係なく友達も増え、恋愛に対しても以前より臆病ではなくなりました。
よく風俗を利用しようとしている障害者に対して「むなしいだけ。お金がもったいないからやめろ」というある種の正論を言う人がいますが僕はそうとも思いません。
むなしいという感覚を体験することも大切だと思います。
風俗というものそのものについての是非はありますが人間的にも成長するのではないかと僕は考えています。
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