こんなプレイヤーがいた!孤高のマルチプレーヤー⑤ | mizuochi understanding

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ロックンロールバンドのブログです。

こんにちは。

今夜、国会参院で安保法案が強引に採決されようとしています。

これほど国民の声を聞かない政権を許して良いのでしょうか。

戦争が出来る国になって良いのでしょうか。

たとえ国会で法案が成立しても

反対の意思は続けるべきです。

声を出し続ける事をやめたら、諦めたら認める事になってしまう。

続ける事、拡げる事で必ず変える事はできます。

諦めず、続けましょう!



孤高のマルチプレイヤー⑤

バンドマンって、

傍からみたら派手でいい加減で適当に映るかも知れません。

でも、本当は結構繊細で、傷付きやすく

潰しの効かない不器用な人間が多いです。

特に有名になってない僕の周りは。


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こまわり君のバンドは、身内では評判が良くても、
オーディションに落ち、ライブハウスの観客動員は伸びず
レコード会社からの連絡はなく、
ただ毎日バイトしながら曲を作り、スタジオで練習して
スケジュールをこなして行く毎日。

1年経ち、2年経ち、、、、。
ボーカルの女の子も「すぐに売れる!」なんて聞いていたので
日増しに足が遠のいてしまい、スタジオも休んだりするようになって
やがて「辞めたい、、、、。」の相談となり
バンドは活動を停止しました。


落ち込むこまわり君。

酒ばかり飲んで、と言いながらこの男、少量でベロベロになれるので
浴びるほどとは行かなくても、泥酔してばかりいました。

そんなある日。

「俺、東京行くわ!」

と、言い出しました。
ウチのバンドから脱退するサヨナラライブでのMCで
「俺は東京行って、のりピーと結婚します!」とか、訳の分からない事を宣言していました。
何しに行くねん?と、問うと「作曲家」と答えました。
どんな当てがあったのかどうなのかは知りませんが、
もしもの時はと東京に住む僕の妹の住所を教えてやりました。

彼は単身、東京へ旅立って行きました。

東京へ出てからしばらくは、1カ月ごとくらいに彼から手紙が届きました。

(タツノコプロのビルをはじめて見た!)とか

(東京タワー登ったぞ!)とか

田舎のお登さんみたいな手紙がしばらく来ていましたが
段々と手紙の間隔が開いて来て、やがて(帰りたい)みたいな内容に変わってきました。
弱音を吐かずにガンバレと叱咤すると、しばらく手紙が来なくなり
やがて手紙が来なくなってしまいました。

僕はその頃から広告関係の会社で仕事をしながら
細々とバンドを続けていましたが、正直な所、彼の事まで気が回らなく
何をしているのかも、存在も忘れかけていました。

ある日、妹からこまわり君が許し難い事をしでかしたとの怒りの連絡がありました。

あまりの問題行動なので詳しくは書けませんが、
その頃からこまわり君はほとんど夢遊病者の様で、
人格自体壊れかけの状態で居場所が無くなった東京から帰って来ました。

(つづく)