石炭の中にダイヤモンドがあっても、組成は炭素で同じ。
武者小路実篤の《新村堂》と清水安三の桜美林学園とによって基本型が抽出された。
ダイヤモンドである。
だれが認めるだろうか?
だれも認めない。
価値は武者小路の《新村堂》にも、清水安三の《桜美林学園》にも無関係に生まれている。
だから、ダイヤモンドなのである。
抽出したのであるから、抽象が行われると同時に、捨象が行われている。
石炭は排除されているのである。
秋の夜寒、石炭ストーブは有り難い。
「さて、ダイヤモンドでも燃そうか、寒いから」
アリストテレスは、砂漠で迷えばコップ1杯の水と、ダイヤモンドと、どちらが価値があるか?と問うた。
ダイヤモンドの価値と秋の夜寒。
そもそも、仲間内とは、インターネットの時代に成り立つものなのだろうか?
個人は、どこにいる?
世界に分散して、
個人も仲間内も希薄化すれば、空飛ぶ人間となるが、
個人は電子のごとく、
仲間内は分子のごとく、
地球は試験管のごとく、…。