超長期的視点から見た長期不況論 | Pull Myself up by My Bootstraps!

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タイトルは、統計学におけるBootstrap(現実のデータを基に、
現実と異なるショックが起きた場合のデータの振る舞いを分析する方法)の語源
「自分のブーツの紐を引っ張って足を上げる」→自分の置かれた環境を自分の努力で変える、という意味です。

近頃何かと取り上げることの多い「長期不況論」(Secular Stagnation)。経済史家はどう見ているのか

カリフォルニア大学バークレー校のBarry Eichengreenが、長期不況論の背後にある4つの仮説のそれぞれについて、超長期的なデータの振る舞いから簡単にコメントを加えた論文を書いています。

Eichengreen, B. (2015). Seular stagnation: The long view. NBER Working Paper, No. 20836. 


ここでは、「長期不況論」のエッセンスを、

慢性的な需要不足と経済成長の停滞を伴う貯蓄超過状態を反映した長期的な実質金利の低下傾向

と定義し、その背後には、一般に以下の4つの仮説が念頭に置かれていると整理されています。

1.世界的な貯蓄過剰

2.投資財の相対価格の低下

3.人口減少による投資率の低下

4.魅力的な投資機会の減少

まず、第一の世界的な貯蓄過剰については、1990年代半ば以降の新興国の貯蓄率の動向に着目した分析が多いのですが、歴史的にはこれに比肩しうる動きとして、19世紀の米国が挙げられます。

すなわち、この時期の米国は、移民の増加と低い高齢者比率の下で相対的に高い貯蓄率が保たれ、資本財の使用に偏向的な技術進歩の影響により、資本深化の圧力が高まったにも関わらず、実質利子率が低位に保たれていました。

米国経済の投資率は1834-43年の16%から1899-1908年には28%へと上昇したとのこと。

しかし、こうした貯蓄過剰の状態は、人口構成が変化し、また、資本/労働比率が均衡状態に近付けば、早晩解消されてしまいます。また、超長期的なデータを見ると、世界経済全体の貯蓄率は緩やかな上昇傾向にあるとはいえ、実質利子率の低下傾向が顕著となった1980年代以降に加速度的に上昇しているとは言えません


次に、第三の人口減少下での需要不足に起因する過小投資については、「長期不況論」の元祖とされているHansen (1938)が重視している要因ですが、これについてEichengreenは、人口減少は投資の低下をもたらすと同時に、人口構成の高齢化に伴う貯蓄率の低下をももたらしうるため、投資と貯蓄のいずれが過剰となるかは一概には言えない、という問題を指摘しています。

Charles GoodhartとPhilipp Erfuthは、近年の先進諸国における労働力人口の減少は、貯蓄不足を引き起こし、実質利子率を上昇させるのではないかと主張しているようです(Goodhart and Erfuth, 2014)。

歴史的なデータを見ても、人口変化率と経済成長率との間に明確な相関は見出せません。Eichengreen and Fifer (2002)は、人口高齢化は投資・貯蓄の双方にほぼ同じ程度のマイナスの影響を及ぼすため、実質利子率や国際収支に対して大きな影響を及ぼさないことを示唆しています。


最後の魅力的な投資機会の喪失という論点については、Eichengreenは

(1)技術の応用可能性の範囲(Range of Applicability)

(2)制度や組織が技術に適応するのに要する時間の長さ(Range of Adoptation)

の双方を区別して議論する必要があると指摘しています。

技術の応用可能性の範囲については、たとえば、産業革命の原動力となった蒸気機関は、当初は応用可能な産業が織物工業と鉄道に限定されていたため、長年の間、生産性の上昇や経済成長には限定された影響しか及ぼすことがありませんでした。

これに対し、電気は多くの産業分野のみならず家計においても応用可能な技術であったため、広く経済全体に対して大きな影響が及んでいます。

20世紀後半のコンピュータ革命は、電気と比較すると、やはりその影響はこれまでのところ限定的と言わざるを得ないでしょう。

他方、制度・組織の適応に要する期間については、第二次産業革命ともいわれる内燃機関の発明が良い例で、これが経済全体に広く影響を及ぼすまでには、道路ネットワークの整備や工場の生産ラインの抜本的な再編など、一定の期間をかけて経済活動に関わる組織や制度を変革することが不可欠でした。このことが、1890年代の内燃機関の発明から1920年代の第二次産業革命までの時間のズレを生んでいるのです。

いま、人工知能やロボット、IoT (Internet of Things)といった新技術を「第4次産業革命」につなげていこうという動きが盛んですが、これらの技術の応用範囲の広さと経済制度や組織の技術への適用に要する時間の双方を考慮に入れなければ、果たして魅力的な投資機会が消滅しているのかどうかについての結論を下すことは難しそうです。


こうした検討を踏まえた上で、Eichengreenは、1980年代以降の実質利子率の低下と平仄の取れた動きをしていることが明確に確認できる変数は投資財の相対価格だけであると論じています。全要素生産性の変動と投資財特有の生産の変動を区別するFisher (2006)や、国際通貨基金による2014年4月の世界経済見通しの第3章も投資財の相対価格の動きを取り上げているようです。