私を説明する時に 避けては通れない出来事。


それは、3歳の時、交通事故で両親をなくしたこと。


あまりにも小さかったため、「死」についてよくわかっていなかったのが不幸中の幸いだったかも・・・。


 ママト パパハ オホシサマニ ナッチャッタ


と3歳の私は自分を諦めさせていた。運命なんだから仕方ない。


 かみさまのいじわる!かみさまなんて ぜったいにいない!


と思っていたのは幼稚園の頃。だって、神様が本当にいたら、こんな目にあわせるはずがないもの。


居場所の無い家庭の中で、居候として存在していた私。 


 他の子は、存在することを許され、無条件に愛されている。

 でも私は、存在すること自体が悪。迷惑をかけている。早く大人になって自分の力で生きていきたい。


と思い始めたのが、小学生の時。


その後どんどん状況が悪くなり、


 「死」を選ぶ方が「生」を貫くよりもずっと楽だ。

 

という絶望感の中にいた中高生時代。でも


 「あなたがたの会う試練の中で、耐えられないような試練はない。

 神は、そのような試練に合わせないばかりか、逃れる道をも備えてくださっているのである。」


という聖書の言葉と、いつも明るい友人たちが私を支えてくれた。


そして19歳の春。


ようやく牢獄から出て、自分ひとりの生活が始まった。


今まで押さえてきた自分を解放するかのような、大学生時代。


初めて、自分の足だけで立たずに、「寄りかかってもいいんだよ~♪」と言ってくれる人に出会えた。


インナーチャイルドの育て直し。あの時は本当にありがとう。


ヒトを心から愛するって、どんな感じか・・・あの時に学んだような気がする。


そして、ヒトからあたたかくしてもらう、という感覚もあの時に学んだような気がする。


3歳から19歳までで、じっと試練に耐える強さを身につけたように思う。


どん底を味わったからこそ、何気ない日常がとても幸せなことなんだ、と思えるようになった。


だから、事故のことは、悲しい出来事だったけれど、私にとっては大きな学びである。


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