こんにちわ。
昨日深夜2時からスタートしたセルフヒーリングですが、なかなか良い結果をもたらしてくれました。
ついでにやって願いの現実化で、願ったものが、本日の忘年会の抽選にて、見事わたしの腕の中におさまってくれました。
よしよし
コマンドも大事。現実化も大事。
さてさて。
「思考」とか「考える」とかってどんなイメージですか?
イメージすらないのが普通ですよね。
しかしシータで追求していくうちに、わたくし、思考ってなんじゃいってゆう問いにぶつかったのです。
そしてその結果、思考にまつわる、思考パターンを発見。
それがタイトルになっている「考えることでじぶんを守る」だったわけです。
考えるってゆうことって、人間の根本だとかいう視点でとらえられますけど、実際、考えないってゆうのもひとつの「自由」なんじゃないかなって思います。
「考える」ことに執着しすぎるってのは、逆に、自分の思考だけが頼りであって、プライドで、それ以外信じない、人を信じない・・・とかとか。そうゆう広がりもあると思うのです。
わたしの場合は、「考える」ことで、自分をそれこそ守っていました。まわりのいやなこととか、自分の力ではどうしようもないこととか。そんなことから必死になって自分を守るために、「まわりの雑音」を聞かないために。
必死に「思考」することで、自分の領域を守っていたようです。
それに思い当たったのは、セルフヒーリングの手柄です。
セルフヒーリングが必要だなと思ったのは、まだまだ癒されていない過去の経験があると、ある方から指摘されたからです。(これは前述したかもしれません)
そこで、いままで「すっかり癒された」という体で、ふるまっていた自分の化けの皮とゆーものを、べりっとひっぺがしてみたんですね。
わーお。
驚くほどのドロドロがそこに広がっていました。
元来「良い子」というか「良い子でいたい」性格なのです。それは平和主義とは厳密には異なりますよね。平和主義といいつつ、良い子でいたいのは自分を偽装しているわけでして。よろしいわけがない。
良い子でいたいために、すっかり癒された体で生きるのはなんら苦ではなかったのです。なのでいままで一年間、すっかり癒された、宇宙からどんどん贈り物がやってくるで。という気持ちでいました。クライアントさんや友人たちからの相談にも、訳知り顔で答えていました。評判も良かった。
たーだ。
なんか変でしょ、ってゆう違和感?なんか忘れてないっけ?ってゆう違和感は、ばっちりあって。
シータやって、直観力が強くなって、それなのに、パンドラの箱開けないわけないっしょー。
はい、あけましたー!!昨日!!
いやーなんか箱開ける前から、漏れてる感じとか、こう、うっすら気づいてきちゃってる感じはあったんですね。
それがもう。
ばこーんって感じの衝撃で。
ああぜんぜん癒されてなかったわ。
ということに気づきました。
そう、ずっと逃げていたんですねぇ。
セミナーでも実践会でも練習会でも、セッションでも、絶対にこの悩みだけは相談できなかったんだよね。
堅く堅く、封をしてそんなものありません、そこは壁です、ドアはありません
みたいな体でやってきたんですけど。
なので、かなり痛いものがでてきて、結構な痛さです。ふつうシータヒーラーというものでも、絶対に自分ではできないものとか、見えないものとかがあったりして、「なんっかつかみかけてるんだけどよく見えないから、見て欲しい」とか、セッション受けてきたーとか、そんな話はあるものです。
自分でできたから良かったけど。けどけど。
超痛いです。
すごいつらい、幼少期、いや違うなぁ小学生のときとかからずっと高校出るくらいまで?家族との不和がものすごくて。すんごい理不尽な論理で育ったところがあるんですね。わたし。「学歴はとれ、必ず一流企業に入れ、ソレが嫌なら、文系なら弁護士免許を、理系なら医者に。」 子供だから、少し油断したりするとすぐに罵倒されて。がんばりは褒められず、重箱の隅をつつくような、揚げ足をとるような、説教など。勉強は好きだけど、なんのために勉強しているのか、誰のための人生なのか。深く考える以外にありませんでした。
ってゆうね。笑
あははは。。。
そうゆうことかへへへ。みたいな。
最初、シータを受けたときに、「自虐的なのはなぜ?」とインストラクターに言われたのを思い出します。
じぶんを否定する以外に、道がなかった。自信ってなんなのかわかんなかった。だって、自信を持てるような環境じゃなかったもん。毎日毎日、家庭では罵倒され、常に叱られ。ほっとする環境ってゆーのを知らなかったし。読んでる本とか漫画とかも「良くない」って言われて、ちょっと考えられない言葉で、ののしられて。
そんな環境で誰が、自信とかわかりますかねぇ。。
いや、むりだ。笑
自虐的だったし、そういえば、拒絶をしらなかったなぁ。
だって拒絶してもやってくるんだもん、拒絶するより、へーって受け流す方が、術としては先に会得できるよね。。
拒絶する言葉っていろいろありますが「いやだ、やめて、わたしは不愉快です、そうゆうのは好きじゃない」
そんな言葉、いつ使ったっけね。。みたいな。全部、受け入れる以外の道がわかんなかった。
はぁ。。
昨夜はそんなわけで、大号泣(そりゃ泣くよ。笑)
小さいこどもが、唯一の存在の親に、ひどいこと言われて、それこそ「どうしていいかわかんない」(だってこどもだから何にも知らない、解決策を探す途中の道にいるんだよ。その子供を混乱させるばかり)ってゆう状況に追い詰められて、その精神的な圧迫感ってゆうのは本当に、本当に。いま大人になったけどそんな子供が世の中にいるのかと思うと本当につらいっす。(実際に10年前くらいにはいたわけですから、いまもいるよねぇ)
あんまりつらかったから、天使呼んで、天使たちにもヒーリングしてもらいました。誰だったっけな。ウリエルとかハニエルとかガブリエルとかルシフェル(て悪魔じゃないのか?しかし超タイプのイケメンでした)とか。とりあえずイケメンとキレイな人っぽいエネルギーを感じてふわっと癒されたっす。
ヒーリングしているときに、肝臓のあたりとか胃のあたりとかがものすんごく、つらくて、絞られてるような、すごい感じがしたんだけど、肝臓は確か、恨みを蓄積するのでそのせいかなって思います。恨みの感情なんかものすごいよね。絶対~。うらまずには生きてはこれませんでしたー!!みたいな。笑 あはは。
最終的には、イエスキリストカミングでした。なんだっけなぁぜんぜん覚えてないや。
なんか重要なこと言われて、すっごいうれしくて、すっごい泣いたんだけど。さっぱりです。爆
まぁ実を言うと、ぜんぜん足りないみたいですので、
物理的な「パンドラの箱」を開けようかと思っています。
うん、つまりあれです「小さいころの日記」。。。笑
かなりヤバイね。
むかし、ひと読み返したときに、本当に怖いことしか書いてなくて「あいつを殺して私も死ぬ」とか「どこを刺せば一番静かに死ねるんだろう」とか。枕をぬらしたよ・・・そして棚の奥に封印して、その棚の前にチェスト置いてあるから、絶対に空けられないんだよね。
こわい、このおき場所の時点で「逃避」してるね。
よく、シータで変化するのが怖いから抵抗するって話はあるんだけど、ここまで物理的な抵抗は始めて、かつ、自分、ておい。
途中から悲しいブログが、自爆と、笑いの嵐みたいになってますが。
シータに出会えたから、この闇とも向き合えるんだよな。
なんつーか、「彼氏彼女の事情」ってゆう本を思い出しましたよ。
主人公雪野のカレシ、有馬総一郎の過去に秘められた「闇」!!
そんな闇はいつか出てきていつか癒されるときがくるんだね。
いま2:22AMですが、わたしはやるよ。やってやるよ。
そして、闇を自覚して、もっと強い人間になるのだー!!
ジーザス!アーメン!! (ん?イエス効果?)