(写真は本文とは文字面でしか関係ありません。マルハラ果樹園様、お名前お借りしてすいません、せめてものお詫びに本文の御社のお名前のところにHome PageのLINK URLを貼り付けておきます。)
お友達のSNSの投稿で知ったのだけれど、「マルハラ」というものがあるらしい。
ナニナニハラ、なんてのは大体、セクハラとかパワハラとかハラストメント関係だとは思ったのだけれど、はて?マルとは一体なんだろう、と思って投稿を読んでいたら、どうも句読点の「まる」のことらしい。←ここについてるヤツ
どうも若い子は、文章の最後にこの。が付くと、「怒られている」と感じるらしく、嫌がるのだそうだ。
へ?句読点、って、つけるものではないの?ってのはかなり古臭いお爺さんの感覚らしい。
というか、文章を書いている段階で「文法を守る、表記法を守る」のは、当たり前のことだと僕は信じて疑わない。大体が、マルをつけないと、その文章の区切りがはっきりしなくて落ち着かない。丸をつけなければ、まるで、パンツ(下着)を履かずにジーンズを履いて街を歩いているような感覚になる。なんでこれが「怒ってる」ことになるのかすら、僕には理解できない。
ジジイは何を言っているのだ、と若い子に揶揄されるブログの内容になること請け合いなのだが、それでも僕はやはり日本語をあまり壊してほしくない、と思っている。
文章を書く、という環境においては、句読点はしっかりと付けて書くべきだ。
僕の場合、ここまでの文章を省みても、マルがついていないのは第一段落の最後、「<」の後の文のみだ。これは「<」を付けることで、追加の情報として添付された一文で、文章の流れとは異なるという意味合いで省いている。
一体なんで、こんなことになっているのか、ちょっと考えてみた。
多くの人がパソコンなどで文字を書く様になって、その辺がかなりルーズになってきた感じは1990年ころから感じていたことだ。でも、そう、Twitterが流行り出してからか、この傾向は強くなってきた様に思う。いわゆる「文字数制限」の煽りを受けて、一文字でも減らしたい人たちが句読点を省き始めた、そんな気がする。
カジュアルな単文のやり取りが広く受け入れられて、長文は読まれない/好まれない傾向にある。
そういえば僕のこのブログはいつも長いことで有名だけれど(苦笑)、これは
「興味ない人は読まないでもよろしい」
という、自分のある種のステートメントなのだ。
読んでくれない人とお話をしていて、「あ、こいつは読んでないな」というのは良くわかる話だ(その場の話の内容へのリアクションが、読んでいる人とそうでない人では明確に異なるからだ)。
もちろんこちらの方で敢えて、読むことに努力を要求しているので、読んでいただいてなくて全く問題ない。むしろ、がっつり読んで下さっている方にはある種申し訳のなさと、え?そんなに僕に興味持ってくれてるの?という驚きすら感じる時があるのだから。
そもそもわかりやすく、手短に表現する、というのはどうも性に合わない。多くの場合、誤解されてきた経緯がある(かといって、長ければ確実に理解される、というものではないことは重々承知してはいるが)。
だからなのか、僕は随分と長い間、Twitterから距離を置いていた。今でも積極的には発信していない。あそこは「情報を得るためのツール」である。多くの情報はほぼ、ゴミだけれど。
Twitterの影響を受けなかった僕は、だからこそずっと句読点を守り続けられているのかもしれない。
「怖い」だぁ?ちゃんとした日本語で書かないことに対してなら、怒るかもね。
若者文化に、ジジイたちが迎合する必要などない、と信じる。守るべきものは、ちゃんと守らないと。
そう思うのだ。
**************************
またちょっと別の話になるのだけれど、僕は昔からどうも、「ちゃん」づけするのもされるのが苦手だ。
特に出会って間もない人から「ちゃんづけ」されるのには、かなり違和感を感じる。
僕自身も稀に、他人に「ちゃん」を付けて呼ぶ時もあるけれど、その場合は
「元々のあだ名なり呼び名に『ちゃん』が付与されている」
ことが大前提だ。そして、かなり親しくなってから、が通常だ。
(かなり譲歩して、付与している。本当なら、そんなのしたくない、って位だ。)
それでも、年上の人に「ちゃん」づけなどしたくない。
極めておかしな話だと自分でも思うけれど、年受けの方で「ちゃん」がついている方には「〇〇ちゃん、さん」ってしないとどうにも居心地が悪い。
<文法的、慣用的にはかなりおかしな表現であるとは理解している
先般、とあるお友達とChatしていて、似たような話になった。
そりゃ、悪い人ではないのかもなのだけれど、どうにも「フランク過ぎる」メッセージを送ってくる人がたまにいる。しかも多くの場合、まだお互いの関係性が確立していない段階で、だ。
いわゆる「タメ口」であったり、単語だけ送ってくるとか、口語口調での記述など。
そういうのはある程度でも良いから、関係性が確立してから使用すべきだと思う。
(僕自身はやられた時点で「あぁあ。。。」とかなり残念に感じてしまうのですがね)
僕など、たいして親しくもない人からいきなり口頭で(まるでバブル期の芸能界みたいな雰囲気で)「ちゃん」づけされたら、もう、ドン引きする。僕自身は普段からなるべくなら「です」「ます」を使う様にしているし、人に話しかける時には、相手の年齢性別関係なく「〇〇さん/くん」と呼ぶように心がけている。
堅苦しい?そうかもね、大体、僕はつまらん男ですから。一緒にいてても、面白くない奴です。
でも、砕けた表現を使えば、親しさを表すことになるのかなぁ。
そう感じない、感じられない人にとっては、いきなり「侵食された」様な気持ちになると、僕は思うのだけれど。
まぁもっとも、あまり人と関わらない僕が言える話ではないのかも、だけれど。