RPGは自分が成長した気になる魔性のゲームである。
中3のころの国語の先生がRPGの楽しさが分からないと言っていた。
だってプログラムでしょう?
レベルが上がるのはキャラクターでしょう?
のような全くもって正論だった。
先週の土日は2連休で、私は家に引きこもってゲームをしていた。
徹夜はしていないものの健康的とは言えない過ごし方で、日曜の夕方くらいにふと虚無感に苛まれた。
レベルアップやダンジョンクリアの達成感など霧散するほどの虚無感。
私は何をやっているのだろう?
これだけ時間を費やして、何か得たものはあっただろうか?
学んだことは?生産的なことは?
堅苦しく考えずとも、リフレッシュになったというのならそれでいい。
だが、このような思考に至る時点で楽しめていない。
ゲームをやっている時の楽しさを忘れてしまったか、それを上回る虚無感だったか、惰性でやっていてそもそも楽しくなかったか、理由は分からないが。
今使っているノートパソコンはディスプレイが反射して見にくい。
そして映った己の顔も醜い。目が死んでいるのだ。
中高生のころ、パネルでポンというパズルゲームを2時間以上延々とやっていた。
うろ覚えだが、タイムは2時間未満、スコアは10万点未満、スピードレベルは99でカウンターストップ。
脳内でどんな活動をしていたのかは知らないが、少なくとも目は死んでいた。
ゲームをしていて怒る人もいる。私もそんなことがないとは言わない。
「怒るくらいなら止めたら?」と言われると正論過ぎて困る。
ゲームは楽しいものであるはずだ。
ゲームクリエイターだって楽しんでもらおうとして作っているのだろう。
売れればいいという考えであったとしても、楽しくなければ売れないのだ。
いや、昨今のソーシャルゲームを見るに、中毒にさせれば必ずしもその必要はないのか?
そのあたりにはこれ以上突っ込まないでおくが。
人生をゲームに例えることは私がよくやるが、勉強なり、読書なり経験値を積んで文字通り現実の自分をレベルアップさせたほうがどれほどいいか。
ゲームが楽しめなくなったとて、読書・カードゲーム・ラジオ・アニメ・サイクリング・ぼーっとする・眠るなど趣味が多い私だ、困ることはあるまい。
もちろん、勉強したっていいのだし。
中3のころの国語の先生がRPGの楽しさが分からないと言っていた。
だってプログラムでしょう?
レベルが上がるのはキャラクターでしょう?
のような全くもって正論だった。
先週の土日は2連休で、私は家に引きこもってゲームをしていた。
徹夜はしていないものの健康的とは言えない過ごし方で、日曜の夕方くらいにふと虚無感に苛まれた。
レベルアップやダンジョンクリアの達成感など霧散するほどの虚無感。
私は何をやっているのだろう?
これだけ時間を費やして、何か得たものはあっただろうか?
学んだことは?生産的なことは?
堅苦しく考えずとも、リフレッシュになったというのならそれでいい。
だが、このような思考に至る時点で楽しめていない。
ゲームをやっている時の楽しさを忘れてしまったか、それを上回る虚無感だったか、惰性でやっていてそもそも楽しくなかったか、理由は分からないが。
今使っているノートパソコンはディスプレイが反射して見にくい。
そして映った己の顔も醜い。目が死んでいるのだ。
中高生のころ、パネルでポンというパズルゲームを2時間以上延々とやっていた。
うろ覚えだが、タイムは2時間未満、スコアは10万点未満、スピードレベルは99でカウンターストップ。
脳内でどんな活動をしていたのかは知らないが、少なくとも目は死んでいた。
ゲームをしていて怒る人もいる。私もそんなことがないとは言わない。
「怒るくらいなら止めたら?」と言われると正論過ぎて困る。
ゲームは楽しいものであるはずだ。
ゲームクリエイターだって楽しんでもらおうとして作っているのだろう。
売れればいいという考えであったとしても、楽しくなければ売れないのだ。
いや、昨今のソーシャルゲームを見るに、中毒にさせれば必ずしもその必要はないのか?
そのあたりにはこれ以上突っ込まないでおくが。
人生をゲームに例えることは私がよくやるが、勉強なり、読書なり経験値を積んで文字通り現実の自分をレベルアップさせたほうがどれほどいいか。
ゲームが楽しめなくなったとて、読書・カードゲーム・ラジオ・アニメ・サイクリング・ぼーっとする・眠るなど趣味が多い私だ、困ることはあるまい。
もちろん、勉強したっていいのだし。