では、Litespeed(ライトスピード)について書きたいと思います。

(ウィキペディアから抜粋)

ライトスピード(Litespeed )はアメリカの自転車製造会社。チタンフレームの制作を得意とする。トップモデルのGhisalloはフレーム単体でわずか770gと非常に軽量である。
事故、過失以外でフレームが壊れたら永久無料交換をしている。
では、Louis Garneau (ルイガノ)について書きたいと思います。

(ウィキペディアから抜粋)

ルイガノ(Louis Garneau )はカナダに拠点を置くスポーツ用品メーカーである。特に自転車用品の品揃えが充実していることで知られる。また自社ブランドのスポーツ自転車も販売している。創業者であるルイ・ガノーはカナダ勲章やケベック勲章などを授与されている著名人でもある。

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LGS-FIVE

概要

創業者であり現在の経営者でもあるルイ・ガノーは元々は自転車のトラック競技選手であり、かつて個人パシュートでカナダ王者に輝いたこともある一流の競技者であった。ガノーは1983年秋、父親の家のガレージで自転車用のウェア製造販売を開始。翌年ガノーはロサンゼルス五輪に出場するが、それを機に14年間に渡った競技生活を終えて会社経営に専念する。
自転車競技用ウェア類から商品展開を開始し、1989年には将来有望な市場と思われた自転車用ヘルメットに進出。北米市場で大きな成功を収める。その後、同社はスキーのアルペン競技用のヘルメットの製造も開始している。
現在、同社は本社および6つの工場と400人以上の従業員を擁している

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LGS-SIX

日本におけるルイガノ

日本では有限会社アキコーポレーションがルイガノ社より商標使用許可を得ている。日本で販売されているルイガノの自転車は、同社が企画し台湾、中国で生産されたもので、ルイガノ社が直接生産する自転車とは異なる独自仕様である。
では、ジオスについて書きたいと思います。

(ウィキペディアから抜粋)

ジオス (GIOS) は、イタリアの自転車メーカー。1948年設立。本拠地はイタリアのトリノ。よりイタリア語に近く発音すると「ジョス」。

解説

創業者のトルミーノ・ジオスは元自転車選手。ベルリン五輪イタリア代表に選ばれるほどの選手で、同社のエンブレム(ヘッドマーク)に五輪があしらわれているのはそのためである。
1973年からプロチーム「ブルックリン」にフレームを供給。エースのロジャー・ドブラマンクの活躍によりジオスも名声を得ることになる。それまでジオスのシンボルカラーはオレンジだったが、ドブラマンクが駆っていたのは青色のフレームであった。以来、その青は「ジオスブルー」と呼ばれ、イタリアのペンキ屋の色サンプルにも「ジオスブルー」の呼称が登場するほど「ジオスといえばジオスブルー」というイメージが定着している。
プロチームへのフレームの供給は、1994年からスペイン・ケルメ(2004年現在はルックを使用)、2003年から2004年までイタリア・フォルマッジピンゾーロなどがジオスのフレームを使用していた。
では、オルベアについて書きたいと思います。

(ウィキペディアから抜粋)

オルベア(Orbea )は、スペイン・バスク地方にあるスペイン最大の自転車メーカー。

解説

スペインはバスク地方にあるヨーロッパ最大の自転車メーカー。ロードバイク、マウンテンバイクの開発だけでなく、カーボンフレームのデザイン、生産も行っている。バスク地方はピレネー山脈の麓にあり、ミゲル・インドゥラインをはじめとする多くの有名なプロサイクリストを輩出している。その影響か、同社のバイクは登り坂でその性能を最大限に発揮する。また、UCIプロチームのエウスカルテル・エウスカディのスポンサーでもある。
元々は銃器メーカーだったが、スペイン内戦後に自転車製造業に業態を変更した。
モンドラゴン協同組合企業グループの一員である。
北京オリンピックの男子個人ロードレースでは、スペイン代表のサムエル・サンチェスがオルベアのORCA(オルカ)で優勝した。同じく、マウンテンバイク競技でも、オルベアのALMA(アルマ)で、フランス代表のジュリアン・アブサロンが金メダル、同じくフランス代表のジャン・クリストフ・ペローが銀メダルを獲得した。
同社の誇るフレーム製造技術に、SSN (size specific nerve) がある。一般的な製造方法では、同じフレームに対して全サイズで同じチューブ素材を使用するが、それではフレームサイズによってフレームの剛性や性能が異なってしまう。オルベアのSSN技術では、すべてのサイズで同じ性能を実現するために、あたかもサイズごとに別のフレームを設計しなおすかのような工程を経て製造されている。これは、フレームがカーボン素材だからこそ可能になった技術で、オルベアのORCA(オルカ)、ORDU(オルドゥ)、ONIX(オニキス)の3モデルに採用されている。
では、メリダ・インダストリーについて書きたいと思います。

(ウィキペディアから抜粋)

メリダ・インダストリーは、台湾の自転車メーカーである。1972年創業。2012年現在台湾第二の自転車メーカーで、ジャイアント・マニュファクチャリングに次ぐ。製造工場のある台湾本社の他、1998年にドイツのシュツットガルトにメリダ・ヨーロッパが創設され、自転車の設計は現在、そちらで行われている。
アメリカの自転車ブランドのOEM生産を多く手がけるかたわら、自社ブランドの開発にも力を注いでいる。優れた製造技術を持ち、世界でも稀なマグネシウムフレームの製造を行っていたこともある。またフレームの量産にロボット溶接や、自動化された静電塗装技術がとり入れられている。
1992年に日本に事務所を構え、1993年ブリヂストンサイクルと提携し、2009年モデルまで日本での販売はブリヂストンサイクルが行っていた。2010年モデルからはミヤタサイクルが販売を行う。日本以外で売られているモデルとは異なり、例えば低価格帯のクロスバイクに英式バルブのタイヤチューブが用いられているなど、日本独自仕様が多く見られる。
日本にも輸入されているアメリカのスペシャライズドやドイツのセンチュリオンは現在このメリダ・インダストリーの傘下に入っており、これらのブランドのフレームもメリダの工場で製造されている。

では、BMC,British Motor Corporation(ブリティッシュ・モーター・コーポレーション)について書きたいと思います。

(ウィキペディアから抜粋)

ブリティッシュ・モーター・コーポレーション (British Motor Corporation; BMC)は、1952年より1966年まで存続したイギリス資本で当時最大の自動車メーカーである。

歴史

1952年、イギリスの大手2大自動車製造会社 Austin Motors(オースティン・モータース)と Nuffiled Organization(ナッフィールド・オーガナイゼイション)グループが合併し、前者の Austin(オースティン)ブランド、後者の Morris(モーリス)、MG、Wolseley(ウーズレー)、Riley(ライレー)のブランドを所有するイギリス最大の自動車メーカーとなった。
比較的安価な Morris Minor(マイナー)から、中級スポーツカーの MG TF、高級スポーツカーの Austin Healey100 (オースティン・ヒーリー)、高級車の Wolseley、Riley までも生産した。

その後

後の1966年、ジャガー及びディムラーのブランドを持つジャガーを吸収、持ち株会社のブリティッシュ・モーター・ホールディングス (BMH)が発足。
1968年、レイランドグループと、ローバーグループと合併、ブリティッシュ・レイランド・モーター・コーポレーション (BLMC) となる。
この時点までは、持ち株会社 BLMC 傘下で、過去のブランドを保有する各ディヴィジョンでの自主性はかなり保たれていたが、1975年、時のイギリス労働党政権の元、財政再建の為に国有化を決定し ブリティッシュ・レイランド British Leyland Ltd. に改組。ブランドの統合、車種の整理が始まって行く。

所有ブランド

BMC当時

1895 Wolseley(ウーズレー)
1896 Lanchester (ランチェスター)
1898 Riley(ライレー)
1905 Austin(オースティン)
1912 Morris(モーリス)
1913 Vanden Plas(後にオースティンが買収)
1924 MG (後にモーリスに吸収、モーリス創業者の私企業でスタート)
1952 Austin-Healey (BMC傘下のオースティン事業部管轄)
1959 Mini(BMC傘下のオースティン事業部管轄、モーリス事業部でも製造)

BMH時代に追加

1896 Daimler(ディムラー、後にジャガーが買収)
1924 BSA (自動車部門、後にディムラーが買収)
1935 Jaguar(ジャガー)

BLMC時代に追加

1896 Leyland Motors (レイランド、商用車部門)
1903 Standard(スタンダード 後にレイランドが買収)
1904 Rover(ローバー)
1919 Alvis(アルヴィス 後にローバーが買収)
1923 Triumph Motor Company(トライアンフ、後にスタンダードと合併)
1947 Land Rover(ランドローバー、ローバーのオフロード四輪駆動車部門)

主要車種

BMC

1948 Morris Minor
1952 Morris Oxford
1954 Austin Cambridge
1957 Austin A35
1959 Mini (Austin / Morris)
1961 Riley Elf
1961 Wolseley Hornet
1962 Austin 1100 (ADO-16)
1962 MGB
1964 Austin 1800/2200

BMH

BLMC

1968 Jaguar XJ6
1969 Austin Maxi
1970 Triumph Dolomite
1970 Range Rover(レンジローバー)
1971 Morris Marina
1971 Triumph Stag
1973 Austin Allegro

では、LOOKサイクルインターナショナル(ルック)について書きたいと思います。

(ウィキペディアから抜粋)

LOOKサイクルインターナショナル(LOOK Cycle International )はフランス・ヌベアに本社を置く自転車フレーム、自転車用ビンディングペダルメーカー。日本国内では、株式会社ユーロスポーツインテグレーションが輸入総代理店。

カーボンフレームの老舗ブランドで、2000年から3年連続のツール・ド・フランス山岳賞獲得、ブエルタ・ア・エスパーニャ2000年、2002年総合優勝を達成するなどロードバイクでの実績もさることながら、トラックレース用フレームでの実績も数多く、2004年のアテネオリンピックで9個のメダルを獲得するなど、ロード・トラックを問わず、素晴らしい実績を残している。

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LOOK社製のフレーム KX LiGHT で組成されたロードバイク。

歴史

1984年 - 業界初のビンディングペダル「PP65」を発表、ベルナール・イノーによるツール・ド・フランス総合優勝に貢献した。
1986年 - フルカーボンフレームの製造を開始。
2005年 - 新型ペダルLOOK KEOペダルの発売。
2009年 - LOOK KEO2 MAX 発売
今日、初めてのブログ更新です。では、Ugo De Rosa(ウーゴ・デローザ)について書きたいと思います。

(ウィキペディアから抜粋)

ウーゴ・デローザ(Ugo De Rosa、1934年1月27日 - )は、イタリアの自転車メーカーであるデローザの創業者である。12歳のときから自転車フレーム製作の修業を始め、1953年、18歳のときに独立してデローザを興した。
1958年からは、フレームビルダーと並行して、プロチームのメカニックとしても活動した。フレームビルダーとして、あるいはウーゴ自身としての絶頂期は、1974年からフレームを供給したエディ・メルクスの活躍と重なる。ウーゴはメルクスからのシビアな要求に応え、年間50本ものフレームを供給した。
同じイタリアのロードバイクブランドであるコルナゴ、ピナレロの創業者が現役を退いている中、ウーゴは今もデローザのトップに君臨している。
では、Bianchi(ビアンキ)について書きたいと思います。

(ウィキペディアから抜粋)

ビアンキ(イタリア語・英語:Bianchi)は、イタリアの自転車製造メーカー。現在の自転車(セーフティ型)が発明された年に創業しており、現存する中では世界最古の自転車メーカーである。 ロードバイク、マウンテンバイク、クロスバイク、折り畳み自転車といった様々な種類の自転車を販売するマスプロメーカーである。2005年には会社設立から120周年を迎えた。現在はスウェーデンを本拠地とするCycle Europeの傘下に入っている。2009年には東京にBianchi Concept Storeがオープンした。

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Bianchi VIA NIRONE 7ALU CARBON

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チェレステカラーのビアンキ製自転車(台湾モデル)

沿革

1885年、当時21歳のエドアルド・ビアンキ(1865年 - 1946年)がミラノのニローネ通り(via Nirone)で自転車の生産を開始。
1899年 自動車部門の設立
1955年 アウトビアンキとして自動車部門が独立
2005年 会社設立から120周年が経過
2008年 ロードバイクをHoC、B4P、C2Cと三つのグループに分類する
記念となる年には他のメーカー同様にイヤーモデルを生産している。

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近年のレパルトコルセモデルに付属するステッカー

生産体制

基本的には、ビアンキも他の自転車メーカーと同じようにデザイン部門と生産場所が異なっている。例えば、アメリカではBianchi USAがビアンキを取り扱っていて、デザインはアメリカ国内で(アメリカのニーズに合わせて)、生産は台湾で行われる。日本ではアメリカモデル・ジャパンモデル・レパルトコルセモデル・OEMモデル(BD-1など)が販売されている。
ロードバイクとマウンテンバイク、フラットバーロード及びシティサイクルの一部の車種はreparto corseと呼ばれる、レース用自転車製作部門において製造されていた。reparto corseでは、手作業でフレームが製作されていた。reparto corseモデルには「Hand made in Italy」(「Designed in Italy」ではない)というデカール(上写真参照)が貼られている。

ロードレースとビアンキ

ビアンキは、ジロ・デ・イタリアやツール・ド・フランスといった大きなレースで輝かしい成績を残している。特に有名なのはファウスト・コッピやフェリーチェ・ジモンディ、マルコ・パンターニらで、彼らはビアンキを使用してジロ・デ・イタリアとツール・ド・フランスを総合優勝している。
ダブルツールを最初に成し遂げた自転車もビアンキ製(ファウスト・コッピが使用)である。近年では、ダニーロ・ディルーカがビアンキを使用して2005年初代UCIプロツアーのタイトルを獲得した。
これらを含め、ビアンキ製自転車は
ジロ・デ・イタリア個人総合優勝12回
ツール・ド・フランス個人総合優勝3回
ブエルタ・ア・エスパーニャ個人総合優勝2回
世界選手権ロード4勝
世界選手権トラック6勝
UCIプロツアー年間総合一位1回
ミラノ~サンレモ19勝
ジロ・ディ・ロンバルディア16勝
パリ~ルーベ7勝
リエージュ~バストーニュ~リエージュ4勝
フレッシュ・ワロンヌ5勝
アムステル・ゴールドレース4勝
ツール・ド・スイス2勝
ドイツ・ツアー2勝
などの成績を残している。

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チーム・ビアンキの一員として2003年のツール・ド・フランスを走るヤン・ウルリッヒ

マウンテンバイク

ビアンキは積極的にマウンテンバイクを生産しており、90年代後半にはダウンヒルバイクも生産していた。近年ではクロスカントリーバイクに力を入れており、ワークスチームを持っている。アテネオリンピックではビアンキ製クロスカントリーバイクに乗ったジュリアン・アブサロンが金メダルを獲得している。彼は2002年にはMTBクロスカントリーU-23のヨーロッパチャンピオンにもなっている。
以下は、Bianchi製バイクがMTBレースで成し遂げた主な戦績である。
2004年 アテネオリンピックMTBXC金メダル
世界選手権9勝(クロスカントリーオリンピック3勝)(クロスカントリーマラソン2勝)
ヨーロッパ選手権9勝
イタリアナショナルチャンピオン9勝
ナショナルチャンピオン13勝 

特徴

アルミフレーム

ビアンキはアルミフレーム「メガプロ」により、現在まで続く大口径パイプを用いたアルミフレームの基本デザインを確立したメーカーである。

カーボンフレーム

レースで使用された初のカーボンモノコックフレーム(C4製)はビアンキC4であるが、以降のビアンキは自社でレーススペックのカーボンフレームを生産することには消極的で、近年のレースにおいてはプロ選手にもフルアルミモデルを使わせていた。しかし、2007年頃から本格的にカーボンフレームを製作し始め、近年ではナノカーボンに代表される最先端技術を使用してフレーム作りを行っている。2004年にはLUNAと呼ばれる、ホワイトカーボンを使用したコンセプトバイクを発表した。あまりの評判の高さに、コンセプトモデルと殆ど同一の物が台数限定で市販されたが、後に通常モデルとしてもLUNAの名を冠したフレームが市販された。

チタンフレーム

ビアンキは早くからチタンフレームの製作に取り組んでいた。リクイガス時代のマグヌス・バックステッドはビアンキのチタンフレームを好んで(カーボンフレームはあえて選択せずに)使用していた。パリ・ルーべではチーム全体が使用していた。

自動車

1899年、ビアンキは自動車部門も設立し(フィアットと並んでイタリア最古の自動車メーカー)、四輪自動車の開発・製造も行なった。戦時中は機関銃を搭載可能な自転車の開発など戦時産業にも携わった。また、二輪車初のベベルシャフトDOHCエンジンを搭載したモーターサイクルも製造している。そのモーターサイクルの一モデルとして有名であったのが、Freccia Celesteである。
第二次世界大戦後、工場の被災等もあって採算が悪化し、本体は本来の自転車産業に特化して、自動車部門はフィアット、ピレリの出資を受けてアウトビアンキ社として独立することとなった。フィアットの小型車のプラットフォームを使いつつ、独自の遊び心のある乗用車を製造し人気を博したものの、やがてフィアットが同社の全株式を取得するにいたって、ビアンキはブランド名の一部としてのみ残り、1992年にはブランド名も消滅した。

チェレステ

ビアンキの自転車は伝統的にチェレステ(イタリア語:Celeste、碧空、天空)という緑色に近い青色で塗装される。このチェレステはイタリアのマルゲリータ王妃の目の色をモチーフにしたという伝説があり、実際に創業者であるエドアルド・ビアンキが、1895年にマルゲリータ王妃に歴史上初の女性用自転車を彼女のために制作し献上した際に、その乗り方を指導している。また、その年のミラノの空の色を見て現地の職人が色を調合するとも言われており、チェレステカラーは毎年微妙に違った色になっているとされている。緑色に近い青色という通り、青みが強くなる年もあれば緑色の強い年もある。現在はホームページを作る際などの為にカラーコードがPantone 333 (C 38 / M 0 / Y 27 / K 0)と指定されている。

では、PINARELLO(ピナレロ)について書きたいと思います。

(ウィキペディアから抜粋)

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ヤン・ウルリッヒが1997年のツール・ド・フランスで使用し、優勝したモデル

ピナレロ (Pinarello) とはイタリアの自転車会社。名門ロードバイクメーカーであり、他にもトラックレーサー、クロスバイク、トライアスロン用自転車、シティサイクルや子供用自転車も製造する。
1953年、ジョヴァンニ・ピナレロによって興されたブランド。現在は息子のファウストが指揮を執っている。本拠地はトレヴィーゾ。
コルナゴ・ビアンキ・デローザなどと並び、イタリアンバイクの代表格である。
1990年代にはミゲル・インドゥラインの所属するバネスト(現在のモビスター・チーム)にフレームを供給し、ツール・ド・フランスやジロ・デ・イタリアなど多くの大レースで勝利を挙げたことで、一躍日本でもその存在を知られるようになった。(ちなみに、1991年から2007年までの間にツール・ド・フランスの個人総合優勝者が乗っていたフレームはピナレロの他にビアンキ、トレックの3社だけである)
現在では一般的なインテグラルヘッドやカーボンバックを開発したことでも知られており、また独特の形状をしたフォークを開発するなどデザイン面においても他社と一線を画しているほか、ホリゾンタルフレームを採用している数少ないメーカーのひとつである。カーボンフレームが主流となってきた近年においてアルミニウム合金やマグネシウム合金を使用した金属フレームを得意とする同社の地位は低下しつつあるかに見えたが、東レからカーボンシートの供給を受けるなど、意欲的に新フレームの開発に取り組むことで、第一級レーシング・ブランドとしての地位を維持している。
現在は「ピナレロ」ブランドの他、姉妹ブランドとして「オペラ」を製作・販売している。

偽造品の流通

ebay、Yahoo!オークションなどインターネットのオークションサイトにおいて、2008年後半から特定の種類、サイズ、色のフレームが正規品に比べ格安の値段で出品、落札されていた。2009年2月にイタリア・ピナレロ社およびピナレロジャパンは、ロード用フレームであるパリカーボンの偽造品が流通しているとして消費者に注意を呼びかけるコメントを発表している。