今日、初めてのブログ更新です。では、CANNONDALE(キャノンデール)について書きたいと思います。

(ウィキペディアから抜粋)

キャノンデール(英語:Cannondale Bicycle Corporation )は1971年に創業されたアメリカ合衆国の自転車メーカーであり、社名はコネチカット州の駅舎の名前から採ったものである。 高品質で高性能のアルミ自転車を開発・製造するメーカーとして強みを持つメーカーであり、フレーム以外にも自転車部品、サイクルウェアなどの自転車関連商品も製造販売している。これらはそれぞれ業界で新たな製品カテゴリーを切り開いてきた。

概要

自転車製造において、人件費の安い中国・台湾での大量生産が当たり前の現代において、キャノンデールはアメリカ国内でのフレーム生産をセールスポイントとしており、フレームに見られるHAND MADE IN USAという文字の通り他メーカーとの差別化を図ってきた。現在はアメリカ資本の企業ではなくなり、上位車種の一部を除き海外生産されるようになった。 自転車のデザインでも独自性やユニークさをアピールしており、CAAD(キャノンデールが独自の技術を活かし製造する高性能アルミフレーム)やLEFTY(片持ち一本サスペンション)などといったものもある。なお、今では当たり前になっているリアサスペンションマウンテンバイクを初めて量産したのもこのメーカーである。多くのライバルメーカーよりも先んじて、キャノンデールは1984年にマウンテンバイクを発表。先進的な自転車のデザインと技術をリードしてきた。これは短期間での販売増につながり、平均で年20パーセントの伸びを記録、1991年会計年度は5440万ドル、1996年会計年度は1億4600万ドル。全株子会社はキャノンデールヨーロッパBV、キャノンデールジャパンKK。1996年7月にはキャノンデールオーストラリア Pty Limited, 組立て済み自転車および自転車関連商品を輸入、また他社製造のコンポーネントも輸入する会社である。キャノンデール製品は60カ国以上で販売されている。

歴史

1960年代

死にそうになった経験がキャノンデールの創業者、ジョー・モンゴメリーの生き様を変えた。大学を中退して、カリブで船員となり、その後すぐ、雨と強風と15フィートの高波にあった。船は沈み、モンゴメリーは海中に放り出され、さめが徘徊している海の中で一夜をすごさなければならなかった。これは目覚ましのベルだった。水につかったあと、チャーター航海で知り合った友人からウォールストリートのアナリストのポジションを紹介された。
モンゴメリーはウォールストリートでは文句ばかりいっている男だった。役職はなかったがいい勉強になったという。このとき小さな事業がどのように資金繰りをし、事業運営し、問題を避けるのか、学んだ。この知識に加え、彼の生まれ故郷オハイオの農場で子供の頃得た経験を合わせ、機械好きかつ現実的な性格を生かし、飛行機や船のマストにはアルミを使うほうが木材よりもいいと思うことに至った。元気のいいアウトドア好きな男のモンゴメリーはアルミ製自転車は当時一般に使われていた鉄製の自転車よりも軽く、それに乗ればよりスピードが出せ、特に上り坂では有効だと考えた。
最初はキャンプ用品の事業を起こそうと思っていたが、3つの理由で自転車にしたという。1つは、技術的に遅れていた業界だったこと。先進的なものであれば切り開けると思った。2つめは流通が古いやりかたのままだったこと。当時はほとんどすべてのメーカーが卸業者を使っていた。自転車はメーカーから卸業者へ、そして、販売店へ、そして顧客へと渡っていた。モンゴメリーはこれをメーカーから販売店そして顧客へとすべきと考えた。これについて「しかもキャノンデールは業界初の直販会社だと思う」とモンゴメリーは言う。3つめは、これら2つの理由を足し合わせれば、コンピューター業界でなされたような平均以上の成長ができると考えたこと。技術変革に流通変革を加えれば成長につながると考えた。

1970年代~1980年代初頭

会社名はコネチカットの駅キャノンデールから名づけたが、まだ自転車を作るまでには至らなかった。モンゴメリーは資金がそれほどいらない自転車関連商品の製作からはじめた。対企業向けとしてバッグやウェアを作りLLビーンのカタログなどでも販売した。これでさらなる資本強化ができた。パートタイムで働いていた従業員6人とともに子供を載せる自転車リヤカーを開発し発表した。名前はバガー。これでキャノンデールは初めて100万ドルを売り上げた。小さな子をもつ自転車好きの両親に人気となった。まだ一人では自転車に乗れない子供を連れて自転車を楽しめるからだった。
モンゴメリーは販売店との関係強化に乗り出した。スタッフが販売店に出向いて講習や販売サポートをし、より、顧客との関係も強め、ニーズ&ウォンツを聞き出そうとした。卸業者を飛ばしたことで25パーセントほどのコストを削減できたがこれは顧客に還元した。キャノンデールはさらに世界中で最良の販売店のみでの販売とした。これで注文が入る最初の部分から精緻な販売管理をおこなった。
1983年になって初の自転車を発表することができた。先進的な大型のアルミチューブのモデルで、他のアルミ製自転車に比べ手ごろな価格だった。これがすぐに販売に貢献し売上に700万ドルを上乗せする貢献をはたした。1984年には初のマウンテンバイクを発表。幅広のタイヤ、直線的なハンドル、オフロード志向のデザインが目を引いた。他社が追従してアルミ製モデルを商品化した。キャノンデールは走り続け、マウンテン、レーシング(細いタイヤとカーブしたハンドルの軽量自転車)、ハイブリッド(直線ハンドルでより直立姿勢に近いポジションのもの。タイヤは細め)、ツーリング(ロードレース用に似ているがフレームは荷物が載せられる)、スペシャルティ(タンデム、マルチスポーツなど)を展開。1997年報告書では自転車をより軽量に、より頑丈に、より速く、より快適にが開発方針だと記している。

1990年代

キャノンデールは次のように広告した。『ほとんどの自転車会社が極東メーカーで作ったモデルを販売しているが、これは同一モデルのコピーを販売しているものだ。キャノンデールはオリジナルで、特許を保有する(米国特許を48取得)、手作り、アメリカ国内の工場で。新しいフレームは他社の「火であぶった弱いメタル」とは異なり、ハイグレード(高品質)のアルミ製で、航空機で使われているもの。コネチカット州ジョージタウンの本社の開発部でCADを使って設計し、このデータをペンシルベニア州のベッドフォードやフィリップスバーグの工場にモデム経由で転送し、コンピュータ制御のハイテクレーザーで仕様どおりにアルミが切断され曲げられる。これでキャノンデールは開発と製造のリードタイムを最小限に短縮できる。125000平方フィートのベッドフォード工場には23エーカーの土地があり、ここは自転車とウェアの主要生産拠点となっている。ここはまたカスタマーサービスの拠点でもある。4万フィートのピッツバーグ工場は12エーカーで、関連商品(アクセサリー)やウェアの一部、自転車のサブアセンブリーを製造している。』
マウンテンバイクの人気が海外でも成長していることから、キャノンデールはアメリカの自転車会社として初めて海外に展開し、先進的なアルミフレームで高い評価を得ている。モンゴメリーによると、ヨーロッパの自転車環境は人口増加と自動車維持コスト増によるもの。ヨーロッパではアメリカはマウンテンバイクの聖地だと考える人が多く、アメリカのプレスがなんていうかを見つめている。そしてアメリカのプレスがキャノンデールだと声高々にいっている。 1980年代半ばにはヨーロッパと日本に子会社を設立。後にオランダとオーストラリアも。中国と南米への進出も考慮中。
キャノンデールは1991年にエレベーションサスペンションテクノロジーを発表。これをマウンテンバイクのリアサスペンションとして使い、粗い地面でもタイヤが接地するようにした。アルミをコアとしカーボンファイバーで表面を覆ったフレーム、アルミ仕上げだが通気性のあるジャケット、ベルトバッグなどの先進的な商品を出した。缶をリサイクルし、気体状にして使用した。アルミ仕上げで体温維持が53パーセント向上した。
1997年に世界中で販売される予定のものに、高性能スポーツ用車いすの一連のシリーズがある。これは障害者アスリート向けのもので、最初のモデルは、4 輪フルサスペンションオフロード用。これは開発に7年かけたもので、独特の推進システムを備えクロスカントリーやダウンヒル用。図面段階のものだが他にロードレース用、テニス/バスケット用、軽量汎用がある。モンゴメリーの参入動機とは、個人的なもので、息子のマイケルが車いす使用者なのだ。モンゴメリーは軽量車いす市場が年400万ドル市場となることを願っているという。『当初の目標は世界の車いす市場で1割をとること。障害のあるアスリートがより生きがいをもてるようなすばらしい機会と感じてもらえると思う。』 キャノンデールがアスリートにインタビューしたところ、スポーツ用車いすは医療関係からではなくスポーツ店での購入が多いという結果となっている。
1994年から株式公開を行った。1996年に増資。これにより売上と利益が最高となり、前年比約20パーセント増。急速な成長のためキャノンデールは10マイルほどのBethelにより大規模な工場を建設。ジョージタウン1830年代の3エーカーの敷地にある納屋を改築したものだった。従業員は身の回りのものに古いものを選んだり、ハイキングやバイキング(自転車のり)の愛好家を好むような、モンゴメリーのカジュアルな管理スタイルに感心していた。モンゴメリーは会社のウェイトルームでワークアウトしたり常に自転車に乗ることを勧めていた。これはストレスを発散し仕事にまい進できるようにするだけではなく、みんながキャノンデールの最新の開発に文字通り乗ることを許していたのだった。12人の開発者は自転車を軽量に、頑丈に、高速に、より快適にしていた。
1994年1月から、キャノンデールはボルボ/キャノンデールはマウンテンバイクレーシングチームの共同スポンサーとなり、広く知名度を上げようとした。最初のシーズンの1994年世界マウンテンバイクチャンピオンシップで金メダル2個、銀メダル1個。1995年にはタイメックスキャノンデールロードレーシングチーム、ニューバランスキャノンデールトライアスロンチーム、キャノンデールワールドフォースBMXチーム、Saecoプロロードサイクリングチーム、これはツールドフランスやツールデュポンでの強力なチーム。アスリートたちはキャノンデールの自転車に加え、サイクリング用アパレルも宣伝してくれる。自転車の売上(特にヨーロッパで成功している)よりも上を行こうとしているのがウェア(clothing)やアクセサリーやコンポーネントだ。キャノンデールでは1997年の自転車以外の売上を15パーセントと見積もっている。
ジョー・モンゴメリーはキャノンデール創設来の会長、社長、兼CEOで、量より質で成功を勝ち取ってきた。『大量に自転車販売しようとは思っていない。つまり、中国製ほどは販売しないということ。これは私たちがしようと思うことじゃない。わたしたちは自転車界のメルセデスベンツになりたい。ボルボやポルシェでもいい。』
"Speed is Our Friend"「スピードが友達」これがキャノンデールのモットー。この4ワードは世界的なトッププロサイクリングチームへのキャノンデールのサポートをあらわしてもいるが、より根源的には、目にも止まらぬすばやい開発プロセスをおこなうという公約ともいえる。考えられないスピードで、スポンサーとなっているライダーと開発スタッフのひらめきを技術的に優れた商品に結実させること。その底辺には、"Speed is Our Friend"世界一早い自転車を生み出す決意を表している。世界一の自転車会社でありたいという情熱。1)お客様、販売業者お互いを尊重します。2)先進的な商品を途切れることなく開発しつづけ提供しつづけていきます。3)常に改良しつづけます。4)細かいことにもこだわります。5)最良の販売店だけで販売します。6)社員が無駄なく適正に働くように会社を運営します。

2003年~現在

2003年には、モーターサイクル事業にも乗り出したことが仇となって経営危機に陥り、連邦倒産法第11章を申請して事実上倒産、モーターサイクル部門の閉鎖と経営陣の刷新を行った。新経営陣の下、それまで頑なに守っていた「アルミのキャノンデール」「メイド・イン・USA」というイメージから脱却し、現在は他のメーカーと同じように生産を台湾中国など海外に移転、フレームのカーボン化などに対応している。 Cannondale Bicycle Corporationは2003年からの会社で、破産後投資会社ペガサス傘下となってから新たに設立されたものである。4年で再建されて20億ドルと交換で投資会社として売却。2008 年に”カナダに本社を置くアメリカ企業”のドレル傘下になりました。再建を果たしたマット・マネリー社長は、ドレル傘下で引き続きCOOである。新CEOは同じドレル傘下となった時点からパシフィックサイクルのCEOを務めたJeff Frehnerが就任した。 2009 年4月からはサイクリング・スポーツ・グループと名称変更。シュウイン、GT、マングース関連部門はキャノンデールのコネチカット州ベセルに移転となった。キャノンデールの自社フレーム生産は終了し、アジアへの外注生産に完全移転も決定した。
キャノンデールは、ドレルインダストリーが買収。2010年現在は、ドレル傘下の自転車部門ドレルレクリエーショナルレジャー社(Dorel R/L社)のサイクリングスポーツグループ社(CSG社)のブランドの一つであり、会社組織的なキャノンデールはすでに存在しないが、会社登記上は残っている。Dorel R/L社傘下には、CSG以外に量販店向けのパシフィックサイクルグループ(PSG)と、Sugoiアパレルをベースとしたアパレルフットウェアグループ(AFG)がある。CSGでは他に、GTとシュウインとマングースを取り扱っている。シュウインやマングースは量販店やウェアもあり、帰属ブランドはCSGでも実際の商品としては PSGやAFGが扱う商品につけられるラベルとして使用されることもある。

車種

現行車種

以下に記載する車種は、2010年現在のものである。
Slice (2007-
SUPERSIX (2008-
SIX (2009-
CAAD10 (2010-
CAAD 9 (2007-
CAAD 8 (2006-
Capo (2007-
29'er (2008-
Moto (2009-
Rize/RZ (2009-
Flash (2010-
F Series(1995-
CO2(2010-
Quick (2009-
Hooligan (2008-
Bad Boy (2000-
Scalpel (2002-
Cyclocross (2002-
IFG (2003-
Synapse (2006-
Touring (2008-
Comfort (2001-
Street (2001-
Adventure (2001-

絶版車種

SR Series (1983-1991)
SM Series(1984-1991)
SE Series(1991)
SH/SC Series (1985-1991)
ST Series (1985-1991)
T Series(1992-2007)
M Series(1992-2001)
R Series(1992-2006)
H/C (1992 -2001)
Silk Path (1997-2003)
Track (1993-1995) & (2003-2004)
BMX (1995-1996)
Silk Road (1996-2003)
Sport Road (2004-2006)
Silk Warrior (2002-2003)
Road Warrior (2001-2008)
XR/XS ( 1998-2001)
Super V(1993-2002)
Multisport (1997-2002)
Ironman (2003-2006)
Easy Ridder/Recumbent/Bent (2002-2006)
Delta V (1992-1994)
Killer V (1994-1999)
Raven (1997-2001)
Gemini (2002-2007)
Jekyll(2001-2005)
Prophet (2005-2008)
Daytripper (2006-2007)
Caffeine (2007-2009)
Taurine (2007-2009)
Chase (2004-2009)
Gracia (2006)
Judge (2007-2009)
Perp (2007-2009)
Rush (2006-2009)
SIX13 (2005-2008)
SYSTEMSIX (2007-2008)
では、SPECIALIZED(スペシャライズド)について書きたいと思います。

(ウィキペディアから抜粋)

スペシャライズド(Specialized Bicycle Components )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州の自転車関連問屋である。"Innovate or Die"(技術革新か死か)を社是に唱え、古くから4バーリンケージのリアサスペンションMTBやフルカーボンアウターレッグのフロントサスペンション、メタルマトリクス(「M2」)フレーム材、3スポークバトンホイール等、積極的に新しい技術を製品に採用することで知られる。

沿革

1974年にマイク・シンヤードにより設立された。 1981年には世界初となる量産型マウンテンバイク「スタンプジャンパー」の販売を開始している。当時のスタンプジャンパーは日本の新家工業によるOEM生産で、その後も日本メーカーによる高品質なスチールフレームは高い人気を博した。
ロード用モデルも評価が高く、近年では2年連続世界王者となったパオロ・ベッティーニやベルギーの英雄トム・ボーネンが所属することで知られるクイックステップ・サイクリングチームなどに機材を供給していた。また2009年からはチーム・サクソバンクに機材供給を開始、2010年からはアルベルト・コンタドールと個人契約を結び、これに合わせてコンタドールが所属するアスタナにも機材供給を開始する。

業態

自転車を自社生産する会社ではなく、自転車部品や用品の企画と流通を手がける会社である。現在はメリダ・インダストリーの傘下にあり(連結子会社ではない)、生産はメリダ工場で行われている。

日本における輸入代理店

2006年11月ダイワ精工が、1990年から続いてきたスペシャライズドとの日本総代理店契約の終了を表明した。2007年4月30日契約を終了し、5月以降は新たに設立されたスペシャライズド・ジャパンが同ブランドの販売を開始した。また、アフターサービス等も、順次ダイワから移管されることとなっている。

では、GIANT(ジャイアント・マニュファクチャリング)について書きたいと思います。

(ウィキペディアから抜粋)

ジャイアント・マニュファクチャリング(英語名:Giant Manufacturing、台湾語名:捷安特)は、1972年に台湾で設立された自転車製造メーカーである。

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アレクサンドル・ヴィノクロフ選手が ツール・ド・フランス2005で使用した、ジャイアントのロードレーサー

概要

ウナギの養殖業を営んでいた劉金標であったが、1971年、彼の養殖施設は自然災害で壊滅的被害をこうむった。明くる1972年、起死回生の一策として転進したのが自転車部品製造業であった。
当初はOEM生産のみで年間生産台数も2,000台に満たず、何度も倒産の危機に見舞われていた。しかしその後、アメリカの大手メーカーであるシュウィン・バイシクル・カンパニー(英語版)の下請けに参画したことで大きく飛躍を遂げ、多数のメーカーのOEM生産を手がけることで技術も蓄積した。
1980年に台湾第1位の自転車製造メーカーとなって以降、1986年にはヨーロッパ、1987年にはアメリカ合衆国に進出。1989年(平成元年)からは日本法人も構えている。生産された自転車のほとんどは国外輸出向けであり、自社ブランドが育った現在でも他社のODM、OEM生産に積極的に携わっている。
本社は台湾の台中県大甲区(旧・大甲鎮)に所在する。主要な生産物は、中・低価格帯のマウンテンバイク、クロスバイク、ロードレーサーで、そのほかにも競技用自転車や折り畳み自転車など様々な自転車を開発・生産・販売している。また、松下電器、フォード、ルノーと共同で電動アシスト自転車の開発にも携わった。

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クロスバイクの "Escape R2" (2008年モデル)

年表

1972年:劉金標が、自転車部品製造会社として「巨大機械股份有限公司(ジャイアント・マニュファクチャリング、Giant Manufacturing Co. Ltd. in Taiwan)」を創業する。
1978年:ツール・ド・台湾(英語版)(その前身大会)を創立。
1980年:自転車製造業で台湾第1位の年商を達成。
1981年:販売会社・台湾捷安特銷售公司 (Giant Sales Company, Taiwan) の設立。
1986年:オランダにヨーロッパ支社(歐洲總部、Giant Europe BV)を設立。
1987年:アメリカ合衆国支社(美國總部、Giant Bicycle Inc., USA)の設立。
1989年(平成元年):日本に販売会社(日本捷安特銷售公司、Giant Company Ltd., Japan)を設立。
1991年
カナダに販売会社(加拿大捷安特銷售公司、Giant Bicycle Co., Canada, Inc.)を設立。
オーストラリアに販売会社(澳洲銷售公司、Giant Bicycles PTY Ltd., Australia)を設立。
1992年:中国本土に販売会社(中國大陆銷售公司、Giant Co. Ltd., China)を設立。
1994年:台湾証券取引所に上場 (TWSE: 9921)。
1996年:オランダにヨーロッパ製造工場を創設。
1997年:中国江蘇省の崑山市に昆山捷安特輕合金科技有限公司 (Chuansin Metal Products (Kunshan) Co. Ltd., China) を設立。
1998年度:年間生産台数2,840,000。
1998年(平成10年):日本の自転車関連企業・ホダカの大株主となる(株式保有率30%)。
2002年度:年間生産台数4,730,000。
2003年:ツール・ド・台湾(英語版)が開催され、ガデル・ミズバニ率いるジャイアント・アジア・レーシングチーム(英語版) (GNT) が総合優勝(初優勝)を遂げる。
2011年(平成23年)4月5日:東日本大震災が発生した日本に対し、震災復興支援特別仕様車の提供を発表(詳しくは後述)。

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ジャイアントのヘッドバッジ (en)

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折り畳み自転車 "Halfway" (ハーフウェイ)

製品


手頃な価格帯の製品に強みを持つ同社であるが、Tig溶接のアルミフレームやカーボンフレームの製造に関しては世界屈指の技術力を持つ。高度に機械化された生産ラインは同社の最大の特徴で、低価格高品質な製品の製造を可能にしている。スローピングフレームと呼ばれる極端にトップチューブの傾いたフレーム設計は同社が開発した技術で、これは世界的に普及し、他社からも多くのスローピングフレームが発売されている。
また、コンポーネントメーカーのSRAMや、ブレーキのテクトロ (Tektro)、ホイールのフォーミュラ (Formula) などといった台湾の自転車部品メーカーとの繋がりも深く、より一層のコストダウンを可能にしている。
現在では高い技術力を生かしてプロのロードレースにも積極的に進出している。スペインのプロ自転車チームであるオンセ (Once) に対するフレーム供給を皮切りに、ドイツのプロ自転車チームT-モバイルにフレームを供給。現在はオランダのプロ自転車チームラボバンクにフレームを供給している。また、ODM・OEM生産ではコルナゴなどの低価格な製品の生産も行なっている。

社会活動

被災地援助・復興支援

GIANT ROCK (ジャイアント・ロック) 震災復興支援 特別仕様車
2011年(平成23年)3月11日に日本で発生した東日本大震災の被災地に対する当面の援助と復興のための支援として、ジャイアント・マニュファクチャリングは、被災地で活動する自治体の職員やボランティア向けに、自社のマウンテンバイク「ロック」の塗装を変更するなどした特別仕様車1,000台を、修理キットと併せて無償で提供すると発表した(4月5日公表)。初回納入は被災地の地方公共団体を通じてなされ、避難所や仮設住宅、ボランティア統括事務局などに対して4月末頃に800台が提供された。
今日、初めてのブログ投稿です。では、SCOTTについて書きたいと思います。

(ウィキペディアから抜粋)

スコット(SCOTT)は、スイスに本部を置く企業。主にスキー用品と自転車用品を取り扱う。この項では主に自転車について記述する。

沿革

1958年、スキー用ストックメーカーとして創業。
自転車メーカーとしてのイメージが強いが、現在も主力はスキー用品であり、スキー用品のメーカーとしては名実ともに世界一である。
1986年、競技自転車の世界に進出する。
1989年、ツール・ド・フランスでアメリカ人ライダーのグレッグ・レモンがエアロバーを使用して勝利を収める。
1992年、最初のフルサスペンションバイクを制作。
以降、カーボンを主素材としたフレームの制作を続ける。
2001年、世界初の1㎏を切るフレームの開発に成功する。
2002年、ツール・ド・フランスでパトリス・アルガンがステージ優勝を飾る。
2003年、世界最軽量フレームの軽さを更新する(車種はCR1)。
2009年、チームコロンビアHTCのオフィシャルバイクスポンサーになる。
2009年、シーズン132勝を21人の異なるライダーで成し遂げる。

現在の主な車種

ロードバイク
ADDICTシリーズ
CR1シリーズ
SPEEDSTERシリーズ
CONTESSAシリーズ(レディース用ロード)
シクロクロス
CX
トライアスロン
PLASMAシリーズ
クロスバイク
SUBシリーズ
SUB40シリーズ
SUB30シリーズ
マウンテンバイク
VOLTAGEシリーズ
その他のマウンテンバイク
では、COLNAGO(コルナゴ)について書きたいと思います。

(ウィキペディアから抜粋)

コルナゴ(Colnago )は、イタリアに本社を置く自転車メーカー。
創業者はエルネスト・コルナゴ。
これまでに140以上のチーム、2500人を超えるプロ選手により7000以上の勝利を挙げ、自転車競技の歴史の一部となるまで発展を遂げてきた。スポーツ用自転車メーカー、ロードバイク用フレームビルダーとしては名実ともに世界一と賞賛される。

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プロチームであるラボバンクが使用していたモデル

沿革

1932年2月9日 - エルネスト・コルナゴがイタリア、ロンバルディア州ブリアンツァ地方のカンビアーゴで農家の長男として誕生。
1944年 - カンビアーゴの工場で働き始め、初めての溶接を経験。
1945年 11月25日 - ミラノの工房グロリアで奉公を開始。
1946年 - 選手としてレース活動を開始。
1947年 - ロードレース初勝利、以後コッパ・カルディローラを含め13勝。
1952年 - カンビアーゴの小部屋を借り、そこで自転車の製造・修理の下請け業を開始。
1954年 - 独立して正式に自身の店を持つ。これが「コルナゴ」の始まりである。
1957年 - フォークの低温溶接法を発案。
1970年 - 現在でもシンボルとして存在するクローバーのマークを使用。
1972年 - エディ・メルクスがコルナゴで49.432kmのアワーレコードを樹立。
1975年 - メキシコアワーレコードで使用されたリブ入りフレームを発案。
1978年 - コルナゴ一家がローマ法王に拝謁。ロードレーサー献上。
1980年代 - カーボンを素材とした空力形状のTTモデルを多数試作。
1983年 - 冷間引き抜き工法や星形形状のリブ入りパイプを取り入れたクロモリ・フレーム、「マスター」を開発。
1986年 - F1技術で世界を先駆するフェラーリとのコラボレーションを開始。
1987年 - プレチーザ・ストレートフォークが誕生。
1989年 - フェラーリのエンジニアリングとのコラボレーションによる、カーボンモノコックフレーム「C35」(コルナゴ35周年記念モデル)が誕生。
1991年 - 双胴パイプの「カルビトゥーボ」を発表。
1992年 - カルビトゥーボをスペイン国王に献上。
1993年 - カルビトゥーボのシルエットをベースにしたチタニウムフレーム「ビチタン」を発表。
1994年 - トニー・ロミンガーがコルナゴで55.291kmのアワーレコードを樹立。
1994年 - コルナゴ40周年記念モデルとなるカーボンフレーム「C40」を発表。
2000年 - フェラーリとのコラボレーションによる集大成、限定版カーボンロードレーサー「CF-1」を発表。
2001年 - フオスカル・フレイレ、コルナゴマシンにより世界選手権優勝。3位までコルナゴマシンが独占。
2005年 - ミケーレ・ラスムッセン、ツール・ド・フランスで山岳賞をExtreme-Cで獲得。
2006年 - オスカル・フレイレ、ツール・ド・フランス3ステージ制覇。
2007年 - アレッサンドロ・ペタッキ、自らの為に開発された「Extreme-Power」を駆って勝利を量産。
2010年 - 日本を代表するロードレーサーである新城幸也が所属するブイグテレコムへの供給が決定。この年のジロ・デ・イタリアで日本人最高位のステージ3 位、ツール・ド・フランスではステージ6 位、世界選手権ロードレースでは9位に入る快挙を成し遂げる。

これまでの限定車

2002年 COLNAGO for Ferrari - CF-3
F1フェラーリチームの顔をイラストペイントした限定車。
2003年 ANNIVERSARY
創業50周年を記念した限定車
2006年 ForEver
コルナゴ夫妻の結婚50周年(日本で言う金婚式)を記念した限定車。世界限定50台、そのうち20台は日本で発売。
2008年 COLNAGO for Ferrari 60th Anniversary - Lightweight wheel version
フェラーリ創立60周年を記念して世界限定60台で発売。
2008年 Extreme-Power Scuderia
アレッサンドロ・ペタッキらによって勝利を量産した「Extreme-Power」に、世界最高峰「Lightweight」社フルカーボンホイールを装備。世界限定20台。
2009年 COLNAGO for Ferrari - CF7
Carbon wheel versionが世界限定99台、Aluminum wheel versionが世界限定199台で発売。
2010年 Master 55th Anniversary
コルナゴ社創業55周年を記念して制作。世界限定99台、そのうち25台は日本で税込1,260,000円にて発売。
2011年 C59 Scuderia
世界限定59台、税込1,890,000円にて発売。
2012年 C59 ITALY Anniversary
イタリア建国150周年記念モデル。世界限定150台、完成車価格税込1,575,000円、フレーム単体(フロントフォーク付)価格税込630,000円にて発売。
など

では、TREK(トレック・バイシクル)について書きたいと思います。

(ウィキペディアから抜粋)

トレック・バイシクル(英語: Trek Bicycle Corporation )はアメリカ・ウィスコンシン州ウォータールーに本社・工場がある総合自転車メーカーである。単にトレックと呼ぶことが多い。 傘下のフレームメーカーにGary Fisher、パーツメーカーにbontragerを持っている。アパレルは自社ブランドトレック以外にナイキを扱っていたがナイキの扱いは2007年をもって終了した。

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トレックの上位グレードのロードバイクmadone5(2007年モデル)

技術

・ロードバイクの上位モデルのmadoneやトライアスロンバイクの上位モデルのスピードコンセプトや上位のマウンテンバイクに上は独自開発のOCLVカーボン(炭素繊維強化プラスチック)を使用しており、一般ユーザーだけでなくプロ選手からも高く評価されている。
・個人がカスタムしたフレームカラーやアウターケーブル、コンポネート、ヘッド、シート、ステム、ハンドル、タイヤ、ホイールを選ぶことができるProject Oneというシステムを持っている。

大会

・2004年に黄色いブレスレット"LIVE STRONG"で有名になったランス・アームストロングはトレックのロードレーサーに乗り、1999年から2005年の引退までにツール・ド・フランスで前人未到の個人部門7連覇を達成した。
・07/09ツール、08ジロ/ブエルタを制し史上最速の3大ツール制覇となったアルベルト・コンタドールもこの4つのツールをすべてmadone6.9で勝ち取っている。
・2011年からはシュレク兄弟やファビアン・カンチェラーラなどが所属するレオパード・トレックがmadone6.9SSLを使用しておりリーヌス・ゲルデマンがツール・ド・ルクセンブルクで総合優勝している。
・その他にも2010年からランス・アームストロング率いるチーム・レディオシャックがmadone6.9SSLを使用して2010年のバスク一周でクリス・ホーナーがクリテリウム・デュ・ドーフィネでヤネス・ブライコヴィッチが総合優勝している。

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ツール・ド・フランスを7連覇したランス・アームストロングが2004年のツール・ド・フランスで、トレックのTTバイクエクイノクス・TTXをライディングする。

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TTバイクのスピードコンセプト

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ランス率いるチーム・レディオシャックもトレックのバイクを使用
こんばんわ、今日初めてのブログ更新です。では、自転車メーカーのFELT(フェルト)について書きたいとおもいます。

(ウィキペディアから抜粋)

フェルト(Felt GmbH 、Felt Bicycles LLC )はドイツおよびアメリカ・カリフォルニア州に拠点をおく自転車メーカー。

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Felt Beachcruiser ZERO SEN

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Felt Z6

沿革

創設者であるジム・フェルトはもともとヤマハ、カワサキ、スズキ、ホンダなどのメカニックとしてモーターレース用のオートバイフレームを製作していたが、1989年、自身が乗るためのトライアスロン用自転車フレームのデザインを始めた。このフレームの出来に驚いたプロ選手たちがジムにフレームの製作を依頼するようになる。
やがて自転車業界では新興メーカーであったイーストン・スポーツから声がかかり、ジムはイーストンの依頼で製品開発に携わることになる。特にトライアスロンとシクロクロスの分野では彼の製作したフレームが幾多のチャンピオンを生み、その評価を確固たるものとした。
1994年イーストンを離れたジムは2000年までアンサー・プロダクツと提携して製品開発を続け、2001年独自ブランドを立ち上げた。これに際し、従来ハイエンドのレース用機材が中心であったものを、世界的マーケットで幅広いラインアップを擁する総合自転車メーカーへの転換をビジョンとして、ジムのパートナーとなったのがアメリカ人ビル・デューリングとドイツ人ミヒャエル・ムルマンである。
ビル・デューリングはワシントンD.C.で3代続く自転車店経営者の家庭に生まれ、大手自転車問屋に就職する。そこでBMXを中心とした自転車の流通・販売ノウハウを得た。一方ミヒャエル・ムルマンは大学で経営学と経済学を学ぶかたわら学費を捻出するためにスポーツ用品の輸入販売を営み、自ら自転車店を開業したり、のちにはBMXやマウンテンバイクの製造をも手がけるようになった。2人はBMXの販売を通じて知り合い、フェルトブランドの立ち上げに資金面および人材面で協力することとなる。
その後はヨーロッパとアメリカの二極体制で事業を展開し、現在ではロードバイク、トライアスロンバイク、シクロクロス、BMX、マウンテンバイク、トラックレーサー、軽快車などラインアップを拡大し、27か国に140モデルを供給する中堅メーカーとなっている。

日本におけるプレゼンス

日本においてはGTバイシクルズと同じく、ライトウェイプロダクツジャパンが総輸入代理商社となっている。
フェルトはもともと大規模な宣伝を打たず口コミでシェアを伸ばしてきた経緯から、日本のスポーツ車マーケットでは地味な印象を拭えなかった。しかし2007年にはアメリカのUCIコンチネンタルプロチーム、チーム・スリップストリーム・パワード・バイ・チポートレ(現、ガーミン・サーヴェロ)に機材供給を開始、2010年まで同チームに機材を供給した。2008年にはジロ・デ・イタリアのチームTTで優勝し、同年のツール・ド・フランスにワイルドカード枠で出場した。2009年のブエルタ・ア・エスパーニャでは3つのステージ優勝をチームにもたらすなど、その認知度は着実に上昇している。
シマノ アルテグラについて書きたいと思います。

アルテグラ(ULTEGRA )はシマノが作るロードバイク用コンポーネント。現在のラインナップでは最高峰のデュラエースに次ぐ2番目のグレードと位置づけられている。なお、アルテグラは釣り具など自転車部品以外のシマノ製品にも広く使われている商標である。
UltimateとIntegrateを組み合わせたシマノの造語。登場時はシマノ600という名称で高級機種のデュラエースに対してツーリング向け・廉価機種という位置づけであったが、その後度々改名されるとともに高級機種へと変化していった。
ランニングコストが安く性能が高いとしてデュラエースよりも好んで使用する自転車愛好家も存在する。また選手の練習用にも良く採用され、ヨーロッパのプロ選手にも多く使われている。 完成車では定価30万円前後のものに採用されることが多い。
ハンドルから手を放さずに変速できるシステムを、デュアルコントロールレバーにより実現している。
2007年秋に軽量版(上位版)としてアルテグラSLが発売され、完成車だと定価30~35万円前後のものに採用されている。

開発の経緯とシリーズの歴史

1976年 - シマノ600(ランドナー向けのツーリング用パーツ):
1980年 - シマノ600EX(アラベスクパターンを特徴とした、古典的ツーリング&ロード用途):
1985年 - NEW シマノ600EX(ロードバイク入門-中級者向けコンポへとシフト):
1986年 - NEW シマノ600EX-SIS(インデックス機構を初採用):
1992年 - シマノ600アルテグラ(STIの採用、リアの8速化)
1997年 - シマノアルテグラ6500系(リアの9速化)
2004年 - シマノアルテグラ6600系(リアの10速化)
2007年 - シマノアルテグラSL(6600系をベースに軽量化した上位版)
2009年 - シマノアルテグラ6700系《デュラエース7900系に準じたデザインに(カンパニョーロを模したハンドル周りのワイヤリングが特徴)》
2011年 - シマノアルテグラ6770系(Di2システムの採用)
シマノ 105について書きたいと思います。

105(いちまるご)はシマノが作るロードバイク用コンポーネント。

概要

デュラエース(型式7000系)、アルテグラ(6000系、旧名"600")に次ぐ3番目のグレード(5000系)。ロードバイクへの本格入門用パーツとされ、上級の完成車や、セミオーダー・オーダー車用の本格的なパーツでありながらリーズナブルな設定がされており、完成車では定価15~25万円のものに採用される。最新モデルでは上位機種と同じく後変速が10スピードとなり、よりパフォーマンスが高くなってきている。

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SHIMANO 105 リアディレイラー

開発の経緯とシリーズの歴史

1982年 - 初代105がデビューした。アローポイント(矢)をイメージさせるデザインであった。値段も抑え目であったことから、ヒット商品となった。
1986年 - デビューのリア6速仕様モデルでSIS(シマノ・インデックス・システム)が採用された。
1993年 - 8速仕様モデルがデビュー、同時にSTIが採用される。
1998年 - 番号表記が変わり(例:マイナーチェンジ前のデュアルコントロールレバー:ST-1050→マイナーチェンジ後:ST-5500)、5500系がデビュー。リアが9速化された。カラーもシルバーとブラックが用意され、カラーコーディネートの幅が広がった。
2005年 - 5600系がデビュー。リア変速機が10段化され、今までアルテグラ、デュラエースにしか使われなかったスパイダーアームが使われるようになった。クランクやスプロケットは初心者や脚力に自信の無いライダーへの配慮がなされ、今までアルテグラでしか入手できなかったローギア27Tのスプロケットもラインナップに加わり、今までロードのトリプルには52Tや53Tしかなかったが、あえて50Tにし、単に脚力への配慮だけでなく変速性能も確保されている。
2009年 - 5600系のブラックモデル発売開始。ほぼ同時にフロント側デュアルコントロールレバーのダブルギア専用品、ST-5601Lがラインナップに加わる。
2010年 - 5月 5700系の発売開始。上位モデルとの互換性が向上した。またシフトケーブルのハンドル内蔵、クランク形状が上位モデルを継承する形となった。
シマノ ティアグラについて書きたいと思います。

ティアグラ(TIAGRA )は、シマノが作るロードバイク用コンポーネント。シマノでは自転車用パーツにグレードを設けて販売しているが、デュラエース、アルテグラ、105に次ぎ4番目。主にポタリング・街乗り向けのSORAより上のグレードに位置づけられる。
現在はSTI(シマノトータルインテグレーションの略称。ブレーキ操作とシフト操作の両方を手元で行うレバーで、デュアルコントロールレバーとも言われる)、9段変速など上位グレードと遜色のない機能を備えており、同じ9段であれば上位モデルとの互換性もある。ただし2005年に105が10段変速へとモデルチェンジしたため、4600系登場の2011年までは上位モデルとの互換性がないも同然となってしまっている。
値段も抑え目で上記のように拡張性もあることから、街乗り用としては高級、レース用としては入門コンポーネントに位置づけられる。実売で10万円~15万円の完成車に取り付けられて販売されていることが多い。

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ティアグラのリアディレイラー

開発の経緯とシリーズの歴史

かつてロードバイクが今ほど人気でなかった時代、シマノのロードバイク用コンポーネントのラインナップの最下端を担っていたのは105であった。しかしバブル景気の中でロードバイクが流行し、これを受けてシマノは市場拡大を図り1990年にRX100というコンポーネントを発売する。1994年のマイナーチェンジでSTIシステムを搭載し、リア8速化。1999年にRX100が廃止され、その後継グレードとしてリアが9速化されたティアグラ(4400系)がデビューした。
2007年にはリア9速のままで4500系にモデルチェンジした。上位機種同様クランクとBB軸が一体型の構造(中空クランクではないため、いわゆるHOLLOWTECH IIとは呼称されない)が採用されるなど、注目すべき点は多々あるが、何と言っても最大の目玉は『オプティカル・ギア・ディスプレイ』がロード用のコンポーネントとしては初めて搭載されることとなったデュアルコントロールレバーと、FC-R700に続くコンパクトクランクの登場であろう。
2011年に4600系へとモデルチェンジ。6600系アルテグラや5600系105までのようにシフトワイヤーのハンドル内蔵処置や、ホローテッククランクの導入は行われなかったものの、リア10速へと変更され上位モデルとの互換性が上昇。リア30Tというロードバイク用としてはシマノ最大のギアも用意された。
同時にフラットバーロード用にラピッドファイヤシフトレバーとブレーキレバーも開発され、幅広い用途に使えるコンポネートとなった。