ダイノユリ.です。

 

あなたが今日も

生きててくれて

ありがとう!看板持ち飛び出すハート

サムネイル

 

 

 

 

 

 

 

子どもの頃から
思いどおりにいかないと
すぐキレて
不機嫌な態度を撒き散らかす。 
 
 
 
5歳くらいの頃、
絵本を読んでいたときに
チヤホヤされて
甘ったれた主人公に
ガチでムカついて 
 
 
 
絵本の中に自分が入り込み
この主人公を刃物で
めった刺しにする
という妄想までしてしまう、、
 
 
 
それはそれは
ゆがんだ子どもだった私が  


死に物狂いで
まったくイラっとしない性格を
手に入れるまでのおはなしをしています。

 

 

 

 

 

 

「ささいなことで

いちいちイラっとする自分は

フツーじゃないのかも」

と気づきかけて

 

 

 

ならば、その

いちいちイラっとすること

「目の前から消えればいい!」

 という一心で

 

 

 

自己啓発に依存していた時に聞こえてきた、耳を疑う衝撃的な言葉の数々。

 

 

 

 

「自分の機嫌を自分でとれないと周りが迷惑なんです」
 
 
 
 
「ストレスがあったとしても周りからイヤなこと言われても絶対に機嫌の悪い態度を外に出さないでください」
 
 
 
 
「そういうこと(不機嫌を外に出さないこと)をするとストレスたまって早死にするって言ってくる人いるけど、〇んでください」
 
 
 
「不機嫌をまき散らかしながらダラダラダラダラ長生きしてると周りの迷惑なんです」

 

 

 

 

 

 

 

「自分の機嫌をとれない私は

周りの迷惑、、、」

 

 

「不機嫌をまき散らかす私は

生きる価値のない

ゴミのような存在、、、」

 

 

 

 

 

そうズバっと言われて

頭では分かったとしても

「はい、じゃあ今日から自分の機嫌は自分でとるようにします」

とはならないわけです、だって

 

 

 

 

自分の機嫌のとり方を知らないし習得していないから。

 

 

 

 

 

「自分の機嫌を自分でとるスキル」を習得してもいないのに

 

 

・不機嫌な態度を外に出すな

・いつも機嫌よく生きろ

 

 

なんて無理ゲーにも程がある。

 

 

 

 

 

強いていうなら

教習所に通ってもないのに

「はい、運転して」

って言われてるようなもん。

 

 

 

 

 

なにがアクセルで

なにがブレーキで

ハンドルの切り方も

バックの仕方も

交通ルールも知らない。

 

 

 

 

そんなの

誰だって事故るに決まってる。

 

 

 

 

 

「運転できない」ってのは「自分の機嫌がとれない」ってこと。

 

 

 

 

「運転できない」

「自分の機嫌がとれない」

 

 

 

 

安全運転するために

教習所があるなんて

知らない世界線で生きてる。

 

 

 

 

それはまさに私たちが

「自分の機嫌のとり方」を

誰からも教えてもらえないのと

まったく同じこと。

 

 

 

 

自分が無免許のせい

事故りまくってる。

 

 

 

 

でも

教習所があるなんて知らないから

「事故るのは周りのせいだ!」

ってなってしまう。

 

 

 

 

「私が事故るのは

みんなが優しくしてくれないから

 

 

みんなのせい

私が事故ってんのに

なんで私が周りの迷惑ですとか

言われなきゃなんないの?」

 

 

 

ってなる。

 

 

 

 

 

 

 

無免許運転は周りの迷惑

交通ルールを知らずに運転するから事故りまくる

無免許で運転するもんだって思ってるから

なんで自分だけこんなに事故るのかが分からない

(自分はちゃんと運転できてるつもり)

周りが悪い

私は何も悪くないのに

事故って何が悪い
 

 

 

 

 

 

 

これを「怒り」に置き換えると

 

 

 

「私がイライラするのは

みんなのせいなのに」

 

 

 

「私がイライラするのは周りがムカつくことするからなのに」

 

 

 

「なんで私がみんなの迷惑にならないように怒りをガマンしなきゃなんないの?!」

 

 

 

「なんで私がみんなのためにガマンしなきゃなんないの?!」

 

 

 

「私はみんなのために

生きてるんじゃないし!!!」

 

 

 

 

「私は私の幸せのために

生きてるんだけど!!!」

 

 

 

「もう私、これ以上ガマンしたくないんだけどムカムカ

 

 

 

 

「機嫌悪くて何が悪い」

 

「私は何も悪くない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分の機嫌を自分でとれないと周りが迷惑

「自分の機嫌のとり方」を知らずに生きてるからイライラしまくる

「自分の機嫌のとり方」なんて誰からも教えてもらわなかったから

なんで自分だけこんなにイライラするのかが分からない

(自分は周りの迷惑なわけない)

周りが悪い

私は何も悪くないのに

機嫌悪くて何が悪い
 

 

 

 

 

 

そして別の自己啓発系の本で

 

 

『迷惑をかけないように

ガマンして生きるより

 

自分だって迷惑かけること

あるんだから

 

他人に迷惑かけられても

「お互いさまだよね」

って言える社会の方が

よっぽど健全』

 

 

 

『ガマンがすべての元凶』

 

 

 

 

という言葉を見つけてしまい、、、

 

 

 

 

「そうだよねー!!!

迷惑かけないようにって

ガマンするなんて

バッカばかしい!

 

 

周りが私に迷惑をかけて

イラっとしてもそれは

お互いさま!だし。

 

 

 

迷惑かけていい。

自分さえ良ければいい。

 

 

 

周りが先に

迷惑かけてきたんだから

私はガマンしなくていい。

 

 

 

ガマンするのが良くないんだから

不機嫌な態度とっても

いいに決まってんじゃん。

 

 

 

 

私は周りの迷惑かもしれないけど

周りも迷惑かけてくるんだから

プラマイゼロで

私は周りに迷惑かけてない

 

 

 

 

 

と都合よく解釈してしまった。

 

 

 

 

 

つまり、、、

 

 

ガマンするのをやめる

イコール

迷惑かけていい

不機嫌になってもいい

機嫌悪く生きていい

 

 

 

という自分さえ良ければいい的な

相当にズレた致命的にミスった結論を下してしまったのです。

 

 

 

 

 

自分の機嫌を自分でとれるようになった今の自分なら、この結論を「相当にズレた致命的なミス」と断言できますが、当時の自分は

 

 

 

 

「寸分の狂いなく完ぺきな答えを出せた」

 

「私が下した判断はいつも正しい

 

「やっぱり私は悪くない」

 

 

と大満足&ご満悦でした(苦笑)

 

 

 

 

ガマンするのさえやめればうまくいく、と信じていましたが、

 

 

 
 
それは結果として
「不機嫌な態度で生きていく」
と決意するようなものだったので、
 
 
 
 
より自分を孤立させ、
さらに些細なことでイライラするように仕向け、幸せとは真逆の方向に舵をきることとなりました。
 
 
 
 
 
せっかく自分と向き合いかけたのに、やっぱり「自分は悪くない」と思う気持ちが顔をのぞかせて、
 
 
「機嫌悪くて何が悪い」と、怒りを正当化。
 
 
「現実の方が先に変わってくれない限り、私は絶対に幸せになれないし、なってやるもんか」
 
 
 
そんなふうにして私は、自分ではもう何が幸せなのか分からなくなっていくのでした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

つづきます。

 
 

 

 

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