以下は、一昨年リハビリ病院でリハビリをやっていた時の「思い出話」です。
それと、20年ほど前に通っていた総合格闘技ジムでの「思い出話」も、なぜか。
無関係に思える「ウザい思い出話」が2つも絡んでくるのですが(笑)。
でもこれらの話、私にとっては、無関係でないように思えるのです。何故だが、わかりませんが。
ということで、とりあえず書いておきます。ご容赦を。
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【理学療法士KT先生、そしてYさん(1/5)】
2024年8月上旬、脳梗塞を発症。救急車で運ばれ緊急入院先へ。
同年9月上旬、新宿区と渋谷区の境目あたりにあるリハビリ病院へ転院。
リハビリ病院入院時、緊急入院時と同様、私には医師、看護師、薬剤師、管理栄養士がついたが。
その他に「理学療法士」「作業療法士」「言語聴覚士」がそれぞれ1名ずつ。
9・10月のリハビリ病院入院中、この先生方には、ほぼ1日1時間ずつ、面倒を見ていただくことになる。入院後半で多少時間配分は変わったが、土日祝日関係なく、ほぼ毎日。
そのうちの「理学療法士」、KT先生。
「理学療法」は、「歩行」「腕の上下」など、体の基本的な操作に関するリハビリを担当するらしい。「体育」みたいなものか。
私はKT先生に「歩行」「座る」「物を掴む」などを見てもらった。
リハビリ病院入院前、私はいろいろ大変そうな話を聞かされ
「そんなに大変なのか……俺、ついていけんのか?」
とかなり不安もあったのだが。
結局、退院までやり通すことができた。
……いや。
すぐムキになる私の単純な性格を上手く利用したのだろう。私は毎回、汗だくになりながらリハビリすることができた。
毎回、周りの人からびっくりされたり、心配されたり、呆れられたり、笑われたりしながらも。
この先生、普段はとても穏やかで……というか、穏やか過ぎて
「大丈夫なのか、この人の言う通りにして……」
と思わされることもあったのだが、その判断は、意外と冷徹。
他の先生方や看護師が言うには、「まだまだやれる」「これ以上はダメ」ということを、情に流されず、客観的に、冷静に、判断しているらしい。
入院後期、私は外出許可(10月講談教室への参加)を申請した。
入院中の外出なんて、かなり例外的。許可が出る場合も「やむにやまれぬ」理由がある場合がほとんど。
ましてや、理由が「趣味の教室への参加」だなんて……
看護師さんたちからも
「いやぁ、これ……ダメだと思いますよ」
と言われ、それはもっともだと思いながらも、とりあえず「ダメもと」で申請書提出。
その際、「大丈夫か否か」の最終的な判断は、この理学療法士KT先生に託された。
結果は……
なんと、許可!
この先生から「OK」が出て、私は10月の講談教室に参加できたのだ。
……が。
私は、自分が「許された」立場であるのにもかかわらず
「本当に大丈夫なのかよおい……俺を気遣って甘い判断をしたんじゃないの? 結果的にそれが事故を招いて、より入院が長引くんじゃないの?」
なんて、正直に言ってKT先生の判断を疑ったのだが。
結局、何事もなく、私は無事に病院へ帰ってくることができた。
客観的な判断ができ、若いが経験豊富で数々の論文も発表したこともあるこの先生。
その判断は、やはり、正しかったのだろう。
そんな、リハビリ病院入院中。
いつだったのかは、もう、よく覚えていない。
私はようやく歩行器から解放され、器具に頼らず、自分の足で歩いて、理学療法室へ向かうことができるようになっていた。
その「歩行器からの解放」も、KT先生の判断なのだが。
ただし、いつよろけても補助があるよう、KT先生と一緒。
そうやってKT先生と理学療法室へ向かっている時のこと。
これもきっかけはよく覚えていないのだが、歩きながら「昔やっていたスポーツ」の話になった。
「私むかし、格闘技のジムに通っていたことがあったんですよ」
「え! 寺西さん、格闘技やってたんですか?!」
「ええ。学生時代はボクシングをやっていて、その後はサンボとブラジリアン柔術を習っていました。で、最後は総合格闘技。ま、根性とセンスがないから、どれもあまり強くはなれなかったんですけどね。それに……ほら。今はもう、こうやって、歩くのさえもおぼつかなくなっちゃいました」
ジジイがよくやっちゃいがちな「今はこんなだが、昔は……」という、ウザい昔話かもしれない。
しかしKT先生は、私に合わせてくれた。これも仕事のうちなのかもしれないが。
「そうだったんですか……そういえばこの前、近所でアマチュア格闘技の大会らしきものがありましたよ」
「おわ、そんなのがあったんですね!」
その時。
私の脳裏には、昔の記憶が蘇ってきた。
20年くらい前、総合格闘技ジムに通っていた時のこと。
「そういえば、通っていたジム内で、アマチュア大会がありましてね」
その大会に、私は、出たことがあったのだ。
(続) (1/5)