6月15日(土)、『中村地平』上映会(@日本大学文理学部)へ行ってきました。
この映画は、宮崎出身の作家・中村地平を追ったドキュメンタリー。
井伏鱒二門下の中村地平は、文人の集まり・阿佐ヶ谷会にいました。ということで、杉並区や中央線沿線にもゆかりのある作家です。
かつては「北の太宰(治)、南の地平」と言われておりましたが、様々な理由により故郷・宮崎へ帰ってからは、県立図書館館長や現・宮崎太陽銀行の頭取として宮崎の振興に大きく貢献。
そのため今は、太宰治ほどの知名度はないようです。全国区だけでなく、地平が貢献した宮崎においてさえ。
 
今回上映された映画『中村地平』は、美術家・@小松孝英 先生が脚本・監督のドキュメンタリー映画。
私は小松先生の前作映画『塩月桃甫』を観て、小松先生のファンになり、今回の『中村地平』も心待ちにしておりました。
 
前作『塩月桃甫』では、美しい映像によりインタビューに答える人々の「思い」を描くことで桃甫という画家とその人間性を浮き上がらせ、さらにそれによって桃甫に対する小松先生の強い思いと「こだわり」が浮き上がっているように思え、私はその浮き上がった「思い、こだわり」に強く惹かれました。
 
そして今回の『中村地平』。
 
序盤・中盤は、前作『塩月桃甫』と比べて、様々な面で、より「ドキュメンタリー」で「地域おこし」な作品になっているなぁと思わされました。
途中、博物館とかで上映されている偉人の紹介映像や、NHKのドキュメンタリー番組っぽいところもあり。それらが反戦、多様性という、多くの人が惹かれるであろうテーマとともに描かれていく。
前作より、こういうテイストの方が、多くの人にとって解りやすく、とっつきやすく、より多くの人が求め惹かれるものとなっているのでしょう。
また、前作と比べてかなり増えたように思われるスポンサーからの「地域おこし」の要求にも、より応えたものとなっているのでしょう。
日本統治下時代の台湾を描くことについては、右・左の両方への(宮崎だと特に右への)配慮が必要だったかと。アーティストとして客観性・中立性を保つのも、何かと苦労が多かったと思います。
 
しかし、終盤。
地平が情熱と愛情を注ぐ対象は、進行していく病とともに、失われてゆく南方文化から、故郷・宮崎、そして自分の家族へと、だんだん狭く、小さくなっていく。
その狭く、小さくなっていく対象に愛情を注ぐ地平の様子を通して、逆に、かつて愛していた南方の文化に対して、実は地平がどんな、どれだけの思いを抱いていたのか、見えてくるように思えたのですよね。
その「思い」は、近年薄っぺらい人たちが薄っぺらいことを言う時によく用いる言葉「多様性」では、片付かないものに思えたのです。
そして終盤には、序盤・中盤以上に、監督の強い思いとこだわりがあるように思えたのですよ。私には。
 
上映終了後の質疑応答では、客席から小松先生へ「小村寿太郎など、宮崎の偉人をもっと紹介してほしい」という内容の要望が出ました。
これに対して小松先生は
「既に知られている人よりも、ほとんど知られておらず、今、誰かが光を当ておかないと、忘れ去られてしまそうな人に光を当てたい」
と(詳しくは覚えておりませんが、だいたいこんな内容)。
さすが! これぞ本物の芸術家・作家!!
皆が見落としててきたもの、皆から「くだらない」と思われてきたもの、そんなものに隠れた素晴らしさを見出し、強いこだわりをもって描く。
これですよ、これ!!
高度で斬新なことをやっているように見せながら、実は文化人・評論家受けするテーマや売れ線・受け線パターンをなぞっているだけの芸術家や純文学作家とは違いますな。
  
小松先生は今、次回作に取り掛かっているとのこと。
そちらも楽しみにしております。
 
先に書いたように中村地平は宮崎出身ですが、「阿佐ヶ谷会」にゆかりのある作家。
「杉並区ゆかりの文人」ということで、杉並中央図書館あたりで『中村地平』の上映会を開かないかなぁ、開けないかなぁ……と思っているところ。
どなたか、やってみませんか?
「なら先ず、お前がやれよ」と皆さんから言われそうで、まさにその通りなのですが……