昨夜は、教育に関する勉強会「タテヨコナナメさんのお話」が宮崎で行われました。私は東京の自宅からオンラインで参加。
いろいろと貴重な情報を得ることができ、いろいろ考えさせられました。
「タテヨコナナメ」さんは、宮崎でフリースクールなどを運営する団体です。
 
ぶっちゃけ私は、教育学や教育者(教師・教育学者)など、「教育」に関わっている人や物事をあまり信用しておりません。
 
先日投稿したとおり、40年以上前に私が少年時代を過ごした宮崎では、生徒の顔や頭を叩いて脅してとにかく言うことをきかせる軍隊式のガッチガチな管理教育が横行しておりました。
もっともな理由があって叩くならまだしも、無茶苦茶な理由で叩くことも多く、あまり深く考えず、自分たちにとって都合の悪いこと、気に食わないことがあればとにかく生徒を叩いて大人しくさせる教師が多かった。宮崎の親たちもそれに疑問を持たず「熱心・熱血」と評することが多く。
 
一方。
私は大学院生時代に訳あって教育学の学会に迷い込んだことがあります。そこにいた教育学者たちには、子どもに共同作業的なレクリエーション等をさせる映像を流し「ほぅら、子どもたち、皆で力を合わせて、こんなにいきいきとした笑顔を輝かせていますぅ」みたいな能天気さと薄っぺらさがあるように思えました。
マスコミに出てくる教育者・教育学者の発言に対しても同様のアホらしさを感じることも多く(すべての教育者・教育学者がそうだ、というわけではないのでしょうが)。
私は数年前に思うことがあり保育士の資格を取りましたが、そこでも教育関係の内容については同様の感を覚えることもあり(もちろん参考になったこともたくさんありました)。
これらには、迷信頼りの宗教やSDGsみたいな、お花畑的な安直さがあるように思えるのですよね。
 
つまり、昔の宮崎の軍隊的管理教育しにろ、「子どもたちに笑顔を」的な教育論にしろ、そこには共通して思考停止・思考放棄的な安直さがあるように思える。信用できない。
 
今回、そんな私が、不登校児対象のフリースクールなどを運営する「タテヨコナナメ」さんの話を聴かせてもらったわけですが。
いろいろ考えさせられました。
前回、宮崎県議会議員・山内かな子先生が開催する会に参加させてもらった時、「今日は宮崎の人たちの話を黙って聴いていよう」と思っていたのに、結局、バシバシ質問しちゃいました。
だから「今日こそは、黙って聴いていよう」と思っていたのですけどね。
いろいろ知りたいことが出てきて、結局、質問を5個もしちゃいました。それで時間が押し気味になっちゃったかも。皆さん、ほんっと申し訳ありません。
 
運営の方々の話の中で、私が最も注目したこと。それは
「運営・現場の方々が迷い、困っている姿を、生徒に隠さず見せている」
ことでした。
タテヨコナナメさんは、設立してからまだそれほど経っていないようです。今まで宮崎になかった取り組みもやっているため、どうすべきか、迷うことも多いようです。
そんな「大人が迷っている」姿を、あえて生徒に曝け出している。
学校というのは「完成されたもの、出来上がったもの、『これが正しい、これを覚えるべき』と断定して良いと思われるものを、絶対的なものとして生徒に示す」ことがほとんどだと思うのです。「教える」場ですから。
(学校ではないけれど、予備校なんてまさにそう。予備校で講師が授業について迷う・困る姿を見せたら、生徒から授業を切られます)
しかし、本当は大人が「迷っている」「良くない手を選択してしまい困っている」姿を子どもに見せるのって、大事だと思うのですよ。
これには「子どもが大人を馬鹿にして言うことをきかなくまってしまう」というリスクがある。しかし
「あぁ、大人もすべて判っているわけじゃないんだ。本当は解らないこともいっぱいあって、迷い続けているんだ」
と「人生終わるまで模索と修行」的な事を、少しでも考えてくれたら儲けものかと。
ついでに、人の弱さ・脆さ、業(ごう)を見据え、向き合ってもらえたら。
少なくとも、よく考えずに「こうしておけばいいんじゃぁ!」と強制し続け思考放棄を促し、上手くいかなかった時は「これで良かったんじゃぁ! 文句あるか!!」と脅してその場を誤魔化すよりは良いんじゃないでしょうかね。
 
というわけで。
「タテヨコナナメ」の茭口寿文理事長、フリースクール「ひる学校」の玉木昌子先生、宮崎大学の竹内元先生、そして今回の勉強会を開いてくださった宮崎県議会議員の山内かな子先生、本当に有難うございました。
またの機会を楽しみにしています。

 

当日の様子は、山内かな子先生がnoteに書かれています。