明後日(10月21日(土))に行われる講談教室発表会に向け、準備をしているところです。
今回の発表会へは、自作の張り扇で臨みます。
一振目の自作張り扇・壱号が完成後、松鯉先生にご覧になっていただいたら、張り扇作成における貴重なアドバイスを頂きました。
そのアドバイスをもとに作り直したのが、二振目の弐号。
この弐号作成の際、8年近く前に手に入れた、神田鯉栄先生の張り扇をかなり参考にしました。
 
鯉栄先生は松鯉先生のお弟子さん。鯉栄先生の張り扇は、やっぱり松鯉先生がおっしゃったとおりに作ってある。ものすごく参考になりましたよぉ!
まぁ、図工や美術・技術が苦手科目だった私なので、鯉栄先生のみたいに上手くはできなかったけど。
あ、この張り扇、鯉栄先生から盗んだものではありません。
8年近く前の2015年の12月下旬、昭島で開かれた「神田松鯉・きらり親子会」にて余興として行われた「出演者持ち物オークション」で競り落としたものです。
この時、鯉栄先生(当時きらりさん)からは張り扇、松鯉先生からは手ぬぐい、笑福亭里光師匠からはポケットティッシュケースと手ぬぐいをいただきました。
 
それは、松鯉先生の講談教室を見学しに行き、先生の教室に入会を決めた2週間後のこと。
だから、これらをびっくりするほど超お買い得なお値段でいただけたことがとても幸先良く思え、すんごく嬉しかったのです。
 
実を言うと、松鯉先生の講談教室に入る前、私は、別の教室で講談を1年半ほど習っておりました。
その目的は「早口と滑舌の悪さを直す!」。
講談そのものには、それほど興味なかったのです。
でも、教室に通い始めてから講談を聴くようになり、講談そのものにも徐々に惹かれていったのですが……この教室は、いろいろな面で私に合わないように思えてきました。
「教室をやめよう、いや、講談という芸能そのものが俺に合ってないんじゃなかろうか。講談そのものをやめちまおう」
と、退会届を準備したところで私は、松鯉先生も講談教室をやってらっしゃったことを思い出し、そして、先生の高座を思い出しました。
「松鯉先生の教室は、また違うかもしれない」と、先生の教室へ見学へ行ったのです。
教室を運営する事務局にて後から聞いた話だと、本当は見学ってできないものだったようです。しかし、この時は不思議な偶然がいくつも重なり、見学しても良いことに。
教室で先生が受講生に対してされるご指摘・アドバイスを聴いた私は……
びっくりしました。
目から鱗が落ちまくりました。
「あぁぁ本当はこうだったんだ。本物はこうなんだ」
と。
 
そうやって松鯉先生の教室への入会手続きをした2週間後。
私は奇しくも「神田松鯉・きらり親子会」で鯉栄先生の張り扇と松鯉先生の手ぬぐいを頂いたわけで。
この二つは私にとって、講談をやる際、この上なく縁起の良いお守りとなりました。
 
鯉栄先生の張り扇と松鯉先生の手ぬぐいの御利益は、しっかりあったようです。
一度は「講談なんてもうやめちまおう」と思った私なのに、この後も7年以上、講談を続けております。
そして今年。
松鯉先生から【釈亭みや松】という、この上なく嬉しいお名前まで頂きました。
「みや松」の「みや」は、宮崎の「みや」。先生、何と、私が宮崎を大好きだからと、このお名前を考えてくださったのです!
 
明後日21日(土)の発表会では、自作張り扇・弐号を持って高座に上がります。
でもお守りとして、会場へは鯉栄先生の張り扇を持っていきます。
そして高座に上がる時に懐に入れる手ぬぐいはもちろん、松鯉先生の手ぬぐい。
 
「神田松鯉・きらり親子会」2015年12月22日の日記