宮崎滞在記Ⅱの続きですが、今回の内容は
(1)職場などでリーダーとして働くことがある方
(2)職場等で自分がついているリーダーが頼りなくて困っている方
(3)中学生、またはこれから中学生になるお子さんがいらっしゃる方(特に男の子のお子さんがいらっしゃる方)。
が読んでくださったらどう思うんだろうなー、なんて思っています。

滞在時に旧友と話していて思い出したことを書いてるので、滞在記というよりも回想録に。今回はそれほどエモくない思いますが。
中学の生徒会役員時代のことを書いて、今の自分が何でこうなったのかが次第に見えてきたように思えます。やはり、この頃の出来事がそれまでの私のものの考え方・感じ方の多くの部分を変え、後の人生の方向を定めていったようです。

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前回書いたとおり、中学2年の時、資質もやる気も全く無い私は選挙演説でのモーリー君とのパフォーマンス的演説で生徒会役員になってしまった。

生徒会役員初顔合わせの日。
やはりクラス選りすぐりの優等生という顔が揃っている。その中には小学校の友人もいたが、彼も優等生で学級委員長だった。
この場……ぼんやりして天然ボケの私は明らかに場違いな雰囲気。
記憶力のよくない私は、当時どうやって役員の割り振りをやったのかよく覚えていない。それぞれ早い者勝ちで希望を言い、異論が出なければそれで決まりだったっけ。
この時、あっくん(仮)という生徒が真っ先に生徒会長に名乗りを上げたと思う。
あっくんは勉強でいつも学年トップを争い(後に京都大学に進学しロンドンへ留学)、サッカー部でも俊足を活かして活躍、さらに歌もピアノも上手い。
おまけにしっかり者で言動もリーダーシップに満ち、繊細な雰囲気に惹かれる女子生徒も多いという、天から二物も三物も四物も与えられ「デキる」雰囲気に満ちた彼。
しかも彼は「自分がこの学校を変える!」という気概にも満ちていた。
彼は「優等生」と言っても「教師の言うことを真面目にきくおりこうさん」ではなかった。問題意識を持って行動し、教師の言っていることが理不尽なら教師と対立し食い下がることも厭わない。

私が票を得たのはあまり中身の無いパフォーマンスによるところが大きかったといえる。全校集会での選挙演説でのいつもの堅苦しい退屈な雰囲気の中で、推薦者のモーリー君による奇抜なパフォーマンス。
その後の、それほど中身は無いもののちょこちょこギャグを入れてくだけた場違いとも言える私の演説。
それらが、私と同様に管理教育の窮屈さに嫌気が差していた生徒たちの共感を得たというのが大きかったのだろう思う。

しかし、あっくんは違う。
彼の演説はパフォーマンスなしのガチ。
単に「優等生」「おりこうさん」を前面に出した教師好みの退屈な演説ではない。
彼の価値観でしっかり問題提起をし、この学校をどうしていくべきか、どう変えていくべきかという具体的なことまでしっかり考えた内容だった。
繊細な雰囲気を漂わせながらも言動はしっかりして頼りがいのある彼は、この学校の体質に疑問を持っていた秀才の女子生徒達から多くの票を集めていたと聞いている。彼のことを考えると私もそうだろうと思う。
つまり、私と違い、彼は「本物」だったのだ。

そんなあっくんが生徒会長に名乗りを上げた時、もちろん反対する者などいなかった。
副会長は、あっくんと同様に勉強で学年トップを争いつつも、バトミントン部でも活躍していたナナさん(仮)。

で、私は保健体育部長に納まった。
体育の成績はそこそこ良かったものの、競技により得手不得手が激しくそれほどスポーツ好きというわけでもない私。
そんな私がどうしてこの役職になったのか今はもう思い出せない。
そして保健体育部の副部長はマユさん(仮)という女子生徒。
前に「(私以外の)生徒会は優等生の集まり」と書いたが、彼女は真面目タイプというより明るく活発な女の子だった。テニス部で活躍しており、日焼けして見るからにスポーツが得意そうな女の子で「保健体育部」にピッタリだった。
今だと「男女差別だ!」と大問題になるのだろうが、当時は男子が会長・部長で、女子は副会長、副部長ということになっていた。ぼんやりな私より活発で頭の回転も速いマユさんの方が「保健体育部長」にふさわしかったと思うのだが、そういうわけで私が部長で彼女が副部長ということに。

こうやって我々の代の生徒会がスタートしたわけだが。

私に対する他のメンバーの態度はつれなかった。
そうだろう。
「この学校を良くするんだ!」という気概に満ちた生徒会長のあっくんは言うに及ばず、他のメンバーもクラス選りすぐりのしっかり者。ほとんどのメンバーが学級委員長等を何度も経験しており、リーダーシップにあふれている。
それに対して、ぼんやりしていて頼りない私は学級委員長などやたことがない。
面白がられて生徒会役員候補者に祭り上げられ、それに乗っかってバンドのライブでもやるような気持ちでパフォーマンスをやって票を集めただけ。生徒会の仕事にも元々それほど興味なし。
こんないい加減な、宮崎弁で言えば「テゲテゲ」な奴が紛れ込んでいることは、メンバーにとって、特に生徒会長のあっくんにとっては腹立たしいことだったのかもしれない。

これは曖昧な記憶だが、投票結果は昼休みの学校放送で流され、私の得票数は1位か2位で、私と生徒会長あっくんの二人のどちらかが1位だったような気がする。(もし間違えていたら他の生徒会役員に申し訳なく、大変恥ずかしいことだが)
会長のあっくんにとって、私のように見るからに頼りなく、全校集会の選挙演説でも中身の無い薄っぺらい人気取りパフォーマンスをやった奴が得票数の上で自分と近かったというのは不愉快なことだったかもしれない。

元々生徒会に全く興味のなかった私だが、当選して生徒会役員の肩書がつき「おめでとう、頑張れよ!」「寺西、よかったね!」「期待しとるよ!」と友達から言われ、時には全く知らない生徒からも「選挙演説、面白かったよ。頑張れ!」と声をかけられて応援されるようになり、下級生の女子生徒達が遠くから私を指差し「ほらほら、生徒会の人やが!」と言うようになり(実はこれが一番嬉しかった)、校内で急に有名人になった私はすっかり浮かれていた。
生徒会役員顔合わせでも、私はそんな浮かれた態度を露わにし、選挙演説の時と同様のおふざけムードを漂わせていたのだろう。

そんな浮かれてふざけた私に対し、真面目な他のメンバーは「何、こいつ?」という態度を露わにしていた。
気まずい雰囲気を何とかしようと私がおちゃらけた事を言うと、ますます呆れ「何言っちょると? こいつ」という顔をする。
特に会長のあっくんは、私の言っていることがいい加減であることを不愉快そうな顔でビシっと指摘し、釘を刺すような事を言ってくる。

校舎1Fの奥にあった生徒会室は、私にとって明らかに来るべき場所ではなかったのだ。

「保健体育部長」としての私の初仕事は、全校の球技大会だった。これは体育祭(運動会)に比べると小規模で父兄の観覧はなし。
学級委員長の経験もなくリーダーシップも皆無で、ぼんやり・うっかりな私は、この初仕事でやはり数々のありえないミスをしてしまった。
不手際の多い進行に怒り出す生徒もいて、その怒りは私だけに向けられればよかったのだが、ダメな私を頑張って手伝ってくれていた何の罪もない他の役員達が「何しちょっとか! バカじゃねーと?! もっとしっかりせんか!!」と罵倒されている。
ぼんやりしていて子供の頃から母や教師から罵倒されることに慣れている私なら耐えられるが、優秀でしっかり者の彼らがこんな言葉をぶつけられたことはなかっただろう。後ろを向いて罵声を背にし、泣いている女子役員もいる。

分かってはいたことだが、やはり、私のようなダメな奴に生徒会役員は無理だったのだ。

翌日の夕方。
私は球技大会の事後処理のため、生徒会室に向かう。
入り口は引き戸だったが、引き戸に手をかけた時、他の役員たちの顔が頭に浮かんだ。

この部屋にいる人たちは、ただでさえ私を快く思っていない。
そこに、昨日の数々の情けない不手際。私のせいで優秀な彼らまでダメ扱いされてしまった。

この引き戸を引いた時、彼らはこれまで以上に冷たい目で私の顔を見るだろう。
あるいは、私は皆から「こいつは本来、この生徒会室にいてはいけない奴」と無視され続けるかもしれない。
それよりも、ダメな私がここで仕事をし続ければ、私のミスで優秀で何の罪もない彼らがそれだけ傷つく。
球技大会でこんな有様だ。もっと規模の大きい体育大会(運動会)ではどうなるのだろう……

私は生徒会役員をやめようと思った。
やはり、ここは自分の来るべきところでなかった。自分のいるべき場所ではなかったのだ。
自分には無理だったのだ。
今から選挙をやって私の分を埋めるというのは無理だろうが、私がいなくなって一人分穴があいたとしても、というか、私がいないほうが、上手くやっていけるだろう。
あとは会長のあっくんや保健体育副部長のマユさんが穴を埋めて私がいるよりも上手くやってくれるはずだ。

まずは皆に謝って、それから、辞めることを伝えよう。

引き戸を開け、中に入る。
既に室内には生徒会役員が集まっていた。
彼らは刺すような目で私を睨みつける……かと思ったら。

彼らは今までにない明るい声で「おお、昨日はおつかれさん!」と私を迎え入れた。
皆、楽しそうに私に笑いかけながら次々と「お疲れ!」と言って私の肩を叩きながら迎え入れ、「さぁさぁさぁ」と言って私を椅子に座らせると私を囲み、「おつかれぇ~!!」と言って一斉に拍手をした。

訳がわからなかった。

どうなっているんだ?
何が起こっている???

ダメダメな仕切りで大迷惑をかけた私を、皆はまるで大成功したイベントの立役者のように扱ってくれている。
思いもよらない彼らの行動に、ぼんやりで機転の利かない私は、訳がわからないのと嬉しくなったのとで皆に謝ることをすっかり忘れてしまっていた。
もちろん、「生徒会を辞める」と言うことも忘れている。
私は、ただただ、バカみたいに「あ、ぁ、ぁ……有難う」と言うだけだった。

不思議な事に、この時から生徒会メンバーの私に対する態度が180°変わった。
それまで冷たかった彼らは私に対してフレンドリーになり、仲の良い友人として明るい顔で接してくれるようになった。
中でも、一番親しくしてくれたのが生徒会長のあっくんだ。
当初は私に最も冷たく厳しい態度をとっていたあっくん。
私とは真逆とも言えるエリートタイプのあっくんが、私の下らないギャグに最も楽しそうに乗っかってくれるようになっていた。
そして、彼は私にとって中学時代の最も大事な友人の一人へとなっていく。

その時は何がどうなっているのかまったくわからず、ただ「あぁ、彼らと仲良くなれてよかったなぁ」と思っただけだが。
今になって思うと、頭の良い彼らだ、私の気持ちや行動など全てお見通しだったのかもしれない。
ぼんやりでいい加減な私も、球技大会では己の無能さを思い知らされ、しかもその無能さのせいで皆が傷ついている姿を見た時にはさすがにかなり落ち込んでいた。
そんな私の様子から、彼らは私が「辞めたい」と言い出すと予想し、ここは不手際・無能さを責めず、むしろ明るく受け入れてやろう、ダメな奴だけど仲間だからこれから助けていってやろうと決めたのかもしれない。
しかも、それを皆が示し合わせたように一斉にやっていたのは、誰かが仕切ってやっていたのではないだろうか?
……それはもしかして、生徒会長のあっくん?

真相は今もわからないが、もしそうだとしたら、ぼんやりな私は全く気が付かないうちに彼らの賢く優しい戦略に上手く乗せられていたわけだ。

で、それ以来、私は皆の期待に応え、日々成長し仕事をぬかりなくキッチリできるようになった……かというと。
私の仕事っぷりは相変わらずボケボケだった。
しかも、さらに調子に乗って、体育系の全校集会や体育大会(運動会)などで生徒会保健体育部長として朝礼台に立つと、ウケようとして変なことを言い始めることもしばしば。
相変わらずダメダメでふざけた私だったが、そんな私を生徒会のメンバーはいつも笑って見守ってくれていた。

いや、「見守って」ではなく、「守って」くれていた。

私の相変わらずのダメっぷりに、メンバーは半ばあきらめて「こいつはしょうがない」と思いながも、優しく私を受け入れてくれていたのだろう。
だから、体育大会などの体育系ベントでは頼りない私をしっかり支えてくれていた。
様々なアイデアを出して自分から積極的に手伝ってくれるのはもちろん、ぼんやりしている私に「そろそろ、これをやっとかんといかんちゃね?」と知らせてくれたり、私がまごまごと下手なことをしているのを見て「こうやった方がいいんじゃねーと?」とアドバイスしてくれたり、さらには私が「あ! 先にこれをやっとかんといかんかったのに、しまったぁ!!」と後から青くなった時に他のメンバーが「あぁ、それなら私がやっとったよ」となっていたことも。
彼らのおかげで、その後の体育大会(運動会)などの体育系イベントはトラブルもなく順調に行われ、さらに、生徒会メンバーから様々な画期的なアイデアも出て、体育系イベントは例年以上に盛り上がっていた。

私は数年前から思うことがあり、経営学や組織論の本をチョコチョコ読んでいる。
メンバーが優秀で士気も高い場合、リーダーが頼りない方が「自分たちがなんとかしなきゃ!」とメンバーの士気が上がって結束も固まり、リーダーが優秀でカリスマ性がある場合よりも良い成果が出ることも多いという。
私は、中学生の時にその事例を経験していたのだ。
(もちろん、私に能力とカリスマ性があればさらに良い成果が出ていた可能性もあり、実は私が見えないところでしっかり者のあっくんなどがリーダーシップを取っていたという可能性もあるが)

この頃になると母が繁華街に開いた店も軌道に乗り、以前はいつもイライラ・カリカリしていた母も穏やかになっていた。
また、私は図体もでかくなり母も力では私に敵わなくなっていた。私は相変わらずぼんやりしていたとはいえ、成績も良くなり生徒会役員になった。そんな私を、母が以前のように詰りながらひっぱたくなどということはもうなくなっていた。

それでも、私にとって生徒会室は家よりも遥かに居心地が良かった。
初めは私に冷たかった彼らだが、球技大会での私のダメダメ指揮以来、なぜか私と仲良く接してくれるようになり、何かと私を助けてくれるようになっていた。
当時、部活にも入っていなかった私は、生徒会の仕事が無い時でも閉門時間ギリギリまで理由をつけて生徒会室に居続けるようになっていた。
校舎奥の生徒会室は私にとって家のように思え、そこにいる生徒会のメンバーは頼れる仲の良い兄弟のように思えていたのだ。

そんな、私にとって「第二の家族」のようになっていた生徒会だが。
3年生になり、そろそろこの生徒会も引退という時期になると、生徒会は次第に私の心を苦しめ始めるようになり、それにより思春期の病らしきものが始まる。
このことが私のものの見方、考え方を大きく変え、後の人生に大きな影響を与える、というか、私の人生を思わぬ方向に決めていくのだが。
これについてはまた後日。