昨日は19時半から渋谷の伝承ホールで行われた「志らくのピン」に行ってきました。
開口一番は立川志奄さん(旧・らく八さん)の『真田小僧』。
今まで聞いてきた志奄さんに比べ、語りが明るいように思えました。志奄さんの声は、声優の富山敬さんそっくり。
声だけを聴いていると美男子を想像してしまいます。も、もちろんご本人もいい男……かな。
会場をきっちりと温めていました。
そして志らく師匠登場。
先日のお芝居『談志のおもちゃ箱』の裏話などから入り、そのお芝居の中で賛否両論のある蛭子能収先生についての話から(ちなみに、私は「賛」)、入った噺は『ろくろ首』。
おバカキャラの与太郎さんが主人公の噺です。
噺に入る直前に「与太郎というのは、蛭子さんみたいな人じゃないか」と話したため、蛭子先生が与太郎さんとずっと重なっていました。
師匠が著書にて、与太郎さんについて
「実はバカではない。考え方や価値観等が常人とずれているだけ。だから、常人以上に品がなくてはいけない」
と記されていたので、私は『道具屋』を覚える時、M学院の、のんびり・おっとりして品のある生徒さんを思い浮かべながらやっていました。
でも、言われてみると、蛭子先生が与太郎さんのイメージにピッタリはまる。(声のトーンは違いますが)
多分、これからずっと、落語の中で与太郎さんが出てきたら私の頭の中で蛭子先生の顔が重なると思います。
今回、どの噺についても現代的・世相的なギャグは少なかったように思えます。
この「ろくろ首」のラスト前までもそうで、「これが古典落語のテクニックだ!」というような語り。ラスト以外だと、現代的なオリジナルギャグは吹き矢のギャグやさりげないギャグが一瞬軽く入るぐらい。
いつもより静かに語っていらっしゃるように思えました。
なのに、私はその古典の語りに引きこまれ、いつも以上に多く笑っていました。
今日の師匠の語りは、いつもにも増して、綺麗に、パワフルに感じました。
この噺の最後の部分では、古典通りではなく志らく師匠のオリジナルが入り、ろくろ首の女が追いかけてくる様子は怪獣映画を見ているよう。
この最後の部分で一気に賑やかになり、前半部分とは違うドカンドカンという笑いが起きていました。
前半は古典の美しさで語って綺麗に笑わせ、それがかえってタメになって最後の部分を思いっきり盛り上げていたように思えます。
この噺ひとつで、古典落語の美しさ・心地よさと、怪獣映画を見ているような映像的な盛り上がりの両方を感じることができ、「す、すげぇ」と思っちゃいました。
次は『崇徳院』。こちらも、落ち着いた感じで綺麗にじっくり。
こちらも、いつも以上に古典の美しさを感じました。
最後は『一文惜しみ(五貫裁き)』。
志らく師匠のDVDにも入っている噺です。
正直に言って、あまり好きな噺ではありませんでした。
ケチな万右衛門さんがある程度やり込められるのは、まあ、いいとして。
大岡越前の裁きはケチな万右衛門さんを懲らしめるにしてもちょっとそのやり方が遠回りで陰険ないじめのようにも思えてくるし、八五郎さんや大家さんも相手の「ケチ」につけこんで独善的で勝手な正義を振りかざして虎の威を借る狐みたいにセコく思えてくるし。
元々の古典だと、万右衛門さんがもっと「悪者」で、大家さんたちはもっと格好良く描かれているのでしょうね。それはもっと嫌だなぁ。
『大工調べ』と同様に、志らく師匠や談志師匠は
「どちらが悪でどちらが正義だかわからない」
ということで、あえてこのような描き方をしているのでしょうが、それはわかっていても、私はこの噺を聴くと、もやもやっとしたものが残ります。
他の方がやる時のサゲはよく知りませんが、古典的なサゲは「強欲は無欲に似たり」という教訓めいたサゲなのでしょうか。
談志師匠のは「金に困っている人に金を与える時の気持ちよさを知った万兵衛さんが、人に金を与えすぎて一文無しになってしまう」という、皮肉なサゲ。
「強欲は無欲に似たり」だの「情けは人のためならず(情けをかけるのは他人のためではない、自分のためになるのだ)」だのといった、一見もっともらしいけれども思考停止的でインチキ臭い教訓を押し付けるようなサゲよりは遥かにいいのだけれども、善人になった万兵衛が一文無しになるサゲは「ま、世の中、結局こんなもんよ」という、ふてくされて荒んだ感じがして、皮肉ることで逃げているようにさえ思えて好きになれません。
私も、シニカルな描写を見て世の中の裏を見て賢くなったような気分になれる年でもないし。
で「あ~最後はこの噺で、もやもやっとした気分で終わるのかぁ」と思っていたら。
志らく師匠のサゲは、強欲者あるいは正直者のどちらが結局成功するだの失敗するだの、そんなことで終わるサゲではなく。
最後に損得や成功・失敗など、そんなもの抜きの人情が入り、荒んでいくように思えるラストに明るい救いが入り、軽い洒落でスッとキメる綺麗で心地良いサゲです。
このサゲ、志らく師匠のオリジナルです。
私にとっては、この噺にこれ以上のサゲはないんじゃないかと思われるくらい、いいサゲのように思えます。
やはり、師匠はどんどん工夫されているようですね。
実はこの噺を、師匠のDVDで一度聴いています。
DVDを見た時には、正直に言ってそれほど印象に残っていないサゲだったのですが、今回聴いて、「おー、すっげーいいサゲじゃん!!」と、驚かされました。
いつも以上に志らく師匠の語りの品と美しさを感じた志らくのピンでした。
志らく師匠
ここのところ気持ちが塞ぎ気味・すさみ気味だったのですが、今回の「ピン」でちょっと気持ちが明るくなりました。
師匠の綺麗な3席のおかげだと思います。
有難うございました。
開口一番は立川志奄さん(旧・らく八さん)の『真田小僧』。
今まで聞いてきた志奄さんに比べ、語りが明るいように思えました。志奄さんの声は、声優の富山敬さんそっくり。
声だけを聴いていると美男子を想像してしまいます。も、もちろんご本人もいい男……かな。
会場をきっちりと温めていました。
そして志らく師匠登場。
先日のお芝居『談志のおもちゃ箱』の裏話などから入り、そのお芝居の中で賛否両論のある蛭子能収先生についての話から(ちなみに、私は「賛」)、入った噺は『ろくろ首』。
おバカキャラの与太郎さんが主人公の噺です。
噺に入る直前に「与太郎というのは、蛭子さんみたいな人じゃないか」と話したため、蛭子先生が与太郎さんとずっと重なっていました。
師匠が著書にて、与太郎さんについて
「実はバカではない。考え方や価値観等が常人とずれているだけ。だから、常人以上に品がなくてはいけない」
と記されていたので、私は『道具屋』を覚える時、M学院の、のんびり・おっとりして品のある生徒さんを思い浮かべながらやっていました。
でも、言われてみると、蛭子先生が与太郎さんのイメージにピッタリはまる。(声のトーンは違いますが)
多分、これからずっと、落語の中で与太郎さんが出てきたら私の頭の中で蛭子先生の顔が重なると思います。
今回、どの噺についても現代的・世相的なギャグは少なかったように思えます。
この「ろくろ首」のラスト前までもそうで、「これが古典落語のテクニックだ!」というような語り。ラスト以外だと、現代的なオリジナルギャグは吹き矢のギャグやさりげないギャグが一瞬軽く入るぐらい。
いつもより静かに語っていらっしゃるように思えました。
なのに、私はその古典の語りに引きこまれ、いつも以上に多く笑っていました。
今日の師匠の語りは、いつもにも増して、綺麗に、パワフルに感じました。
この噺の最後の部分では、古典通りではなく志らく師匠のオリジナルが入り、ろくろ首の女が追いかけてくる様子は怪獣映画を見ているよう。
この最後の部分で一気に賑やかになり、前半部分とは違うドカンドカンという笑いが起きていました。
前半は古典の美しさで語って綺麗に笑わせ、それがかえってタメになって最後の部分を思いっきり盛り上げていたように思えます。
この噺ひとつで、古典落語の美しさ・心地よさと、怪獣映画を見ているような映像的な盛り上がりの両方を感じることができ、「す、すげぇ」と思っちゃいました。
次は『崇徳院』。こちらも、落ち着いた感じで綺麗にじっくり。
こちらも、いつも以上に古典の美しさを感じました。
最後は『一文惜しみ(五貫裁き)』。
志らく師匠のDVDにも入っている噺です。
正直に言って、あまり好きな噺ではありませんでした。
ケチな万右衛門さんがある程度やり込められるのは、まあ、いいとして。
大岡越前の裁きはケチな万右衛門さんを懲らしめるにしてもちょっとそのやり方が遠回りで陰険ないじめのようにも思えてくるし、八五郎さんや大家さんも相手の「ケチ」につけこんで独善的で勝手な正義を振りかざして虎の威を借る狐みたいにセコく思えてくるし。
元々の古典だと、万右衛門さんがもっと「悪者」で、大家さんたちはもっと格好良く描かれているのでしょうね。それはもっと嫌だなぁ。
『大工調べ』と同様に、志らく師匠や談志師匠は
「どちらが悪でどちらが正義だかわからない」
ということで、あえてこのような描き方をしているのでしょうが、それはわかっていても、私はこの噺を聴くと、もやもやっとしたものが残ります。
他の方がやる時のサゲはよく知りませんが、古典的なサゲは「強欲は無欲に似たり」という教訓めいたサゲなのでしょうか。
談志師匠のは「金に困っている人に金を与える時の気持ちよさを知った万兵衛さんが、人に金を与えすぎて一文無しになってしまう」という、皮肉なサゲ。
「強欲は無欲に似たり」だの「情けは人のためならず(情けをかけるのは他人のためではない、自分のためになるのだ)」だのといった、一見もっともらしいけれども思考停止的でインチキ臭い教訓を押し付けるようなサゲよりは遥かにいいのだけれども、善人になった万兵衛が一文無しになるサゲは「ま、世の中、結局こんなもんよ」という、ふてくされて荒んだ感じがして、皮肉ることで逃げているようにさえ思えて好きになれません。
私も、シニカルな描写を見て世の中の裏を見て賢くなったような気分になれる年でもないし。
で「あ~最後はこの噺で、もやもやっとした気分で終わるのかぁ」と思っていたら。
志らく師匠のサゲは、強欲者あるいは正直者のどちらが結局成功するだの失敗するだの、そんなことで終わるサゲではなく。
最後に損得や成功・失敗など、そんなもの抜きの人情が入り、荒んでいくように思えるラストに明るい救いが入り、軽い洒落でスッとキメる綺麗で心地良いサゲです。
このサゲ、志らく師匠のオリジナルです。
私にとっては、この噺にこれ以上のサゲはないんじゃないかと思われるくらい、いいサゲのように思えます。
やはり、師匠はどんどん工夫されているようですね。
実はこの噺を、師匠のDVDで一度聴いています。
DVDを見た時には、正直に言ってそれほど印象に残っていないサゲだったのですが、今回聴いて、「おー、すっげーいいサゲじゃん!!」と、驚かされました。
いつも以上に志らく師匠の語りの品と美しさを感じた志らくのピンでした。
志らく師匠
ここのところ気持ちが塞ぎ気味・すさみ気味だったのですが、今回の「ピン」でちょっと気持ちが明るくなりました。
師匠の綺麗な3席のおかげだと思います。
有難うございました。