昨日は、16時45分に渋谷のM学院での授業を終え、ダッシュでらく塾に向かいました。

「らく塾」は、立川志らく師匠が主催している落語教室です。

17時開始の実技クラスに15分遅れて到着すると、Iさんが「看板のピン」をやっていました。
今年、志らく師匠がよくかけていらっしゃっていたネタです。
Iさんが演じ終わると、志らく師匠から、実演を交えつつ、具体的なご指摘。
間近で志らく師匠の実演を見ることができるのは何とも有り難い事であり、また、指摘の内容は、「おぉ! なるほど!! そこまで考えてやらなくっちゃいけないのかぁ!!!」と思わされる「目から鱗」な内容。毎回びっくりされられます。

そして私。
噺は「道具屋」です。
この話を見ていただくの今日が初めて。
今まで見ていただいた「道灌」「たぬき(狸の札)」「たらちね」では八五郎さんが主人公でしたが、この噺では「与太郎」さんが主人公。
与太郎は初めてやるキャラクターです。
今まで何度か日記に書きましたが、このキャラクターの描き方について悩んでいました。
「バカの与太郎」と言われる通り、普通の人と感覚が大きくずれている与太郎さん。
「じゃぁ、バカっぽくやればいいんじゃないの?」というわけでもなく。
志らく師匠の「全身落語家読本」によると
「単なるバカではない。世間の常識に合わないからバカと言われるのであって、決して精神薄弱ではない。むしろ哲学者の雰囲気すら醸し出させるべきキャラクター」
であって、故・立川談志家元によると「与太郎は生産性はないが、その分優雅な奴」だとのこと。
志らく師匠のDVDに入っている「大工調べ」で出てくる与太郎は、ゆっくり喋り、声の低いキャラクターでした。
でも、前回、Mさんの「二人旅」のご指導時に「ボケる方が声が高め、突っ込む方が低め」とおっしゃっていたし。
さらに、今回、私は柳家小さん師匠ので覚えましたが、小さん師匠の演じる与太郎の声はそれほど低くなく、場面によってはむしろ声が高いところも。
低い声よりも高い声の方が「優雅」に聞こえるような気もするし。
「『大工調べ』の与太郎と、『道具屋』の与太郎は別人かも」と思い、結局、今回、私は与太郎を「世間知らずの王子様」のような感覚で、声はむしろ少し高めにしてやってみることにしました。
志らく師匠の「全身落語家読本」によると「この与太郎の演じ方で演者のセンスがわかる」とのことで。
さて、私のセンスは。

スタート。
志らく師匠は我々に稽古をつけてくださる時、指摘すべきところをメモされているようで、一席終わった後でそのメモ帳を見ながら指摘されます。
私が与太郎に入ったら、早速師匠がメモ帳に何かメモされました。

あぁ、やっぱり与太郎の演じ方は間違っていたんだ……

と凹みつつ、そのまま続行。
上手(かみて)側に座っている人が目立つ色のペットボトルを置いていたので、それを上手の目線に決めたのですが、噺に入るとすぐに、そのペットボトルをバッグの中に入れちゃった。
ありゃりゃりゃ……と思い、今度はペットボトルの持ち主に目線を定めたら、動いたりバッグから何か取り出したりする度に気になる。
動く可能性もあるものに目線を定めるのはマズイと気がつき、その人の後ろの壁に目線を決めて何とか続行。

フリーズすることはありませんでしたが、途中で引っかかって言い直してしまったり、噛んでしまったり、上下(かみしも)を間違えてしまったり……と、ぐじゃぐじゃになってしまったところも多々ありました。
なるべくゆっくり喋ろうと思うのだけれども、やはり慌ただしくなっているのは自分でもわかる。でも、速くなるのを止められない。
与太郎はゆったりと喋らなくてはいけないのに。
早口になってしまうのは、師匠に最初に見て頂いた時から指摘されているのですが、未だになかなかよくなりません。
ということで、今回も、師匠に貴重な時間を割いて無理に見ていただいているのに申し訳ない出来具合になってしまいました。

こんな状態で何とか「道具屋」が終わり。
師匠からは、やはり与太郎の演じ方が根本的に違っているとのご指摘。
さらに「与太郎はボケているのではない。常人とは違う感覚なのだから」とのご指摘。これは目から鱗で「なるほど、そうか!!」と思わされました。
私の描いていた与太郎像は甘かったようです。
さらに、台詞の直すべきところや、動きについてのご指摘とアドバイス。
今回もグズグズと言えばグズグズだったのですが。
意外にも「前の『たらちね』の時より聴き取りやすかった」というお言葉をいただきました。
まぁ、今までがあまりにも酷すぎるのですが。
これは、私が進歩して口調が良くなったというわけではなく、「ポンポンとした台詞のやりとりが少ないこの噺は、今までの噺よりも(私に)あっているかも」ということのようです。
この「道具屋」での与太郎のゆったりした口調を練習することを通して、台詞をゆっくり丁寧に喋ることができるようになったらいいなぁと思っていますが、低い声でゆっくり喋り、それで笑いを取るのはなかなか難しそうです。

実技クラスはいつもIさん、Mさん、そして私の3人ですが、今回Mさんは実技欠席。Mさんは講義クラスだけの参加となりました。

19時になって講義クラス開始。
皆様ご存知の通り、志らく師匠の師匠である立川談志家元が先月逝去されたばかり。
やはり、今回は談志師匠に関する質問がたくさん出ました。
皆さんからの質問状に答える前に、志らく師匠ご自身から、談志師匠の死について。
志らく師匠は、立川談志の死を「自分にとってとても大事な人が亡くなった」とだけ捉えるのではなく、もっと冷静に捉えていらっしゃいました。
「立川談志の命日は現代落語が崩壊した日。我々が復興しなくてはいけない」
と捉えていらっしゃるようです。

言われてみれば。
それまで、落語に関する蘊蓄を語る知識人らしきものはたくさんいたのだろうけれども、「落語は現代とともにあるべき。己の言葉で語るべき」と訴えたのも立川談志が初めてだったし、口先・言葉面だけの薄っぺらな概念操作によるこじつけ芸術論でなく、落語を「業の肯定」「イリュージョン」等という斬新でかつ本質的な観点からとらえ、さらにそれらを実践し、落語を単なる「古典芸能」ではなく、ただの「大衆芸能」でもなく、「最先端の芸術」にまで高めたのも立川談志だったのではないだろうか。
希代の芸術家・評論家・哲学者であり、落語が博物館行きになるのを食い止めていた立川談志が亡くなったということは、一個人が亡くなったという問題ではなく、社会的な喪失と捉えるのはもっともといえのかもしれません。

私から志らく師匠への質問は、こちら↓。

「落語界における師弟関係で、会社の上司と部下との関係や学校の教師と生徒との関係などにはない独特の部分、我々一般人には理解しにくいと思われる部分を教えていただけないでしょうか。また、師弟関係というもののの良い面・悪い面と思われるものや、師匠が理想とする師弟関係についても教えていただけないでしょうか」

立川談志については他の人からたくさん質問が出るだろうし、志らく師匠もその類の質問にはうんざりされているかもしれないし。
でも師匠の気が向いたら「弟子と師匠」に絡んで談志師匠の話もしてもらえるかもしれないし。
ということで、この質問にしました。
今までのらく塾で「師匠と弟子の関係は恋愛と同じで、弟子から師匠に対しての片思いの関係からスタートし、弟子は徹底的に師匠を愛して師匠を追いかけ、その恋愛が成就する(師匠に認めてもらう)ように努力し続けるべき。それが、どうしてもいつの間にか『慣れ』が出てきて親子のような関係になってしまうのが良くない」と何度もおっしゃっていますが「立川談志が亡くなった今、師弟関係というものについてその考え方が変わり始めたりしているかも」という思いもあり、この質問にしたというのもあります。

因みに。
私自身は生徒さんたちに対して「なるべく早く、私が必要でない状態になってほしい」と思っています。
やはり、落語界の師弟関係とは全く違うなぁ。

志らく師匠のツイートを見たら、師匠はらく塾の前に、対談と取材があったとのこと。
大変お忙しい中でのらく塾でした。

講義クラス後、スケジュールの都合で今回講義クラスだけ出席した講義クラスのMさんと一緒に食事をしました。
Mさんには、今までいろいろとアドバイスを頂いています。
今回も、いろいろとアドバイスを頂きました。
Mさん、ありがとうございました。次回も宜しくお願いします。

志らく師匠
無茶なお願いをして実技クラスに入れていただいたのが1年前。
会費があるとはいえ、私への指導は師匠にとってほとんど「無償」といえるもので、プロになるわけでもなく、しかもなかなか伸びない私への指導は師匠にとって何のメリットもなく、ストレスでしかないとは思いますが、毎回丁寧なご指導をいただき、感謝しつつ、同時に申し訳なく思っております。
それでも、「一方的な片思い」として、何とか師匠に食らいついて勉強させて頂きたく思っております。
1年間、本当にありがとうございました。
これからも宜しくお願いします。