わずか22歳にして日本の歴史を大きく変えた女性、
ベアテ・シロタ・ゴードン。
彼女がずっと訴え続けた女性の権利は、現在の日本国憲法のなかに
第24条として残されています。
ベアテの父親レオ・シロタは世界的ピアニスト。
コンサートツアーの締めくくりとして来日公演したのをきっかけに、
反ユダヤ主義の時代背景から、
家族で日本に滞在することとしました。
このときベアテは5歳。
活発だった彼女は、すぐに友だちをつくり3ヶ月も経たないうちに
日本語をしゃべりはじめる。
両親はドイツ語、ロシア語、フランス語、英語を使いこなしましたが、
なかなか日本語を覚えられず、ベアテは両親の通訳となります。
日本にも戦争の影が忍び寄り、ベアテは、アメリカへの進学を決意。
サンフランシスコの大学に留学したベアテは、成績も優秀で奨学金を
もらいながら大学に通っていましたが、両親からの仕送りがとだえたことで、自ら翻訳者として働き生活費を稼ぎながら大学生活を送り、
卒業後には陸軍の情報部で翻訳と日本語ラジオ放送の仕事に就く。
さらに2年後、ニューヨークに移り住み、
雑誌タイムの外国部で働きはじめました。
しかし、ここで彼女は厳しい現実を突きつけられます。
当時のタイムでは、記者になれるのは男性だけで、女性はリサーチ・アシスタントという「資料探し」の仕事にしか就けなかったのです。
6ヵ国語をあやつり、大学での成績も優秀で、メディアで働いた経験をもっている自分が、ただ女性というだけの理由で、記者になれない。
彼女は大きな疑問を感じながらも、
リサーチの仕事に全力で取り組みました。
太平洋戦争が終結すると、ベアテは日本に帰ることを決意します。
終戦間もない日本では、民間外国人の入国が厳しく制限されていたため、GHQの職員に応募し、兵士たちと一緒に日本に入ります。
こうしてベアテは、日本国憲法の草案をつくることになります。
憲法や法律の専門家ではない22歳のベアテは、6ヵ国語をあやつる語学力と、タイム時代に磨いたリサーチ能力とで、世界中の憲法をかき集め、ベアテに与えられた担当の「女性の権利」を書いていきます。
もともとベアテは、日本女性が置かれた立場にずっと疑問を持っていました。
アマテラス女神の崇拝や、何人もの古代の女帝、女流作家が活躍してきた歴史の中、サムライの男たちが国を支配するようになると、女性の立場はどんどん弱くなり、西洋化を図った明治憲法でも改善されずに、
戦前の女性には参政権がなかったため、投票権もなく、国会議員にもなれない。
財産は男性のものとされ、相続権も、子どもの親権もなく、自分で裁判を起こすこともできず、教育や就職の面でも差別を受け、親の命令で顔も知らない男性と結婚させられることも、あたりまえのことでした。
ベアテは「女(おんな)子ども」という言いまわしがいやで、
まるで大人の男性と子どもの中間に「女」がいるような違和感を覚えていて、日本の女性と子どもが幸せになったとき、日本に平和が訪れ、日本人が幸せになれるのだ、とつねづね考えていたといいます。
日本国憲法 第24条
一 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
ニ 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。