ソフィア・コッポラ監督脚本「ブリングリング」(2013年)を10年ぶりに観直しました。
ハリウッドのセレブ宅に忍び込んでは窃盗を繰り返したティーン達が実際に起こした事件をベースにした映画です。
"Bling Ring" Photo by Craig Duffy
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被害にあったパリス・ヒルトンの邸宅等を実際にロケしたことでも話題になりましたね。
しかし、今観ても驚愕の事件です。
さて、「ブリングリング」の物語はこうです。
カリフォルニアの高級住宅街。転校した冴えない高校生マークに声をかけてきたのはイケてる女子レベッカ。
仲良くなったレベッカに誘われるままに置き引きを始めたマーク。
レベッカはさらに友人のニッキー(エマ・ワトソン)、クロエ、サムも誘い、マークがセレブの予定をネットで調べる。
で、セレブが不在の夜、皆で豪邸に忍び込む。
ブリングリング窃盗団はセレブの高級品を盗んでは身につけてSNSにアップ。
盗品を売りさばき、パーティー三昧の日々を謳歌するが…というお話。
マークはルックスに引け目を感じていて、疎外感を抱いている男子です。
だから「レベッカは初めて出来た親友だ」とマークは感じるんですね。
マークとレベッカは男女ですが、2人の関係に性的ニュアンスはありません。
マークとレベッカ達の交友のあり方は、今時のティーンですね。
日本のティーンもこういう感じが増えてるようです。
昔とは違って思春期の友人関係でも性別に過敏ではなく、いわば性別が気にならない、あるいは境界が曖昧な友情のあり方です。
しかし、ブリングリング窃盗団の犯行動機は、今考えてもモヤつきますね。
皆が物質的には豊かな家庭の子達です。ただ家庭の養育環境は偏っていますね。
そんな彼女達がセレブ宅で盗み、はしゃぐ。
「ブリングリング」とは、「キラキラしたヤツら」という意味だそうです。
「自慢するためにキラキラした装飾品などを見せつける」というニュアンスなんですね。
窃盗団の子達には、キラキラしたセレブのライフスタイルへの憧れがありますが「それだけでここまで無茶苦茶するのか?」と。
確かに彼女達は空っぽな子達です。
しかし、その心の中は孤独や孤立への怖れ、本当の友情や家族の愛情が希薄…。
そういう苦悩があることが窺えます。
犯行はど素人丸出しの雑な手口ですから、結局逮捕される窃盗団。
そしてレベッカにあっさり見限られたマークは傷ついたことでしょう。
それよりもマークが一番感じたのは「女子は分からない」ということではないかな、と。
ソフィア・コッポラ作品全般に通じる「男には女性はわからない謎」という感覚です。
この映画が提示した社会問題は解決などしない気がします(苦労して更生などしなくともそのまんまでカネが入るシステムだから)。
ブリングリング窃盗団の子達は、悪事をはたらいて有名人になったことでSNSが繁盛します。
メディアも それに乗っかって皆の心が荒む、という負の無限ループ。
ブリングリング窃盗団の犯行と逮捕後の言動には、公開当時はまだ驚きドン引く猶予がありましたが、今は当たり前になった感さえあります。
今観ても窃盗団の若者たちには違和感しかありませんが、ネット、SNSの負の側面は即日本社会も追いついてしまった。そんな10年だったんじゃないですかね。
ネットで世界が瞬時につながっている現代社会は、良いものも悪いものも即共有されます。
そして無軌道な思春期。
この社会問題は、今後どんなフェーズを迎えるんでしょうか。