鬼才スタンリー・キューブリックが核戦争の恐怖を描いた「博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」(1964年)をご紹介します。
"Movie-Poster-Dr-Strangelove[1]" Photo by Père Ubu
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アメリカ空軍基地の司令官が正気を失い、爆撃機にソ連の基地への核攻撃を指令してしまう。
爆撃機は核攻撃の作戦マニュアルに従って外部からの通信を遮断してターゲットに向かって飛行。
この事態を知ったアメリカ政府、軍の首脳はペンタゴンの戦略会議室で対応を協議を慌ただしく始める。
しかし、大統領と軍トップは意見が合わないし、休みぼけのソ連首相との電話会談、スパイ癖が抜けない大使の登場含めてドタバタしている間にも残り時間はどんどん無くなってゆく。…
"drstrangelove" Photo by Geoffrey Chandler
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冒頭でアメリカ空軍による但し書きがテロップで流れるんですが、これが却って恐怖を感じるという皮肉。
「博士の異常な愛情」の背景には冷戦時代の米ソの核競争があります。
60年代アメリカの人たちはシェルター付きの新築住宅を購入していたそうです。
核戦争は身近な恐怖だったんです。
映画公開の前にはキューバ危機がありました。
ケネディ大統領の伝記を子ども時代に読んでキューバ危機を知りましたが、核戦争寸前だったことを知って小学生の僕はゾッとしました。
特に日本は被爆国ですし、僕は子どもながらに核戦争の恐怖を感じていた記憶があります。
成長と共に、いつしかその恐怖を抑圧して普段は忘れて生活するようになりましたが、現実が良くなったわけではありません。
現代は映画公開時の60年代よりも核兵器の脅威は深刻になっています。
抑圧していた恐怖を改めて再認識せざるを得ない哀しさです。
だからこの古典的名作は観ていてその怖さは色褪せないどころか今も鮮烈です。
"Day 31: Dr Strangelove" Photo by Tom Small
source: Day 31:
「博士の異常な愛情」は、それぞれの言い分がいかに狂気の沙汰かを描いた風刺なんですが、キューブリックはブラックコメディに仕立てたんです。
確かにシリアスに作ったなら怖すぎて観られなかったかもしれません。
もちろん、コメディ仕立てであっても恐怖を感じざるを得ないテーマです。
相手と核兵器の格差があってはならぬ、と核競争によってギリギリのバランスを保とうとする。
一度始まったら止まらない。そしてバランスはあまりにギリギリの危うさなんです。
この映画では、一人のマッドマンの登場でそのバランスがあえなく崩れてしまう。
米軍の武器開発顧問ストレンジラヴ博士(ピーター・セラーズは博士と大統領、補佐官の一人三役)が淡々と兵器について解説したり、核戦争後の対策について語り出す描写は背筋が冷たくなる恐怖。
それだけでなく、「人は変わらない」ということでもあるんですね。
キューブリックは、変わらぬ愚かな人間の姿をシニカルに描いています。
"Slim Pickens Riding Bomb in Dr Strangelove 1964 Stanley Kubrick 3529" Photo by Brecht Bug
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先日アカデミー賞7部門を制覇したクリストファー・ノーラン監督の「オッペンハイマー」が日本公開間近です。
主演のキリアン・マーフィーは、オッペンハイマー後の世界に我々が今生きていること、そして平和への願いを受賞スピーチで述べていましたね。
「オッペンハイマー」を観た海外の観客がどう捉えているのか日本で報じられないのも気になりますが、どうだったんですかね。
そして日本人の観客はどんな感想を抱くでしょうか。
この矛盾を孕む難題を考える機会になると思います。
「博士の異常な愛情」も未見の方は併せて是非お勧めします。