「晩春」~余韻が染み渡る | ネコ人間のつぶやき

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 今年は小津安二郎監督生誕120年の記念の年。小津が原節子を初めて主演に起用した「晩春」(1949年)は、一人娘の結婚と初老の男親の孤独を描いた名作です。

 

"nuriko" Photo by Nur

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 冒頭、日本の原風景のごとき美しい鎌倉が映し出されます。

 

 そして茶会で茶道をたしなむ原節子演じる紀子の姿。

 

 原節子のあまりの美しさ。

 

 ポ~っと見とれてしまいます。すっかり心奪われました。

 

 原節子や紀子の親友・アヤを演じた月岡夢路といった昭和の女優は和の美しさと洋の美しさが映える方達でしたね。

 

 大学教授の周吉(笠智衆)は娘の紀子(原節子)と北鎌倉で2人暮らし。

 

 独身の紀子は周吉と電車で銀座へ出かけたり、父の大学助手の服部(宇佐美淳)とサイクリング、アヤ(月岡夢路)との交流を楽しんでします。

 

 ある日、世話焼きの叔母・まさ(杉村春子)が紀子に縁談を持って来ます。

 

 紀子は結婚する気なんてありませんが、周吉は娘にいい人と一緒になってほしい、と願っていて…。

 

"P1100875 from "Late Spring" by Ozu" Photo by Kunio Yoshikawa

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 小津安二郎の代名詞、ローアングルで動かぬカメラが淡々と日常を映し出す。

 

 そういう意味では、紀子と服部のサイクリング場面は動きがあって珍しいですね。

 

 七里ヶ浜で海を眺める二人。

 

 服部は紀子に「あなたは ヤキモチ焼くひとじゃないなぁ」と言うと、紀子は「ところがあたしヤキモチ焼きよ」とコケティッシュな笑みを浮かべて答える。

 

 「だってあたしがおたくあんを切ると、いつもつながっているんですもの」。

 

 「たくあん」じゃなくて「おたくあん」と言う紀子の清廉で品の良さがよい。

 

 上品で軽妙な会話のやりとりが好きです。

 

 服部も「疲れませんか?」と紀子を気遣い優しい。

 

 それにしても服部さん、「たまにはいいですよ。つながったたくあんも」なんて、もうすぐ別の女性と結婚するというのにめっちゃ紀子が好きじゃないですか😄

 

"P1090267" Photo by Kunio Yoshikawa

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 アヤは当時は珍しいバツイチ(小野寺のおじさんも)。

 

 「ワンダン(野球のワンアウト)しただけよ」と言うアヤはタフでとてもサッパリしている女性です。

 

 彼女はタイピストをしていて、家でケーキを焼いたり、部屋もモダン。ライフスタイルがオシャレなんです。

 

 紀子の日常(銀座の買い物もそう)ですが、どん底の戦後、豊かさを求めた庶民の夢の世界でもあったように感じます。

 

 映画公開は終戦して4年後。

 

  20代前半で結婚してゆく時代でした。

 

 56歳の周吉が人生の終わりを意識しているのは、人生80年の現代からするとやはり早い。

 

 ほんの数年前まで空襲や徴兵によって死というものが日常的だった、ということも大きかったのでしょう。

 

 一方で、紀子が「ゲーリー・クーパーが好き」だったり、まさまでこのアメリカ人の二枚目俳優をもじって「クーちゃん」と言う。

 

 そこに葛藤を感じさせないんですね。

 

 前向きに生きようということなのか。あるいは戦争が終わってわずか数年、ころっと価値観の大変化を葛藤なく受け入れる、そういう日本人の姿でしょうか?

 

 まぁ、こういううんちくやら深読みに走ると名画の本質を見過ごすものですから、このパートは蛇足です。

 

"noriko-somiya-setsuko-hara-late-spring" Photo by Steve Harlow

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 笠智衆演じる周吉は穏やかで優しい。インテリですが話も理屈っぽくない。

 

 紀子はそんな父親を慕っています。

 

 「お父さんの傍にいる今以上の幸せなんてありません」とまで言う。

 

 紀子の母が他界した時期や理由は不明ですが、母親不在(だったかも)の紀子が戦時中病を患っていたことは、余計に娘の父親への情緒的結びつきが強固になったのやもしれません。

 

 周吉が紀子に縁談を勧めた際の彼女の恨めしい表情。

 

 「つながったおたくあん」という名の嫉妬がすぐに浮かびます。

 

 周吉の再婚相手として名前が挙がっていた秋子(三宅邦子)を観る紀子の眼差しをあわせて考えると、あの怖い表情になるのでしょう。

 

 ただ、こんな精神分析的な暗い読み?をせずともこの娘の父への愛はかなりのものだと分かります。

 

 でもそこは深めずに親子の絆、別れ難しとして観るのがよいかと思います。

 

"noriko-somiya-setsuko-hara-late-spring-04" Photo by Steve Harlow

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 そんな紀子を周吉がこんこんと諭すシーンは父親の愛情です。

 

 「幸せは待つものじゃなくて作ってゆくものなんだよ」と語る周吉。

 

 小野寺のおじさんが住む京都への旅は親離れ子離れのイニシエーションだったんですね。

 

 周吉は小野寺と横並びで龍安寺西源院の境内に座り、「娘はつまらんね。せっかく育てると嫁にやるんだから」と娘を嫁がせる男親の寂しさ、心情を語り合います。

 

 紀子はこの旅で吹っ切れた表情になっています。

 

 やはり、別れには儀式が必要なんですね。結婚式も同じ意味合いがあります。

 

 イニシエーションとは別れと旅立ちのために踏ん切りをつけるということですから。

 

"P1090571" Photo by Kunio Yoshikawa

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 オチも大好きな「晩春」。

 

 周吉がアヤに甘えるところがジンワリとしてきます(なぜアヤが周吉を甘やかせてくれたかは、ここでは伏せておきます)。

 

 そして独りトボトボと帰宅した周吉。

 

 もう紀子はいないから自分でリンゴの皮をむく。

 

 リンゴの皮が畳に落ちる。そしてガクっとうなだれる周吉。

 

 娘への愛情と引き換えに、老いて孤独となった父の寂しさ。

 

 監督の遺作「秋刀魚の味」までこの父親の悲哀は一貫していました。

 

 そして「晩春」は、優しい世界でもあることを強調したいと思います。

 

 余計な説明なくとも観る者がキャラクター達を理解出来る演出。無駄が無い。

 

 清楚な美しさ、あるいは引き算の美学か。

 

 静かで余韻が沁み渡ります。

 

 「晩春」はじめ小津作品を一言で表すならこの「余韻」ではないでしょうか。