「荒野のストレンジャー」~人間の本質を皮肉った寓話 | ネコ人間のつぶやき

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 クリント・イーストウッド監督主演「荒野のストレンジャー」(1973年)は異色の西部劇です。

 

"Eastwod" Photo by Michael Newhouse

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 ラルゴの町に流れ者(クリント ・イーストウッド)がやって来ます。


 流れ者は町に着いた早々、絡んできた3人組を瞬殺。

 

 それを知ったヘタレな保安官が、1年前に刑務所送りにした3人組が出所、復讐のために町に現れるだろうから、と流れ者に町の用心棒を依頼します。

 

 しかし、引き受けた流れ者は、段々王様のように振る舞うようになるんです。

 

 流れ者から「町中の建物をペンキで赤く塗れ」など、理解に苦しむ要求をされる住民は不安を募るようになる。

 

 この流れ者は何者なのか?徐々にその正体が明らかに…。

 


 「荒野のストレンジャー」は賛否両論みたいですが、私はとてもおもしろいと思いました。

 

 保身しか考えていない人間に対する報いとは何か?

 

 因果応報というものがあるとしたなら?…

 

 ホテルのオーナーがある事件について妻に言います。

 

 「町の利益のためには時に犠牲も必要だ」。

 

 妻が「犠牲になった者への代償は?」と聞き返すとオーナーは「今頃良心に目覚めたのか?」。

 

 オーナーはその足で教会に行くんです。

 

 今も変わらず罪深き者は皆こう言います。

 

 「皆の利益のためには時に犠牲も必要だ。仕方なかったんだ」。

 

 で、同時に神への信仰だとか、大義や良心を説く。ダブルスタンダードの極みなんですね。

 

 大方の人は自分の悪行の報いというものを普段は忘却しようとも、どこかで怯えているのかもしれない。

 

 「後ろめたい」という言葉がありますが、それは見殺しにした誰かへの罪悪感。

 

 要は愚かしい己の過去です。

 

 人は堂々と生きる方が良いわけですよ、やっぱり。 

 

 本作の皮肉とブラックユーモアが巧いですね。

 

 「荒野のストレンジャー」は寓話なんです。

 

 寓話とは、ある教訓などを何か別の物語に託す物語の形式で、有名なのはイソップ物語ですね。

 

 クリント ・イーストウッドの監督作は基本寓話の色合いが特に強いです。

 

 製作のマルパソとはイーストウッドが設立した映画会社です。

 

 イーストウッドが儲け主義ではなく、自分が撮りたい映画を作るために設立したんです。

 

 「荒野のストレンジャー」は西部劇では異色中の異色作で、マルパソの存在意義が発揮されて世に出すことが出来たんでしょう。

 

 とは言え、共同制作と配給の大手ユニヴァーサルがOKを出したのはちょっと驚きですね。

 

 出だしはセルジオ・レオーネ監督とのコンビで撮ったマカロニウエスタンと思わせますが、それを期待すると肩透かしを食らいます。

 

 が、この作品、佳いですね。名作です。私は好きですね。