マリリン・モンローとジョー・ディマジオの愛 | ネコ人間のつぶやき

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 今年生誕90年を迎えた大女優、マリリン・モンロー。彼女の二回目の結婚のお相手が元大リーグのスーパースター、ジョー・ディマジオです。ディマジオも二回目の結婚でした。

 

マリリンとディマジオ。

"Evan Esar" Photo by Peter K. Levy

source: https://flic.kr/p/CHMCu5

 

 マリリンとディマジオは新婚旅行で日本を24日間訪れています。先日BS朝日放送で「運命の24日間!日本でのハネムーンの真相」と題された番組が放送されていました。

 

 とても興味深い内容でしたね。今回はこの番組の紹介と私見をお話したいと思います。

 

  二人のなれ初めはディマジオがマリリンの写真を見て一目ぼれ。そして彼女に猛アタックして交際に発展したそうです。

 

"BE030703" Photo by Tullio Saba

source: https://flic.kr/p/eQM3QS

 

 日本行きはディマジオの希望で、彼がマリリンに日本での自分の人気を見せたかったこと、そして日本各地で野球教室を行うという自分自身のビジネスのためだったとか。

 

 しかし、ディマジオの思惑は外れ、最初の羽田空港からマリリンに皆の注目が一斉に集中。その後日本の行く先々でも同様で、ディマジオはそのせいでイラつく場面があったそうです。

 

 そして有名な話しですが、新婚旅行中のマリリンにアメリカ軍が当時休戦に入ったばかりの朝鮮戦争の米軍慰問を要請しました。

 

韓国で米軍を慰問したマリリン。

"Marilyn Monroe, Korea, 1954" Photo by USMC Archives

source: https://flic.kr/p/bk9FhU

 

 マリリンは日本にディマジオを残して韓国でマリリンは4日間で12回のステージを行いました。その間ディマジオは日本で野球教室を行いました。

 

 マリリンは極寒の屋外でスパンコールのドレス姿で熱唱、風邪をひいて熱発をしてもプロとして舞台に立ったそうです。

 

 その後日本で再び合流した二人は新婚旅行を終えて帰国。そして新婚旅行後のわずか8か月後二人は離婚しました。

 

 離婚後、マリリンは映画会社からの独立をするという当時では革命的な行動に出て、さらにはニューヨークのアクターズ・スタジオで演技のレッスンを受け、演技派への脱皮に成功。

 

韓国でのステージでマリリンは直に自分が皆に必要とされる存在ということを初めて実感したそうです。

"Marilyn Monroe, Entertaining Troops in Korea, 1954" Photo by USMC Archives

source: https://flic.kr/p/bk9C3Y

 

 マリリンはディマジオと離婚して8年後自宅で突然の死を迎えますが、晩年のマリリンを気にかけていた数少ない一人がディマジオ。

 

 そしてマリリンの死の翌日に飛んで駆けつけ、泣いたのもディマジオだったそうです。

 

 ディマジオはマリリンの葬儀も執り行い(ちなみに三番目の夫であるアーサー・ミラーは参列していない。当時マリリンと噂だったジョン・F・ケネディはコメントもしていない)、マリリンの故郷・LAに彼女のお墓を作り、ディマジオは週3回欠かさずマリリンのお墓にバラを2本捧げに20年間通い続けたそうです。

 

 マリリンと離婚後、生涯独身を貫いたディマジオは知人に「自分が死んだらマリリンに会える」と語っていたそうです。ジンワリするエピソードですね。

 

遺作となった「荒馬と女」(1961年)。原題の「The Misfits」とは「不適応者たち」の意味で、ずっと社会適応に苦しんだマリリンを連想させる。

"1961" Photo by Amaryllis Sternweiser

source: https://flic.kr/p/dwv4mY

 

 マリリンも日本旅行の楽しい思い出を友人に語り、「紳士は金髪がお好き」(1953年)で使用したブレスレットを大切にしていました。この映画の頃はディマジオと仲睦まじかった時代だった、と解説されていました。

 

 「日本の新婚旅行は二人にとって失敗だった」という認知が一般的かもしれませんが、二人は別れた後も互いのことを内心気にかけていたのかもしれないですね。 

 

 でも見方を変えれば、ディマジオと結婚し、彼との日本での新婚旅行がマリリンの女優としての新たな自己実現への足掛かりになったようにも思えます。

 

マリリンが大事にしていたブレスレットは「紳士は金髪がお好き」(1953年)で「Diamonds are a Girl's Best Friends」で歌う場面で両手首に着けていたブレスレットだった。

"Marilyn" Photo by RockyandNelson

source: https://flic.kr/p/dgkoBH

 

 そしてマリリンと別れた後も、マリリンが亡くなった後も彼女を愛し続けたディマジオ。彼はマリリンの死後独身を貫きました。

 

 きっと自分と別れた後のマリリンの不安定な生き方に胸を痛め、自責の念と後悔と共に。

 

 男女関係や夫婦関係に限りませんが、真実というものは当事者にしかわからないものです。

 

 マリリンとディマジオの夫婦関係の期間自体は確かに短いものでしたが、だから二人の関係自体が失敗だったかどうかは誰にも言えないことだなあ・・・と思ったりします。

 

"BE030701" Photo by Tullio Saba

source: https://flic.kr/p/eQzE8T

 

  これは私のまったくの想像ですが、今天国でディマジオはマリリンに再会していることでしょう。

 

 マリリンはディマジオに「たくさんの綺麗なバラをありがとう」と彼にお礼を言っていると思いますね。

 

 

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