大田区の私の家のあたりはかつて馬込文士村と呼ばれ、多くの文学者が住んでいました。

 

三嶋由紀夫の家は、現存しております。

 

篠山紀信の写真集「三島由紀夫の家」がそのまま残っているのです。

 

 

本名は平岡公威(きみたけ)で、三嶋から見た富士山の雪にちなんでペンネームは三島由紀夫…

 

 

その三嶋にあるのが三嶋大社

 

 

富士山が御神体□□□

 

富士山はマグマのエネルギー□□□

 

そして、海からは船の目印となった□□□

 

富士山は日本一高い山

 

そして、駿河湾は日本一深い「豊饒の海」

 

外国人のインバウンドの目的もまずは富士山

 

 

当日は雨後曇りで、お目当ての富士山は見れませんでしたが…

 

 

雲に遮られて見ることはできなくとも、そこに富士山は現在する。

 

その実体としての富士山が日本人にとっての神様

 

この季節の三嶋大社、

 

松の木の下や幹に生えるコケにも神様を感じます。

 

 

 

三嶋由紀夫は1971年に市ヶ谷駐屯地で自決…

 

当時はほとんど相手にされなかった

 

演技性パーソナリティ障害?

 

同性愛?

 

頭が良すぎておかしくなった?

 

 

遺書ともいわれる三嶋の文章はその後の日本を言い当てているよう…

 

「このまま行ったら、「日本」はなくなってしまうのではないかいといふ感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代はりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目のない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう」