弊社団は、24日、金曜日は、半ドンとした。気が付けば、来週は、この月(7月)最終の週。時の経つのは早いものである。
深刻なコロナパンデミックで自宅待機が求められて4か月が過ぎようとしている。人間関係が制約を受ける中、家族とは? 友人とは?、何なのかを考える契機にもなったのではないだろうか?
メールもスマホも、PCも無かったら、また、話をする機会が無かったらどうなるのか?
言葉を忘れるのは沈黙の時が続けば加速するのは事実で、我々のもつ基本的なポテンシャルを維持するには、意識的な、あるいは、・無意識下での繰り返しトレーニングが大切なのである。
話をする機会が多ければ、それは話すトレーニングであり、あの人、この人などと言わずに、個人名や地名、四文字熟語など、可能な限り具体名を使う気でいれば、10年前のポテンシャルを維持することが可能となるのではないだろうか?
英語も年ごとに単語を忘れてしまい、だんだんと幼児レベルの言い回ししかできなくなってくる。ただ、読むことは少し違うようであり、日本、英語を問わず、活字をみて、その単語の意味を思い浮かべることは意外と難しくない、できる! 視力がまともでであれば、読むことができ、理解能力は比較的衰えにくい。
読むより、書くこと、喋ること、できれば理路整然と!これらポテンシャルを維持するには訓練を続ける必要があろう。
この訓練を怠ると必要な時に、記憶の中から的確な言葉を引き出すことができなくなる。
鍛錬に、訓練!その繰り返ししかないように思う。コロナ禍、生活様態が変わり、基本訓練が難しくなっているのではないだろうか?
書くこと、話すことは、日々取り組む最も重要な行為の一つだと思う。その意味で、日記、ブログは、良い薬かもしれない。しゃべろう!少し長めの文章を書こう! 短歌や俳句でもいい。
自己の退化をスローダウンする努力に連休を生かそうと思っていたが果たして目標は果たすことができたのだろうか? 雨の間、テニス談義に時間を割くことができたぐらいであった。話す訓練はした! 書く訓練は、この拙い文で叶えたと思うことにした。
テラプロジェクト理事長の今日のひとことメモでした。