オートメーションについて | The Pioneerであるということ

The Pioneerであるということ

何を読み取るかはあなた次第。

私はオートメーション中毒だ。

 

自動化できることは自動化してしまいたいと思っている。

 

究極的な理想を言うなら、面倒な仕事の類はワンクリックで終わらせてしまいたい。

あるいは、そもそも最初からAIなりロボットなりの代理労働者を立てて、生活のウェイトをプライベートに全振りしたい。

 

そう思っている。

 

日本では未だに努力神話が根強いが、人間の努力でしかできないことならまだしも、

人間が努力せずとも機械に投げればはるかに効率的にこなせることさえも「努力」とやらが未だに賛美されているから質が悪い。

 

数学者や科学者がはるか昔からシンプルな式にエレガントさと美しさを感じ取ってきたように、

労働も泥臭さなどという醜いものは可能な限り排除し、エレガントで美しく、シンプルな方法で多大な成果を上げるべきである。

 

自動化できない領域は個人の才能に依存することとなり、属人性の問題を産み、組織を硬直させる。

そのような領域を可能な限り減らすことで、誰にやらせても望ましい結果を簡単に引き出すことができるようになる。

 

属人性の問題が発生するのなら、そいつにしかない特権的な才能に依存する領域を自動化によってコモディティ化することはできないか?

それが私の考える最初の問いである。

 

仕事での特権の剥奪による平等化は、頭数が減っていくばかりの日本において、生産性を再び取り戻していく手段になるだろう。

 

個人が有能である必要はない。

個人+機械の「系」としての能力を上げれば、無能な個人でも、有能な個人単体よりもはるかに大きな成果を上げることができる。

 

少なくとも90%以上の領域はそうであるし、残り10%、いわば天才の領域にしても最先端のAIはその牙城を確実に崩しつつある。

小説や漫画を発表するAIもいるし、単純なゲームならもはやAIの無双に限りなく近づいている。

 

オートメーションが進み、産業が洗練されたとしても、それは個人の趣味まで押しつぶすものではない。

車輪の再発明や泥臭い作業は、その領域で個々人が好きにやればよい。

 

やりすぎると職が失われる?

社会が維持できるなら人は働く必要はないし、無理に働かせるのもナンセンスだ。

その答えはベーシックインカムの導入しかない。

AIを新たな奴隷として、人類全体が特権的富裕層になってしまえばよい。

AIやロボット、機械などは人間ではないから、人権を与えずとも全く問題はない。

 

私はそう思うのである。