「面白さ」を追求する人について | The Pioneerであるということ

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何を読み取るかはあなた次第。

「面白さ」を追求する人について、ふと思ったこと。

 

面白さを求める度合いと、その幅によって、おおよそこんな感じになるのではないかと考えた。

 

 

少なくとも多くの大人は、日常に忙殺されて面白さを追い求める余裕もない。

そして、そういう人は、その人自身の面白味も失っていく。

それが大半の「普通の人たち」だ。

 

そこから抜け出そうとして、何か特定の趣味を持つ層に近付いていくのが、

「ファッション・ライトオタク」。

彼らの一定数は「ファッションとして」オタクをやっており、表層を押さえても、それ以上深入りすることには興味がない。

残りはライト層で、状況次第ではこれから深みにはまっていくハマりかけと言ってよいだろう。

 

これらの層はしばしばオタクからすれば「にわか」扱いされるが、

誰でも最初は一年生、より大きな世界への一歩を歩み出したと言って良いのではなかろうか。

 

ある特定少数の分野の面白さの追求に走る層は、その関連分野の押さえ方によって便宜的に分けている。

 

「マニア・ギーク」層は、自身の興味のある分野だけに特化した、純度の高い人たちである。

彼らはある種の天才で、しばしば常人の思考パラダイムでは到達不能な、それでいて核心を突く結論を導き出すので面白味がある。

 

対して、「オタク」層は、興味のある分野の関連分野も多少は押さえている層である。

彼らは、特定の好み(推し/萌え、etc.)を持ちつつも、「今期のアニメ」「話題のゲーム」「最近のアイドル」のような、周辺分野にもアンテナを張り巡らせることを忘れない。

 

そして周辺領域を持つことによって、比較的円滑に内輪コミュニティを形成して、イベントなどで盛り上がることができる特徴がある。

 

「通」になると、一本の中心軸を持ちながら、関連領域にも通暁する。

例えばお酒の通であれば、お酒の銘柄や飲み方のみならず、その歴史や背景、製造法、各地の魅力あるバー、家飲みの秘訣、

各銘柄・飲み方に合う料理、お酒の登場する映画・小説、お酒に関する科学的知見、有名人にまつわるお酒のエピソードなどを

幅広く押さえていることが期待される。

 

この層になると引き出しが広がり、複数のコミュニティ(上の例なら、映画コミュニティや小説コミュニティ、旅行コミュニティなど)をまたぐことが可能になる。

 

一方で、特定分野ではなく、幅広く物事を楽しもうとする人たちもいる。

 

「ミーハー」層は、王道や最新の流行を幅広く楽しもうとする。

この層の中には、極稀に何らかの趣味を極める人もいるが、

基本的にはファッションとして面白そうなものを探しているだけで、

どの分野にも大して深入りしないのが彼らの特徴である。

 

彼らの中にはソーシャルに見栄を張る人も一定数おり、

むしろそれだけが目的なのではないかというレベルに達すると、しばしばSNSで姿を見ることとなる。

 

そうではない人でも、基本的にこの層は、最新の流行や王道領域の

アンテナ感度「だけ」を見れば通などにも引けを取らないこともあるものの、

まず裏通りや裏設定などの別側面は見ることのない人たちであり、まさにそのことによって検出できると言って良い。

 

彼らは花があるが、根がないので、初対面では面白味を感じる可能性があるものの、そのままいずれ飽きられてしまうであろう。

「普通の人」たちほどではないが、彼らの面白味も、そのままでは先細る可能性がある。

 

そのような表面だけにとどまる「ミーハー」と異なり、複数の分野で「通」になることに成功し、

幅広い分野を深く楽しむことができているのが、「趣味人」である。

彼らには死角がないのではないかと思えるほどあらゆる方面に秀でていて、多くの場合精神的にも余裕があるのが特徴である。

 

彼らは、マニアやギークほどに飛躍した結論を出すことは少ないが、

それでも常人からすれば目からうろこが落ちる言行をいとも簡単に実践して見せる。

それ故、彼らは他にはない面白味を持ち、多くの人にとって魅力的に映る。

 

一方で、彼らにとっては、他の人とは交わるのは面白くとも、他者の評価などに振り回される気は毛頭ない。

悠々自適の世界に生きているのが彼らの特徴である。

 

結局のところ、「面白い」ことを追い求めることがその人の面白味を生み出す。

 

趣味を持つことの勧めはよく見かけるが、それは誰もが、そういう人たちこそ面白いこと、

そして自分のことは棚に上げて、(関わるなら)面白い人と関わりたいと思う傾向があるからかもしれない。

 

このブログは別にハルヒオンリーではないので、ハルヒに触れる必要はないのだが、

「面白い」ことを求めながら結局王道に落ち込むことも多い涼宮ハルヒは、本当は「趣味人」に惹かれているのかもしれない。

(ただ、それは若くて経験不足故で、芽は充分にあると思う。あれだけ多才なら)

そして、鶴屋さんは、若くして既に「趣味人」の域に達しているのではないか…。

 

私自身がハルヒに好意を抱くのも、あるいは「趣味人」やせめて「通」には…、と思いながら、

到達できずにいることの自覚の裏返しかもしれない。

 

ふと、そんなことを思った夜であった。