「タイムマシン」は、「宇宙戦争」と並ぶH・G・ウェルズの代表作であり、書かれたのは一八九五年。
「タイムマシン」自体は中篇で、本書には他に六つの短編が収録されている形になっている。
物語は、タイムトラヴェラーが、四次元幾何学を研究し、遂にタイムマシンを完成させるところから始まる。
そして、八十万年後の未来へ移動して、戻ってきた後の体験談を集まった人達に語る、といった形式でストーリーは進行していく。
八十万年後というと、遠未来という設定になるのだが、流石に想像し難いものがある。
私たちが、現実として或る程度まで予測する事が可能な未来というのは、せいぜい百年後位までだと思われる。
それで、その八十万年後の未来は、テクノロジーの発達した文明世界ではなく、人類が衰退した廃墟の世界なのだ。
八十万年後の未来に生息する人々(地上種族エロイ)は、穏やかで美しい小人で、男女両性の差がさほど無い。
現代の人類と比較すると、知能も体力も著しく退化しているようだ。
また、地上種族エロイは、厳格な菜食主義者で、果物だけ食べて生きていく事が可能だ。
馬、牛、羊、犬などの動物は既に絶滅してしまっている。
タイム・トラヴェラーは、これらについて、動植物の生命の均衡を人間に合うように調整した結果であろうと推測する。
人類は一見すると、社会の向上進歩の成功を収めたように見えなくもない。
地上種族エロイは、労働や闘争の必要性が無く、病気も根絶している。人口増加の問題も解決している。
生存競争よって生じる不快な感情も無い。
しかし、人類の知力と行動力の源泉は、困窮と自由に対する欲求にあるので、自然征服と生活条件の改善による反作用が生じてくる。
その結果、人類は無気力になり、退廃の一途を辿っていったのではないか。
といった、タイム・トラヴェラーの推測も、後の地下種族モーロックの出現によって、単純な推測であったと知る事になる。
そして、タイム・トラヴェラーが地上世界を探索している間に、スフィンクス像の近くにあったタイムマシンが何者かによって盗まれる。
また、丘の途中のあちこちに、高い塔や、大きなエンジン音がする井戸がある事に気付く。
そして、探検しているうちに、自分の理論に幾つか不可解な点がある事にも気付くようになる。
第一に、地上種族エロイの美しい衣服やサンダルはどこで製造しているのだろう?
また、地上では、機械の施設が全然見当たらない。
その後、川で溺れた女小人ウィーナを助け、探検を共にする事になる。
そして、四日目の朝、遂に巨大な廃墟の日陰で、地下種族モーロックを目にする事になる。
モーロックは、鈍い白色で、赤茶けた目をし、頭にも背にも毛が生え、四足で走っている。
この人類第二の種族は、地下生活を営んでいるとタイム・トラヴェラーは推測する。
何故なら、白い身体は、暗闇に住む大部分の動物に共通する点であり、また、大きな目は夜行性動物に共通する特徴であるからだ。
また、モーロックは日光や明るいところに弱いという特徴を持っている。
更に、タイム・トラヴェラーは述懐を続ける。
人工的な地下世界では、地上人の快適な生活に必要な作業が行われていると、推定する。
現在のロンドンは、地下鉄、地下工場、地下レストランと地下空間が増加傾向にあり、生産業は地上の生活権を失っていくと予測する。
地下工場は拡大され、労働者がそこで過ごす時間が多くなり、富裕層と貧民層の階級差異も拡大する。
しまいには、地上には持てる者のみが住み、美や快楽を追求し、地下には持たざる者のみが住み、労働条件に適応するようになっていく。
完成された科学と生産組織を追求した労働制による貴族階級。
人類が均衡のとれた文明に到達したとしても、既に盛りが過ぎて、今や退廃に向かっている。
あまりにも安全が保障され過ぎて、地上人は、体力も知力も縮小してしまったのだ。と、推察する。
やがて、タイムトラヴェラーは、井戸の中に入り、危険な目に遭う。
そこで、新しい仮説を打ち出す事になる。
モーロックは、かつて地上人の為に働く機械だった。
しかし、今は単に地上の日光に耐えられず、地下に生息しているだけの話である。
エロイ族は、モーロックに捕食される身であり、家畜のように太らされている。
エロイ族の地上の平和は、牧場の牛と同レベルの平和なのである。
その後、様々な経緯を経て、無事にタイムマシンが見つかる。
そして、タイムトラヴェラーは、元の世界で仲間に冒険を語る事になる。
それにしても、地上種族エロイ、地下種族モーロック、両種族とも救いようのない描かれ方である。
実際に、人類がこういう進化の道を辿るとは流石に考えにくい。
物語中に出てくる人類の階級差異といった推察は、現代では格差社会になっている為、強ち間違ってはいないだろう。
しかし、現代ではオートメーション化により、特に先進諸国に於いては工場での単純作業自体等が減っている。農業ですらオートメ化により、SEと交渉する時代になっている。
この辺りは、産業革命を経験しているイギリスが生んだ作家ならではの、時代背景を感じさせる発想だと思える。
また、この物語を通して作者が特に強調している処は、人類は利便性等と引き換えに、体力や知力が劣化する為、文明の発展だけで進化していると一概に捉える事は出来ない、という点だろう。
現代でも、ネットを通して人と人とが簡単に繋がれる反面、何か大事な能力が失われていないだろうか?
何を持って人類の進化と捉えるのか、が重要なファクターでもあるのだろう。
総括すると、テクノロジーに対する人類の倨傲への警鐘として、充分な役割を果たしている寓話だと思う。
物語自体も、冗長な描写が少なく、内容も凝縮されているので読みやすい。
英国SF特有の陰影感や寂寥感も、巧く披露されている。
中篇とはいえ、「宇宙戦争」よりはこの「タイムマシン」の方が、個人的な印象度は強くお薦めである。
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