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Real Yellow Monkey

書評、音楽評、映画評、SS、雑記、その他

今年の流行語大賞は何が取る? ブログネタ:今年の流行語大賞は何が取る? 参加中
本文はここから

「今でしょ!」 と 「倍返し」 は、馴染み深い感があるなぁ。

「アベノミクス」、「じぇじぇじぇ」、「お・も・て・な・し」 も良いねぇ。
今年は良いのが一杯ある。

やっぱり社会情勢を反映した言葉よりは、ドラマやお笑いタレントから生まれた言葉の方が好きだなぁ。


因みに、流行語2013候補 ↓

PM2.5/NISA(ニーサ)/母さん助けて詐欺/弾丸登山/美文字/DJポリス/ななつ星/パズドラ/ビッグデータ/SNEP(スネップ)/ヘイトスピーチ/さとり世代/ダークツーリズム/ご当地電力/ご当地キャラ/こじらせ女子/富士山/日傘男子/バカッター/激おこぷんぷん丸/困り顔メイク/涙袋メイク/倍返し/今でしょ/ダイオウイカ/じぇじぇじぇ/あまロス/ビッグダディ/ハダカの美奈子/ふなっしー/フライングゲット/マイナンバー/NSC/アベノミクス/3本の矢/集団的自衛権/特定秘密/汚染水/ブラック企業/限定正社員/追い出し部屋/ナチスの手口に学んだら/ネット選挙/アホノミクス/引いたら負け/二刀流/スポーツの底力/シライ/お・も・て・な・し/コントロールされている


という事で、僕は、「今でしょ!」に一票。 





さよならダイノサウルス (ハヤカワ文庫SF)/早川書房
¥672

Amazon.co.jp


あらすじ(裏表紙参照)


恐竜はなぜ滅んだのか?

この究極の謎を解明するために、二人の古生物学者がタイムマシンで六千五百万年のかなた、白亜紀末期へ赴いた。だが、着いた早々出くわしたのは、なんと言葉をしゃべる恐竜!

どうやら恐竜の脳内に寄生するゼリー状の生物が言葉を発しているらしいのだが、まさかそれが「***」だとは・・・・・・!?

次々に披露される奇抜なアイデア、先の読めない展開。実力派作家が描く、心躍るアドベンチャーSF。


引用

一九八〇年に、カリフォルニア大学バークレー校のアルバレス・グループが、隕石衝突論をサイエンス誌に発表した。 ほぼ同じころに、恐竜の絶滅から三千万年後におとずれた、始新世から漸新世にかけての大量絶滅に関する興味深い仮説がひろまった。

その仮説では、寒冷化によって起きた大量絶滅の原因を、太古の第二の月の崩壊にもとめていた。 地球の赤道上で、一時的に残骸のリングが軌道をめぐり、それが日光をさえぎって百万年かそこらのあいだ気温を下げたというのだ。

アルバレス理論のほうは、恐竜がからんでいたので人目を引き、カール・セーガンがそれを"核の冬"に結びつけてからは、数多くの通俗科学の伝道師たちに支持されて、地球のリングに関する議論を圧殺してしまった。クリックスも含めたほかの科学者たちは、アルバレス理論をさらに一歩押し進めようとした。未知の暗黒星が周期的に小惑星帯またはオールト雲をかき乱すことで、爆発流星が周期的に地球へふりそそぎ、白亜紀末期や始新世末期のそれを含めた規則的な絶滅のくりかえしの原因になったのではないかと主張したのだ。

わたしはこの考えに賛同しなかった。二千六百万年周期ということになると、オルドビス紀末期の絶滅も含めなければならなくなるが、こちらのほうは明らかに、プレートテクトニクスが南極にあった超大陸ゴンドワナを動かして氷期を引き起こしたことが原因と考えられるからだ。(P.42~43)


「だが、おかげでひとつ説明がついたことがある」クリックスはいった。 「恐竜の体の巨大さだよ。アメリカ自然史博物館のマシュウが一世紀まえにひとつの疑問を提示した。いま現在、地球上にはゾウまでの大きさの陸生動物しか生息できないのだとすれば、どうして恐竜はそんなに大きくなることができたのか?  さあ、これで答えがわかったわけだ。恐竜は小さな重力のもとで進化した。でかくなるのは当然さ!」(P.62)


いまでは、そのような小さなできごとが重大な影響をおよぼすことはよく知られている。 カオス理論によれば、中国で一羽の蝶が羽を動かすだけで、ニューヨークで雨がふるかどうかが決まってしまう。こうした初期条件の敏感さは、"蝶効果"と呼ばれているほどだ。 わたしは、ブラッドベリが物理学者たちよりも先んじたことに、ぞくぞくとする喜びをおぼえた。 (P.141)


「やがて、ヘットたちはハンドを使って宇宙船を建造した-重力をあやつることで動く宇宙船だ。彼らは地球とベルト惑星をおとずれた。そして、どちらの惑星でも、いずれは知性を発達させるにちがいない生物を見つけた。ベルト惑星は小ぶりだったので、ヘットとハンドが活動するのにちょうどよかったが、地球はあまりにも大きすぎた。そこでひとつのプロジェクトが開始された-地球を火星化して、居住可能な環境にしようというのだ。その第一段階が、重力抑制衛星の設置だった。さっきもいったように、あの衛星は一億三千万年前に軌道上に置かれたんだ。(以下略)」 (P.303)


感想


恐竜が何故あれほど巨大化したのか?

恐竜は何故絶滅したのか?

まず、この考古学上の疑問点が奇想天外なアイデアへと巧みに転化されている点が素晴らしい。

また、恐竜と遭遇する際のアクションの描き方も迫力があり、アドベンチャーSFとして考えても良く出来ている。


ガジェットのタイムトラベルは、ストーリー上の中枢を担っている。

それは、科学者チン=メイの「時間旅行は実現されなければいけない」という台詞が顕著に表している。

そして、エンディングを迎えた後の独特の読後感は、タイムトラベルSF特有の感覚とも思えた。


個人的には、火星人が地球を植民地化する為の方法が印象に残る。

生物が知性を持つように進化を遂げる以前からの管理、という意味では、A・C・クラークの「2001年宇宙の旅」がまず思い浮かぶ。

「2001年宇宙の旅」に出てくるモノリスは、スーパーコンピューターを使って人類の何から何までも情報収集し、監視する。今で言うなら、ビッグデータは近い存在かもしれない。

一方、「さよならダイノサウルス」に出てくる重力抑制衛星は言わば生態系の管理である。

一見、恐竜は自由に行動しているように見えて実はそうではない、というのが重要なポイントに思える。


総括すると、黄金期SFを彷彿させるSOW(センスオブワンダー)と、現代のハードSFならではの科学知識が上手く融合されていてバランスの良い作品と言えるだろう。

少々詰め込み過ぎの感もあり、初心者向けかどうかといえば微妙だが、誰にでも楽しめる作品だと思う。


タイムマシン (角川文庫)/H.G. ウェルズ
¥500
Amazon.co.jp

あらすじ(裏表紙参照)


時空を超えることの出来る機械<タイムマシン>を発明したタイム・トラヴェラーは、80万年後の未来に飛ぶ。

そこで見た人類の変わり果てた姿に、彼は衝撃を受ける。

80万年後の世界-それは知力、体力が退化した地上種族エロイと、エロイを捕食し光を恐れる地下種族モーロック、この2種族による原始的な階級社会であった-。

SF小説の金字塔「タイムマシン」を含む、ウェルズの傑作短編集。



引用


「ねえ君、そこが君の間違っているところさ。世間の者もみんな、そこで間違うんだ。僕らはいつも現在の時から脱出してるんだ。われわれの精神は非物質的で次元を持たない存在だが、ゆりかごから墓場までを、つねに一定の速度で時の次元に沿って移行しているんだ。もしわれわれの存在が地上五十マイルで始まったと仮定すると、われわれはまっしぐらに下降することになるだろうが、ちょうどそれと同じように、われわれは時の次元の中を下降しているのさ」

(P.11)


やがて近づく話し声がした。白いスフィンクスのわきのしげみ越しに、駆けつける男たちの頭と肩が見えた。そのひとりが、機械と僕のいる小さな芝生に真直ぐ通じる小路に姿を現した。

小柄な生物で-背は四フィートぐらいだろう-紫色の衣をつけ、腰のあたりに革のひもを巻いていた。

足には、サンダルか長靴-どちらか区別がつかないが-そんなものを穿いていた。

(P.33)


どうやら僕のぶつかったのは、人類の衰退期だったらしい。赤い落日を見ていると、人類の落日を連想させた。現在われわれは社会を向上させようと努力しているが、その結果は、こんな奇妙なものになるかもしれないということが、やっとわかりはじめた。

しかも、考えてみれば、それも当然招いた結果かもしれない。人間の力は必要から生じ、生活の安定は弱さを助長するものだ。

生活条件を改善する作業-生活をますます安定させる真の文明化の過程-その作業が着実に行われていつか頂点に達してしまったのかもしれない。人間は力を合わせて、次々と自然に対して勝利をおさめていった。現在夢にすぎないことが、具体的な計画にのせられ、遂行される。そしてその結果、僕の見た未来世界のような人類の衰退を招くことになるのかもしれない。

(P.43)


むろん、ちらりと見かけただけだが、そいつは、にぶい白色で、妙に大きな赤茶けた目をしていたし、頭にも背にも、ふさふさと毛が生えていた。だが、なにしろ、さっと駆け去ったので、はっきりと見とどけるわけにはいかなかった。四つ足で走っていたか、両腕をひくくたらしていただけなのか、それさえ、はっきりは言えない。

(P.63)


僕らの現代の問題から推してみて、最初はそんな問題など火を見るよりも明らかに解けると思った。

つまり、現在の資本家と労働者間の、単なる一時的、社会的差異がしだいに拡大したもの、それが問題を解く鍵だと。

たしかに、この解答は君らにはとても奇妙に思われるだろうし-ひどく信じられないだろう-だが、現在でさえ、その方向を示すような諸事情が存在しているのだ。

現在、地下の空間もあまり目立たない文明の目的に利用する傾向があるじゃないか。

たとえばロンドンの地下鉄だ。新しい電鉄あり、地下道あり、地下工事あり、地下レストランありだ。

それらはどんどん増加している。明らかにこの傾向はますます増加して、ついには、生産業はしだいに地上の生活権を失うだろうと思う。

つまり、生産業はいよいよ深く地下にもぐり、地下工場はいよいよ拡大されて、労働者がそこで過ごす時間がいよいよ多くなり、そして遂には-?というわけだ。

現在でさえ、イースト・エンド(ロンドンの貧民街)の労働者は、実際に地上の自然から切りはなされた、人工的な条件のもとで生活していないとはいえないじゃないか。

一方、富裕な人々の排他的傾向は-たしかに彼らの教養が高まり、がさつな貧民との差が広まったために生じたのだが-既に、自分たちの利益のために、地上の土地のかなりな部分を独占するところまで進んでいる。

(P.66)


僕らが見のがしがちな自然の法則のひとつは、人間の多面的な知的能力は、生活上の変化、危険、困難によってみがかれるものだということだ。環境と完全に調和した動物は、完全に機械と同じだ。習慣と本能が役に立たなくなったとき、はじめて、自然が知能を動員するのだ。

変化も、変化の必要もないところでは、知能も生まれない。さまざまな困難や危険に立ち向かわなければならない動物だけが、知能を与えられるのだ。

そんなわけで、僕の見るところ、未来世界の地上人はひ弱な美しさへと退廃し、地下人は単なる機械的生産機構に堕してしまったのだ。

(P.101)



感想


「タイムマシン」は、「宇宙戦争」と並ぶH・G・ウェルズの代表作であり、書かれたのは一八九五年。

「タイムマシン」自体は中篇で、本書には他に六つの短編が収録されている形になっている。


物語は、タイムトラヴェラーが、四次元幾何学を研究し、遂にタイムマシンを完成させるところから始まる。

そして、八十万年後の未来へ移動して、戻ってきた後の体験談を集まった人達に語る、といった形式でストーリーは進行していく。

八十万年後というと、遠未来という設定になるのだが、流石に想像し難いものがある。

私たちが、現実として或る程度まで予測する事が可能な未来というのは、せいぜい百年後位までだと思われる。

それで、その八十万年後の未来は、テクノロジーの発達した文明世界ではなく、人類が衰退した廃墟の世界なのだ。


八十万年後の未来に生息する人々(地上種族エロイ)は、穏やかで美しい小人で、男女両性の差がさほど無い。

現代の人類と比較すると、知能も体力も著しく退化しているようだ。

また、地上種族エロイは、厳格な菜食主義者で、果物だけ食べて生きていく事が可能だ。

馬、牛、羊、犬などの動物は既に絶滅してしまっている。
タイム・トラヴェラーは、これらについて、動植物の生命の均衡を人間に合うように調整した結果であろうと推測する。

人類は一見すると、社会の向上進歩の成功を収めたように見えなくもない。

地上種族エロイは、労働や闘争の必要性が無く、病気も根絶している。人口増加の問題も解決している。

生存競争よって生じる不快な感情も無い。

しかし、人類の知力と行動力の源泉は、困窮と自由に対する欲求にあるので、自然征服と生活条件の改善による反作用が生じてくる。

その結果、人類は無気力になり、退廃の一途を辿っていったのではないか。

といった、タイム・トラヴェラーの推測も、後の地下種族モーロックの出現によって、単純な推測であったと知る事になる。


そして、タイム・トラヴェラーが地上世界を探索している間に、スフィンクス像の近くにあったタイムマシンが何者かによって盗まれる。

また、丘の途中のあちこちに、高い塔や、大きなエンジン音がする井戸がある事に気付く。

そして、探検しているうちに、自分の理論に幾つか不可解な点がある事にも気付くようになる。

第一に、地上種族エロイの美しい衣服やサンダルはどこで製造しているのだろう?

また、地上では、機械の施設が全然見当たらない。


その後、川で溺れた女小人ウィーナを助け、探検を共にする事になる。

そして、四日目の朝、遂に巨大な廃墟の日陰で、地下種族モーロックを目にする事になる。

モーロックは、鈍い白色で、赤茶けた目をし、頭にも背にも毛が生え、四足で走っている。

この人類第二の種族は、地下生活を営んでいるとタイム・トラヴェラーは推測する。

何故なら、白い身体は、暗闇に住む大部分の動物に共通する点であり、また、大きな目は夜行性動物に共通する特徴であるからだ。

また、モーロックは日光や明るいところに弱いという特徴を持っている。


更に、タイム・トラヴェラーは述懐を続ける。

人工的な地下世界では、地上人の快適な生活に必要な作業が行われていると、推定する。

現在のロンドンは、地下鉄、地下工場、地下レストランと地下空間が増加傾向にあり、生産業は地上の生活権を失っていくと予測する。

地下工場は拡大され、労働者がそこで過ごす時間が多くなり、富裕層と貧民層の階級差異も拡大する。

しまいには、地上には持てる者のみが住み、美や快楽を追求し、地下には持たざる者のみが住み、労働条件に適応するようになっていく。

完成された科学と生産組織を追求した労働制による貴族階級。

人類が均衡のとれた文明に到達したとしても、既に盛りが過ぎて、今や退廃に向かっている。
あまりにも安全が保障され過ぎて、地上人は、体力も知力も縮小してしまったのだ。と、推察する。


やがて、タイムトラヴェラーは、井戸の中に入り、危険な目に遭う。

そこで、新しい仮説を打ち出す事になる。

モーロックは、かつて地上人の為に働く機械だった。

しかし、今は単に地上の日光に耐えられず、地下に生息しているだけの話である。

エロイ族は、モーロックに捕食される身であり、家畜のように太らされている。

エロイ族の地上の平和は、牧場の牛と同レベルの平和なのである。

その後、様々な経緯を経て、無事にタイムマシンが見つかる。

そして、タイムトラヴェラーは、元の世界で仲間に冒険を語る事になる。


それにしても、地上種族エロイ、地下種族モーロック、両種族とも救いようのない描かれ方である。

実際に、人類がこういう進化の道を辿るとは流石に考えにくい。

物語中に出てくる人類の階級差異といった推察は、現代では格差社会になっている為、強ち間違ってはいないだろう。

しかし、現代ではオートメーション化により、特に先進諸国に於いては工場での単純作業自体等が減っている。農業ですらオートメ化により、SEと交渉する時代になっている。

この辺りは、産業革命を経験しているイギリスが生んだ作家ならではの、時代背景を感じさせる発想だと思える。


また、この物語を通して作者が特に強調している処は、人類は利便性等と引き換えに、体力や知力が劣化する為、文明の発展だけで進化していると一概に捉える事は出来ない、という点だろう。

現代でも、ネットを通して人と人とが簡単に繋がれる反面、何か大事な能力が失われていないだろうか?

何を持って人類の進化と捉えるのか、が重要なファクターでもあるのだろう。


総括すると、テクノロジーに対する人類の倨傲への警鐘として、充分な役割を果たしている寓話だと思う。

物語自体も、冗長な描写が少なく、内容も凝縮されているので読みやすい。

英国SF特有の陰影感や寂寥感も、巧く披露されている。

中篇とはいえ、「宇宙戦争」よりはこの「タイムマシン」の方が、個人的な印象度は強くお薦めである。



宇宙戦争 (ハヤカワ文庫SF)/H.G. ウエルズ
¥580
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あらすじ(裏表紙参照)


天空に赤く輝く神秘の星、火星。その表面で、ある夜、無数の爆発が観測された。

それから6年後、イギリス各地に、夜空を切り裂いて緑色に輝く流星群が降りそそいだ。

当初、隕石と思われた謎の物体のなかから、やがて驚くべき姿の生物と巨大なマシーンが出現!

人々を焼きつくし、次々に村や街を破壊してゆく。その圧倒的な力の前に、人類はなすすべもなかった……

SF史上に燦然と輝く不朽の名作、待望の新訳決定版登場!



引用


火星人を批判するのは簡単だ。しかし、わたしたち地球人が地球上で行った数々の残虐行為も忘れることはできない。地球人は、野牛やドードーなどの動物を狩りあさって絶滅に追いこんだばかりでなく、同じ地球人に対しても、相手を未開の種族とみなすと、虐待を加えて恥じなかった。

タスマニア人は外見上も立派な人類の一員だったが、ヨーロッパからの移民が原住民の絶滅を狙って暴虐のかぎりをつくしたため、わずか五十年間で絶滅した。火星人が地球人の絶滅を企てたからといって、わたしたちにその行為を非難する資格があるだろうか?

わたしたち地球人も、決して慈悲の天使ではない。

(P.28)


「火星人だと? 何だ、それは?」と、中尉。

「体長三十メートルの巨大戦闘マシーンに乗っております。脚が三本あり、胴体はアルミニウムと思われます。頭部は巨大なフード状であります」

「黙れ! 何をバカげたことを言っておる!」と、中尉。

「ご覧いただければ、おわかりいただけます、中尉。巨大戦闘マシーンは箱のようなものを持っており、そこから火を放ってわれわれを殺します」

(P.108)


そしてこれが火星人の臓器のすべてだった。信じがたいことに、地球人とは違って火星人には複雑な消化器官がなかった。いわば、火星人は頭だけの生物である。

食べないから消化器官が必要ない。火星人は食べるかわりに、他の生物の生き血を自分の血管に吸引する。わたしは火星人が血を吸引する様子をこの目で見た。しかし、あまり詳しくは話したくない。

臆病者だと思われるだろうが、本当に顔を背けたくなる凄惨な光景だった。

生きている生物-大抵は地球人だ-から血を吸い取って細い管で自分たちの血管に流しこむ……とだけ言っておこう。

(P.209)


<ペルメル・バジェット>誌の記事は冗談めいた調子で地球人の未来を予想した。記事の要点はこうだ-”遠い未来、乗り物が発達して人間は歩かなくなり、脚が退化する。

合成食品が発達して消化のいいものだけを食べるようになると、消化器官が退化する。

髪、鼻、歯、耳、顎は次第に必要なくなり、自然淘汰によって退化してゆき、最終的には中枢である脳と、脳の司令を実行する手だけが残る。身体の大半の器官が退化するのに対し、手だけは進化する”。

(P.212)


周囲の家並みは丈の高いシルエットに変わり、リージェント・パークの木々も闇に溶けはじめた。

瓦礫に絡みつく赤い草は、クネクネと伸びて、さらに上へ這い登ってゆく。

もうすぐ、恐ろしい幻想が息を吹き返す夜がやってくる。それでも、あの悲しげな泣き声が聞こえるうちは、孤独に耐えられた。まだロンドンは死に絶えていないと信じる気持ちが、わたしを支えた。

(P.271)



感想


この作品が出版されたのは1898年。1895年に出版された「タイム・マシン」と並び、ウェルズの代表作と評されている。

H・G・ウェルズは、ジュール・ヴェルヌと並び「SFの父」と称呼されており、SFの黎明期を知る意味でも読む価値のある作家だろう。勿論、作品自体、現代でも読み継がれるに値するクオリティを備えている。


さて、物語の舞台となるのは、十九世紀後半のイギリス。

ロンドンの主要都市の交通は、まだ馬車に頼らなくてはいけない時代である。

そんな時代であっても、火星人は容赦なく最新の科学兵器で攻撃し、イギリスの各地は激甚な被害を受ける事になる。

イギリスの軍隊も、火星人のマシーンに対し特別攻撃艦等で立ち向かうが全く歯が立たない。

地球人と火星人の科学力の差は圧倒的な対比となっており、市井がパニックになるシーンでは無力感を伴って効果的に描かれている。

地球人は、”自分達は宇宙で唯一の知的生命体である”と自惚れていたが、その自尊心も見事に打ち砕かれてしまうのであった。


しかし、火星人が侵略を続ける状況の最中、主人公は冷静な対応とリアリズムに徹した行動で困難を切り抜ける。

この点は、読者も主人公に好感を持つ事が出来て、感情移入しやすい事だろう。

また、主人公と途中で出会う事になる、生き延びた兵士との会話シーンもなかなか良い。

未来に希望を繋ぐ台詞が読者に勇気を与えるだけでなく、帝国主義や侵略について考えさせる役割を果たしていると言えるだろう。

特に、火星人は地球人と交渉する事無く、一方的に攻撃を続ける辺り、その真の目的も含めて考察したい処である。


実際に、我々は戦争を経験したり、侵略された側の立場になってみないと理解出来ない事も多いだろう。

そういう意味では、例え寓話であっても、逼迫した状況に感情移入しながら、物語について考える作業は重要だと思える。


そして、物語の最後には、火星人は意外な展開で持って終息を迎える。

これは、巻頭でA・C・クラークがネタバレしているが、どうなのだろうか。


ストーリー自体は単純明快である。しかし、侵略に対する恐怖が壮大なスケール感で描かれており、緊迫感を持続しながら読み進める事が出来る。

また、書かれた時代もあってか、所々でレトロ・フューチャーな描写が散見される。

これが、個人的にはスチームパンクを彷彿とさせて感興を催す事が多かったのだが、現代の多くの読者にとっても同じように新鮮な感覚を抱く事になるのではなかろうか。


また、同時代のヴェルヌと比較すると、ウェルズは科学知識や冒険ロマンよりも、政治的示唆や思索させる事を重要視したSF小説を書いている。

大雑把に言うなら、ヴェルヌとウェルズの二人は、現代に通じるSFの路線の下地を作ったとも言えるだろう。


作品自体は、初心者向けではあるけれど、順番的にはSF御三家の主要作品を読み終わってからが良いと思われる。

因みに、1953年と2005年に映画化された作品があるが、個人的には古い方の作品をお勧めしたい。


London Calling/Sony UK
¥1,200
Amazon.co.jp

多分、一番最初に買ったパンクのCD。元々廉価版で安かったんだけど、中古で安かったので購入。
ピストルズやラモーンズみたいな音を想像していたので、最初に聴いたときは良いのか悪いのか分からなかったが、聴いてるうちに段々と気にいってきたんだな。


その後、アルバムを集める事になって、1st、2ndと聴いたけどそれらは割とストレートなパンクだったので、あんまりインパクトが無かった。勿論、悪くは無いんだけど。


で、2枚組の「サンディニスタ」は好みだったんだけど、やはり今聴くと一番良いのはこのアルバムでしょう。当時は、音楽性として何をやってるのか良く分からないで聴いていたけど、今なら文化的背景を含めて良く理解出来る。レゲエとかスカとかロカビリーとか。


発売されたのが、79年と結構遅めでポストパンクとか呼ばれる時代の作品だけど、UKパンクの良さというか気の抜けたいい加減な感じが良いですな。