皆さんこんにちは!
manabeing のON(音)です。
当ブログにお越しいただきありがとうございます。
こちらは
ヒーラーでカウンセラーのmanabeingの ONが
これまでの経験から得られた気付と、
日々の気付きや感じることをシェアする場です。
宜しくお願いいたします。![]()
(このブログは私の主観でお伝えしております。
ご縁のある皆様と
お約束したタイミングで再会する為に
私の心の純粋な想いから
感じられることを
自神の責任として
この世界に発信するものです。
必要な方へ届きますように。)
manabeingのカウンセリングに
ご興味がある方は
こちらをご覧下さいませ。↓
(このブログで登場する麻里子さんとは
辻麻里子さんのことです。<魂の片割れ>
このブログ内で登場する人物(過去の存在も)
は自分自神が縁のある存在である事を
自分自神の責任に於いて
感じ認識しているものです。
この世界に自神の真の想いを発信する事で
完成された未来が
どの様に現れるのか
目に見えない世界の存在と共に
この世界の可能性を観ています)
歴史上で一つの闇とされてきた
菅原道真公、平将門公、崇徳天皇は
日本三大怨霊と言われる存在です。
今世私は、自らが感知し得る
全ての「闇」(光と表裏一体)を
その裏側である「光」へと還す事が
この世界で生かされている
私の一つの役割であると
理解しています。
導かれるように
2023年12月7日に太宰府を再訪し、
今年2024年4月14日には
東京の将門塚で手を合わし
そして、今月10月21日には
京都の白峯神宮、
京都神田明神に参拝いたしました。
白峯神宮は
孝明天皇が自らの望みであった
崇徳上皇の御霊を慰める為
その神霊を讃岐国から京都に移すよう
幕府に命じ
その想いを明治天皇が受け継ぐ形で
1868年8月18日(グレゴリオ暦10月3日)
に白峯神宮の創建を宣明、
その後、
白峯陵(讃岐、現:香川県坂出市)に勅使を送り
上皇の命日である8月26日(グレゴリオ暦10月11日)
に宣旨を読み上げさせました。
その翌日8月27日(グレゴリオ暦10月12日)
に明治天皇は即位され、
1868年9月6日(グレゴリオ暦10月21日)
讃岐国から
上皇の御霊が京都に到着すると、
翌日
明治天皇は白峯神宮を親拝されました。
頭の片隅にずっとあった崇徳天皇のこと。
10月に入って導かれるように
白峯神宮のことを知り、
急遽京都行きの旅程を組み
白峯神宮に
崇徳上皇の神霊が到着された156年後の同日に
崇徳天皇御廟と合わせて参拝させて頂きました。
明治天皇が即位される前日に
崇徳上皇の御霊に宣旨された事を思うと
並々ならぬ想いがあった様に感じ、
156年の時を経て
再び想いが重なった気がしました。
明治天皇が即位された日、
旧暦8月27日は
私の祖父と叔父の命日であり
ご縁のある日です。
156年後の今年の8月27日は
午後3時58分に虹が出ました。
その日はkin51(明治天皇現代のガイド)、
神秘kin210(片割れの麻里子さんの現代命日の類似)
51の鏡の15、210→21は私の現代kin。
また旧暦8月27日はグレゴリオ暦10月12日。
12をkinの数字としてみると
12は麻里子さんの現代命日神秘kin、
そして12を鏡にした21は
私の現代kinです。
白峯神宮に訪れた日も21日。
21を鏡に12。
大切な時にはいつも
片割れの存在と明治天皇が一緒です。
見えないけれど
確かにある想いの糸が
互いを結び
時を超えて
呼応している事を感じます。
そこにある
その想いの糸を
一人ひとりが感じとり
手繰り寄せ
自らの想いを
様々な形を使い
闇を光へと還す事ができるのが
この世界であると感じます。
怨霊と呼ばれた御三方は
現在其々の神社の御祭神になられています。
怨霊と呼ばれ、
忌み嫌われた存在でありながら
やがては御祭神となりました。
今でこそ、御三方に恐れを持つ人々は
少ないと思いますが、
当時にあっては
御三方の思いとは裏腹に
時の権力者はもとより
市井の人々にも
恐れられていたのでしょう。
御三方の思いは
憤りや、やるせなさ、無念など
様々な思いに溢れながらも
自らの宿命を受け止め
自らの生を全うされた事を感じます。
また、
そこには自らの信念とも言える思いが
支えとなっていた様にも思います。
歴史に名を残すような存在でなくとも
私たちの日常にも
同じような無念や遺恨を残すような
出来事によって
あらゆる場面で
人間関係に歪みを作り
それが未昇華されないまま
命を終える存在も多いのではないでしょうか。
起こる事は、全てその時点での必然。
そう理解している私は
御三方の事もあるがまま観ています。
その上で御三方が伝えたかった事
御三方の無念とも言える闇を
光に還すことのできる解釈とは。
「自らの真の誠の思いを
自らの口によって
伝えるべきだった事が
そうできなかった。
その事によって生まれた誤解や不信感が
その後の展開を形作った。
自分以外の誰かによって伝えられることではなく
自らの口で伝えて行くことの大切さ」
そのことを
教えてくださるように思います。
勿論、様々な状況の中で
なかなか思うようにはいかない場合でも
自身の言葉は
自らが発し伝えることを第一とし、
また受け取る側も、
どんな話を聴くにしても
本人が直接話していない誰かの言葉を
鵜呑みにしないことの大切さも思います。
それがこの世界において
要らぬ誤解や、不信感を
互いが持つことなく、
信頼を築いて行く上で大切である。
その様に感じます。
2024年元旦に
小学生の姪が主催したゲームにて
私が発した言葉が
「和を以て貴しとなす」
聖徳太子(厩戸皇子)が制定したとされる
十七条憲法の第一条でした。
十七条憲法の第一条と第十七条では
「独断の排除」と「議論の重要性」
について繰り返し説かれ、
その「議論重視」の精神が
明治天皇によって
天地の神々や祖先に誓われた
「五箇条の御誓文」
の第一条にも受け継がれた
とする意見も見られるようです。
(十七条憲法Wikipedia参照)
思うのは
その時代時代で
時の天皇の側にて仕えた者や
或いはその時の天皇自らが
未来を見据え、
その時点で最善と思われる
法や詔勅を残されていること。
その想いは聖徳太子も
明治天皇も
この世界の源である大いなる意思を
しっかりと捉え繋いできた
「想いのバトン」であることを思います。
そこにある「大切な想い」とは
『独りよがりの独断ではなく
広く議論の場を設け、
様々な意見が聴かれる環境の上で
可能な限り皆が納得の行く結論に導くこと。』
現代の「今」
再び、更なる進化をなすべく
明治維新の時代と重なるように
様々な困難を
「光に繋げることのできる
夜明け前の闇」
であると
恐れることなく立ち向かう
志を同じくするもの同士が
互いを信頼し、
自らを整え
全体の一助となるべく行動できる人々が
これからの世界を
導いて行くのだと思います。
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最後まで
お読み頂きありがとうございました!
この世界を
光も闇も
大切な存在として受け容れ
皆さんと共に
美しい世界を創造できたら幸いです!

