U:being

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存在する全てが、それぞれの音を響かせる
あまたの星々が織りなす
美しき調べ
一人ひとりという星々が自ら光を放ち
個であり全体の進化に寄与する
新たなる世界の幕開け

今、辿り着いたわたしの境地

皆さんこんにちは!

manabeing のONです。

当ブログにお越しいただきありがとうございます。

こちらは

ヒーラーでカウンセラーのmanabeing ONが

日々実践し、そこから得られた氣付きや感じることをシェアする場です。

宜しくお願いいたします。ニコニコ

 

  

 

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13の月の暦で

 

自らの人生を

紐解くようになってから、

 

 

 

身内に始まり

 

これまでに出会ってきた

友人、知人が

 

名前、出身地、生年月日など

 

あらゆる要素で

 

 

わたしの人生を紐解く

重要なヒントを持った出逢い

であったことが、

 

 

必然として

明らかになってきました。

 

 

 

人は誰でも

 

自らが望めば

 

自身が決めてきたタイミングで

 

様々な扉を開けることになっている

必然を感じます。

 

 

 

明治天皇との

繋がりが見えてきた頃から

 

様々な時代の

歴史上の人物が

アピールするようになり

 

 

前回のブログでも

お話したように

 

前田利家・まつ

菅原道真

 

 

そして関連するように

源頼朝・北条政子

平清盛

平将門

 

 

時代を遡りながら

繋がりが見えてきています。

 

 

 

以前から

気になっていた存在たちが

 

 

自身の中で確たる答えを

見出せなかったことに対して

 

 

腑に落ちる感覚までに

至ることができました。

 

 

 

 

そして昨日、

 

同様に以前から気になっていた

 

『聖徳太子』

(「聖徳太子」は後世の尊称ないしおくり名と言われる)

『厩戸皇子(うまやどのおおじ)』などと呼ばれている

 

『豊聡耳皇子命(とよとみみのみこのみこと)』

について検証しました。

 

 

 

今回は

私が学校教育で受けた時の呼び名

 

『聖徳太子』で検証します。

 

 

歴史上の人物と自身との関わりに

繋がり(※)が見えてきた時に

上がってきた存在の一人

 

聖徳太子

 

それは

30数年前に遡ります。

 

※自らが生み出した世界にあって

全ての存在が繋がりを持っていますが

特に繋がりを感じる設定であるという意。

 

 

 

その当時のある一定の期間

特に親しくしていた友人の出身地が

奈良県の西大寺で

 

友人の母親が

明日香村

の出身だったことによります。

 

 

彼女が当時、

 

「母の実家は明日香村で

観光バスから眺められるような場所なの」

 

と話していたこと。

 

また、「東大寺」とは親戚関係にあることも

聞いていました。

 

当時は、ただ

「そうなんだ。

歴史に関わりが深いんだなぁ」

 

という想いだけでしたが、

 

ただ、そのワードは

時間を経ても

彼女との関係性において

わたしの中で、

色濃く存在を誇示していました。

 

明日香村』は

 

聖徳太子が生まれた場所と言われています。

 

 

 

そして、今年の元旦、

弟一家と実家でお正月を祝い

 

その席で姪っ子の主導による

ゲームが行われた際

 

わたしが発した答えが

 

和を以て貴しとなす

でした。

 

 

図らずも、元旦早々

 

聖徳太子が制定した

 

十七条憲法の第一条の文言。

 

 

当日のkinナンバー類似にも

 

聖徳太子サイ時間kin86

 

が現れておりました。

 

 

 

また事あるごとに

kin123がアピールしておりましたが、

 

 

以前、聖徳太子のkinナンバーを

検証していた際、

間違ったkinナンバーを保存しており

 

昨日再度検証してみたところ

 

 

聖徳太子崩御日kin

kin123でした。

 

 

 

このことから

以前から

kin123の存在に気付いて

欲しかったことを思います。

 

 

なお、現代kinは以前検索したナンバー

kin222明治天皇と一緒です。

 

 

 

 

歴史上の人物を

様々な時間軸で検証していく中で

 

見えてきたことは

どの時代も

どの瞬間も

 

様々な争い、戦いの

原因は全て同じことにある

そのことを思いました。

 

 

当たり前ですが

それは

 

対立

 

です。

 

 

 

 

 

この世界で光と闇の出来事を

私たち誰もが

シンプルに感じることができるものとして

 

 

光の要素としては、

 

仲の良い関係性

 

 

闇の要素としては、

 

些細な諍い(いさかい)

から生じる険悪な関係性

 

 

そんな関係性に基づく出来事が

日常のあちこちで散見されます。

 

 

そして

それは当然の事です。

 

大いなるものから分かれ

 

個として存在する全ては

それぞれの想いを持っています。

 

どんな想いを持つことも

誰からも

制限されることもなければ

 

誰も他の誰かの想いを

制限することはできないからです。

 

 

そんな存在である

私たちが創造している世界で

 

 

様々な想いから

 

家族との相違、

友人との相違、

同僚との相違。。。

 

どんどんその規模は大きくなり

 

国家間の相違

 

物事の大小に関わらず

起こっているのは

様々な相違が元となる

 

意見(想い)の対立

です。

 

 

これまで、

地球上で繰り広げられてきた

些細な諍いから

大規模な戦争まで

全ては対立から起きています。

 

そこにあるのは

互いが主張する

 

正義』です。

 

個人レベルの諍いであれば

当事者同士の問題ですが、

 

国家間に及ぶ諍いは

戦争にまで及び

 

 

そこには

 

それを指示するもの

指示を受けて動くもの

 

生まれます。

 

どの時代も

指示を出すリーダーの想い

とそれを受けて動く存在

の関係性は必ず生まれ

 

 

その際に

生じる構図は

 

リーダーの想い』が

全体(リーダーの精神性で感知できる範囲)

を想っての正義なのか

 

リーダーの想い』が

私利私欲、自身の立場を一番に想っての

正義なのか

 

 

そしてそのリーダの想いを受けて動く

 

下の存在の想い』は

 

上の想いの”力になりたい”と、自らが望む選択なのか

 

或いは

 

上の想いには賛同できないが、

拒否することもできない

自らの心の想いに沿わない選択なのか

 

 

その構図の中にあって

 

戦争という手段は

精神性の低い選択であることを

理解した上でそれでも尚

 

その戦争によって

『命を賭した存在たちの想い』

 

自らが選択し、

その想いに命を賭してまでも

誰かや何かを思い

自らが誇りを持って遂げられたことなら

 

自身が無念を残すことはないでしょう。

 

 

そしてまた

その行為は自身において

自らの信念に忠実であったことに因り

どんな末路であったとしても

光へと昇華されることを思います。

 

そしてその行為は側から観ても

ある種、畏敬の念すら感じさせるでしょう。

 

 

一方、

『自らの想いとは裏腹に

逆らえぬ想いから命を賭した存在の想い』

は報われぬまま

その想いだけがこの世界に残される

ことを思います。

 

 

また、

上に立つものも然り。

 

自らの想いがどこにあるかを

しっかりと認識した上で

 

苦渋の判断、断腸の想いで

下した判断と選択』であれば

 

自らの魂は納得できることを思います。

 

 

 

私たちは

この世界を使って

自らが観たい自身の可能性を

観てきました。

 

 

戦争の良し悪しの枠を超えた先にある

 

それぞれの立場を俯瞰した上で

 

そこにある精神性から

 

それぞれが何を学ぶのか

 

そのことが大切であることを思います。

 

 

 

これまでの

様々なレベルにおける諍いが

 

戦争に繋がる前に

 

分裂、戦争、以外の

 

第3の道』を見つけ

 

選択、実行できる精神性の進化は

 

 

これまでの世界でも

 

ずっと挑み続けてきた

 

また挑み続けていることなのです。

 

 

 

私たち一人一人の

精神性に裏付けされた宇宙

が現象化される世界。

 

 

自らのどんな想いも

自らが昇華させてゆくことは

 

自らが観ている

この世界に対する

 

一つの責任であることを

思います。

 

 

 

一人一人の想いが

それぞれの裡で

完全に統合されていたならば

 

この宇宙に及ぼす影響は

どのようなものになるでしょう。

 

 

どんな事柄も

日常をおくる

一人一人の想いから

生じることが

現象化される世界です。

 

 

現象化されることは必然です。

 

 

全てはそれぞれの想いが

形として現れるからです。

 

 

全ては自分自身からの

ギフトです。

 

 

 

大きな戦争ばかりが

一大事ではなく

 

 

日常に潜む

些細な諍いによる

意見の対立が

 

大きなものにも通じる

要素なのです。

 

 

そのことを理解すれば

日々のどんな些細な事柄にも

 

 

自らがもたらす

この世界への影響は

皆無ではなく

 

 

むしろ大きな要因の一つ

であることも思います。

 

 

そのことを

認識した上で

 

起こることは必然。

 

それも真理です。

 

 

自らの判断と選択によって

起こる必然は変わる

ということです。

 

 

 

 

この内容を

本日1月23日に発信しようと

昨日準備していた中で

 

1月23日 03:09 キルギスから南南東126km

M7.0の地震がありました。

 

『1月23日』kin123聖徳太子崩御kin

 

『03:09』kin39聖徳太子現代kin222の神秘

明治天皇崩御kin222の神秘

39サンキュー

 

『126km126むつひと(睦仁)明治天皇

kin126前田まつ現代kin113の類似(2024能登半島地震とのつながり)、

2024私の年回りkin126

 

 

存在が認識されたことにより

その想いを知らせてきたことを思います。

 

 

 

最後に

 

十七条憲法』第一条を記します。

 

一に曰く、和(やわらぎ)を以て貴しと為し、

忤(さか)ふること無きを宗とせよ。

人皆党(たむら)有り、

また達(さと)れる者は少なし。

或いは君父(くんぷ)に順(したがわ)ず、

乍(また)隣里(りんり)に違う。

然れども、上(かみ)和(やわら)ぎ

下(しも)(むつ)びて、

事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、

すなわち事理おのずから通ず。

何事か成らざらん。

 

 

<現代語訳>

おたがいの心が和らいで協力すること

が貴いのであって、

むやみに反抗することのないようにせよ。

それが根本的態度でなければならぬ。

 

ところが人にはそれぞれ党派心があり、

大局をみとおしているものは少ない。

だから主君や父に従わず、

あるいは近隣の人びとと争いを起こすようになる。

 

しかしながら、

人びとが上も下も和らぎまじく

話し合いができるならば、

ことがらは道理にかない、

何ごとも成しとげられないことはない。

Wikipediaより

 

 

第一条にも、

仁』明治天皇の存在が見え隠れします。(笑)

 

 



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最後まで

お読み頂きありがとうございました!

この世界を

光も闇も

大切な存在として受け容れ

皆さんと共に

美しい世界を創造できたら幸いです!