長年に渡ってギターと付き合ってきた経験から、ついにギターレッスンを始めました。
https://thenontarou.stores.jp/items/5f51f2848b9c6224e226a65f
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というわけで、ギターの上達法…というか、楽しみ方を人生にからめて書いていきたいと思う。
昨日、「引き出し」のことについて書きやした。
https://ameblo.jp/thenontarou/entry-12628207507.html
なんか書いているうちに最初に書きたかったことからズレちゃってたので、今日は改めて昨日書きたかった「引き出し」について書きたい。
では気を改めて。
ギターを弾くうえでの「引き出し」。
昨日書いたように、無意味に「引き出し」を増やす必要はない。
弾きたい曲を弾くために、必要な「引き出し」を増やせば良い。
それは決してまんべんなく沢山の曲を弾けるようになるための「引き出し」ではなくてね。
でね、俺はその「引き出し」の「偏り」こそが、ギタリストとして突き抜けるカッコ良さだと思ってるの。
俺はね、「引き出し」を増やすって言うのはともすれば平均的でつまらないギターになることだと思うんだよね。
自分のギターの凸凹を、平らにならしてしまう行為って言うか。
「まんべんなく平均的に弾けるようになること」って、そういうことだと思うから。
自分のギターのクセ(凸凹)を平らにならすことだと思うのよ。
俺個人は、そういう「ならされたギター」に魅力を感じない。
それよりだったら、多少「引き出し」に偏りがあって、数が少ないとしても、自分のクセ(凸凹)を貫いているギターの方がカッコイイ!って思っちゃう。
ラモーンズのギター(曲)とかさ、どれ聴いても同じじゃん?笑
でもすげーカッコイイじゃん?
そんな感じ。
俺思うんだけどさ。
ある音楽ジャンルにおける、優れたギタリストっていうのは、色々なジャンルのギターを弾けるからすごい訳じゃなくて、そのジャンルのギターを極めてるからすごいわけじゃん?
それって、
自分が弾きたい曲を弾くための「引き出し」を沢山持っている
ってことでしょ。
すべての曲をまんべんなく弾くための「引き出し」じゃなくて、自分が好きな曲を弾くための「引き出し」。
そういう「引き出し」の偏り・凸凹・クセがあるからこそ、カッコイイギターが弾けると思うんだよね。
俺が好きなギタリストもやっぱり断然このタイプが多い。
その偏り・凸凹・クセが、強烈にカッコイイのだ。
だから
ギターの「引き出し」は、存分に偏りやがれ!
凸凹しやがれ!
クセを出しまくれ!
そういうお話。
お後がよろしいようで。
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