余暇は精神と魂の開発、修養に当てるべきです。
これは是非とも必要なことです。
なぜかと言えば、身体に関係したことはすでに十分な時間が費やされているからです。
人間は誰しも、健康を維持し増進するための食生活には大変な関心を示します。
もっとも必ずしも健康の法則にかなっていませんが……。
しかし、精神と魂も発育が必要なことを知っている人は、ほとんどいません。
そういう人たちは霊的に見ると、一生を耳をふさぎ、口をつぐみ、目を閉じたまま生きているようなものです。
自分の奥に、汲めども尽きぬ霊的な宝の泉があることを知りません。
精神と魂が満喫できるはずの美しさを、垣間見たことすらありません。
誰にも霊的才覚が宿されていることを知らずにいます。
その開発は内的安らぎを生み、人生のより大きい側面の素晴らしさを教えてくれます。
となれば、霊性そのものの開発が何よりも大切なことは明らかでしょう。
これは個々の人間のプライベートな静寂の中で為されるものです。
その静寂の中で、まわりに満ちる霊力と一体となるのです。
すると、より大きな世界の偉大な存在と波長が合い、インスピレーションと叡智、知識と真理、要するに神の無限の宝庫からありとあらゆるものを摂取できます。
その宝は使われるのを待ち受けているのです。