何気なく言った言葉で、友人を傷つけてしまった。なにしろ、とても鈍感なので、まったく傷つけるつもりなく、思ったことをストレートに言った。いつも、言葉に気をつけていたはずなのに、やってしまった。
時には、思ったことを、あえて発言しないことも大切なのだろうか。それで楽しければいいのだろうか。うーん、私は、もう無理に笑いたくなかっただけだったのだ。
いままで自分は、「傷だらけ」だと思っていた。傷つきながらも生きていきたいなんて、偉そうに言っていた。しかし、今回、私が相手を傷つけた。傷つくのは辛いが、傷つけてしまうこともまた、辛い。
「傷つけるより傷ついたほうがいい」。そう聞いたことがある。だとしたら、今の私って、最悪だわ。
だけど・・・未だに、ではあの時どうしていたらよかったのか、考えても思いつかない。ひとつあるとすれば、「黙っていればよかった」のかもしれない。でも、素通りできなかった。
「主のご計画はわからない」 神はすみやかに答えてくださることもあるが、しかし、あとになって、ああ、こういうことだったのだ、と、わかるようなこともある、という。
じたばたしてもしかたない。まだ「委ねる」ことがわからない今は、できるだけのことをしたら、あとは「おまかせ」したい。それは「無責任」ということではなく、きっと、信じること、信じ続ける力を備え、それを土台にして「委ねる」ことだと。
今は、彼女の心が平安になることをただ思うのみかもしれない。それで精一杯だ。ただ、今できることだけ、やれればいい。祈りへの道は、まだまだ茨の道に思えてしかたがない。祈れるようになりたい・・・そう祈るのみだ。ううっ、これじゃあ、祈るどころか、「嘆き」だ。嘆きから出発する祈り・・・なんて、あってもいいかもしれない。