羊にも狼にもなれない私 | 祈ることへの道

祈ることへの道

教会(プロテスタント)へ通い始めて二年。洗礼は、まだ受けていないので、ノンクリスチャンだ。日々、神様に近づこうと思うのに、あわただしさにまぎれ、ただ「祈る」ということができない。そんな日々を、ここに綴っていきたい。いまはただ「祈る」ことができれば。

 何週間か前の礼拝で、「主は私の羊飼い」という、有名な箇所の話をきいた。


 なぜ、羊なのかと。「羊は弱い動物です。群れで生活しています。羊は、保護され導かれ生かされています」

 私は狼のようでいたいと思っていた。一匹狼のイメージ。ちと、かっこいいでしょ。群れている人たちと一緒にいるより、ひとりの方が好きだった。でも、一匹狼でいるのには、私はそんなに強い人間ではなかった。それは、いままで、いやというほど味わってきた。もともと、ひとりでなんて生きていけるはずがない。そこからもう、勘違いしていたのかもしれない。実際、私は今まで、大勢の人に助けられ、救われて生きてこられた。自分ではなにもできない、と、つくづく思う。だから・・・・・・今私は、保護されていないとやっていけない。


「パレスチナは岩山だ。草は少ない。私たちのイメージする牧場の羊飼いとは違い、草、水を探すのは大変なことです。だから、パレスチナで羊に、草、水を与えることができるのは、本当によき羊飼いでないとできない。私たちは、まことの主(羊飼い)を選んでいかなければならないのです。」

まことの羊飼いについていけば、ただ、ついていけばいいのだ。私は羊。弱いです。だから、正しい導きが必要なのかなと思った。