The molluskのブログ

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10年目を迎えた家庭生活の記録

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モテ期、しゅーりょー。残念ながら(?)、どうもそういうことらしい。コロナで強制終了である。

年上の憧れの人は、1年半ぶりにオンラインのグループミーティングで会う約束をしてたのに、すっかり忘れててすっぽかされそうになった。こっそり手を回して彼も参加してくれるように、私にしては珍しく策謀めいたことまでしたのに。忙しい人だから、遅れて参加してくれただけでもよかったけれど。
イケメン君は、先月半年ぶりに出くわしたけど、私のことは完全にどうでもいい人の扱いだった。挨拶は無視され、皆の前での事務的な話だけはおだやかにしてくれた。自分でそれを望んでいたくせに、いざそうされるとものすごく悲しかった。誰か大切な人が、できたんだろうか。私の知らない人だといいな。目の前で仲良くされるのは、さすがに、キツい。
唯一毎月のように会っていた美容師君は彼女と結婚して、海外で一旗あげるために店を辞めるんだそうだ。顧客関係すらも断絶。

まぁ、一応、ご新規様がひとり。ハタチくらいの男の子が、さりげなく褒めてくれたり、熱っぽい目で見てきたりカードゲームで遊んでたら手に触れてきたりはするけど、いくらなんでも20も年上の、母親の友達を口説く度胸はないだろう。

でも、そうやって油断してると、勝手に向こうが盛り上がって、手に入らないと分かると勝手に怒って離れてくので、これ以上仲良くならないようにしないと。もう、いい男は懲り懲りだ。そもそも人妻なんだから手に入るわけないのに、というか手に入ったらふしだらな身持の悪い女だと軽蔑するくせに、自分のいい男度を測るゲーム感覚で口説いてくるんだもの。なまじいい男なだけに、夫が見劣りしまくって、自分の心の処理がめんどくさいったらありゃしない。そこらの凡庸な男みたいに、眺めるだけで満足してればいいのに。彼らの山のように高いプライドを傷つけないようにするのは、至難の技である。でもその技術を習得しないと、私の目指すmatureないい女にはなれないんだろうな。人生、何事も勉強である。
いや、お前は何者なんだとセルフつっこみもしたくなるけど、まぁ、私は神のもの、主のもので誰のものにもならない、というのが宿命なんだろう。もう、いいのだそれで。

そう、そして、夫は、コロナでも去らずに私のそばに残ってくれている。ふらふらやってきて、いつのまにか去ってくいい男たちとは、違う。夫の愛情表現…ただ、そばにいるってことが、きっと、そうなんだろう。相変わらず何も話してくれないし、何も楽しませてはくれないけれど。浮気をするでもなく、経済的DVをするでもない。暴力は振るわなくなったし、モラハラも随分治まってきた。可愛い娘と、真面目な夫がいる、平凡な家庭。

でも、今のこの幸せは、イケメン君のおかげで自分を見つめ直したり、美容師君のおかげで垢抜けたり、あの人のお陰で自分に自信がついたりした、その結果なのだと思う。幸せの青い鳥、みたいなものなんだろうか?いくら遠くまで行って探しても探しても、見つからなかった、平凡な幸せ。それは、身近に、自分の中に答えがあった、ってことなのかもしれない。神様が、私に試練を与え、私を作り変えてくれたのだ。幼さを改め、成熟した人間になるために。さんきゅーじーざす。

断片的に6年続いてきたこのブログは、これでひとまずおしまい。結論としては夫婦の再生の物語、ってことになるのだろうか。いろんなことが、変えられた。変化を起こしたのは、出会いと、気付きだった。きっと、自分一人では何もできなかった。
主にあって万事が益とされる。ほんとうに、聖書の通りだった。私に残ったのは、変えられた自分自身と、家族、そして美しい宝石のような愛の思い出たちだ。ハレルヤ、神様、奇すしみわざを感謝します。



自分のセルフィーを、ピクサー風のアニメキャラ化してくれるサイトというのがあって、興味本位でやってみた。

なんか、誰かに似てるなーと思って、真っ先に思い浮かんだのが、レコア・ロンドだった。
80’のアニメ、Zガンダムの登場人物で、最初は主人公サイドにいるんだけど、途中で敵方の男に走って寝返るという、悪女と評判のキャラだ。
優秀で、いい男にモテて、一見落ち着いた大人の女性だが内に秘めたものは情熱的で自由奔放。たしかに、そういう生き方、私はすごく共感するかもしれない。時代や状況の道具として在ることを拒絶し、心のままに生きる。軍人で在る前に女だった、という人物。
物語が戦記だから、彼女は悪女だが、他の文脈…恋愛モノなら、彼女がしたことは何ら問題がないわけだ。結婚したわけでもないのに、不実な男の元に留まることは、寧ろ観客をモヤモヤさせることだろう。

そして、自分のキャラについても、ちょっと納得した。映画版では主人公も一時期、年上のレコアを心の拠り所にするという設定らしい。年下に、この人なら甘えさせてくれそう、と思われちゃう容姿なんだろう。別に節度を守ってくれるなら、少しくらいなら甘やかしてあげるけど…。ねぇ。

悪意もなく人を裏切る。自分が相手にとってどんな存在か、ということに、とんと無頓着。他人には行動の動機をあまり理解されない人。…ちょっと似てるかも。

私も、いずれ愛のままに大胆な行動に出るんだろうか?アニメじゃあるまいし、そんなことにはならないと思うけど。
私の魂の安らぎは、もう、既にあるし。



現在深夜2時、すごく寂しくて、お腹が空いて、眠れない。誰もいない…夫は隣で寝ているけど。

あの人に、肩を抱かれたときのことを思い出している。
感動的な情景を見て目に涙を溜めてる私を見て、君は、俺の友達だよ。そういいながら、彼は私の肩を力強く引き寄せた。私は本当に無意識に、思わず彼の厚い胸板に頬をすり寄せて、甘えてしまう。目尻から涙を一筋こぼしながら。きっと、彼はもうその時私を好きだったと思う。怖れも疑うことも知らない少女のように彼に信頼する私は、彼の目にどう映っただろう。彼にとってあのモーメントが、美しい思い出になったことを願っている。私はその時は、まだ彼への気持ちを自覚していなかった。敬愛する人ではあったけれど。夫のある身でそんなことをしてしまった自分に驚き戸惑い、照れ笑いをしながら、I’m OKと繰り返して彼から離れた。

あの時の安心感は、3年経ってもよく覚えている。男の人って、こんな風に女性を守ってくれるものだったんだ。ゲームの相手、敵、打ち負かすもの、簒奪者。私は男性をそんな風にしか捉えられてなかった。切れ物で口の減らない、かわいくない女。手に負えないし、怖い。独身時代、異性からはそんな風に思われていただろうし、私もそれを望んでいた。

夫のことを、私は見た目だけで選んだ。誰だって同じ…所詮はアクセサリー。そんな、ミソジニストの男が女を選ぶような基準で、私は夫を選んだんだと思う。真面目で、コントロールしやすそう。いいなりになってくれそう。でも、夫が好きだった。意思もビジョンもないこの人のそばに私がいてあげれば、私の思い描く理想の夫婦像を実現できるんじゃないか。一緒に平凡な幸せを描ける、真っさらな素材。そんな風に浅はかに考えていた。傲慢だった。

夫の子を生んで、左手に荷物、右手によちよち歩きの娘の手を引いて、3人で出かける。建物の入り口には手動のドアがあって、夫は振り返りもせず一人先に入っていく。続いて入ろうとすると、重いガラスのドアが勢いよく私と娘の方に戻ってくる。私は驚いて、ドアから娘を庇う。ドアはぎりぎり避けられたけど、心は痛い。私は手動のドアを放すときには赤の他人にだって配慮する。夫にとって、私と娘は他人以下の存在なのだ。
喧嘩をした時よく聞く。あなたにとって、家族ってなんなの。
夫の答えはこうだ。なんだろうね、なんでもない。

養ってやっている、お荷物。夫に代わって言語化すれば、せいぜい、その程度だろう。私の存在は夫にとって、喜びでもインスピレーションの源でもない。夫は私から何も得られず、私は夫に何も与えられない。

駅のエスカレーターに乗る時、イケメン君はスマートに私の腰に触れながら、先に乗せてくれた。単なる女性慣れした男の習い性かもしれない、たったそれだけのことが、私は涙が出そうなくらい嬉しかった。街で並んで歩くカップルや夫婦を見かけるたび、どれほど羨やんだことか。夫に、エスコートされたいと希望を伝えたら、夫の応えは、ドアを開けるのも荷物を持つのも自分でできるだろ、自分でやれよ、だった。

意思薄弱に見えた夫は自分の意思がないわけではなかった。ものすごく頑固で、自分のスタイルを崩さない。自分からは何もしない。人と極力関わらない。それが夫の生き様だった。夫はギターが好きで、もう20年くらい毎日のように触っている。人に習うわけでも、仲間がいるわけでもなく、ずぅっと一人だ。一向にうまくならず、家族のために何か弾いてくれるわけでもない。ひたすら、自分の好きなソロフレーズを繰り返し、繰り返し練習している。夫が心血を注ぐのは、自己満足のことだけ。成長もなく、他人との共感もなく、他人をこき下ろしたり不満を言うチャンスだけは逃がさない。部下は次々異動やメンタルダウンで去っていき、肩書だけの役職はついても、いつまでも実質は一番下っ端。

そんな夫に愛されないことに、長年酷く悩んできた。私が魅力的でないから。私が無能な人間だから。私が美しくないから、愛されないのだと。

でも、違った。夫は、誰がどう見ても愛らしい、社会通念上も生物学上も当然守るべき対象の娘も、愛さなかった。そして、イケメン君は人妻の私を真冬の海岸の突端で、誰憚ることなく抱きしめてくれた。たとえ、動機がなんだろうと、彼が攻略する相手として私を”あり”だと思ったという点は変わらない。美容師君にしたってそうだ。美意識が高く、研鑽を怠らない、カットモデルとか若い綺麗な女性もしょっ中みているはずの彼、可愛いは作れますからね、と豪語した彼が、私を好きだと言って、セクシーで綺麗だと褒めてくれた。たとえ二人とも一時の気の迷いだったとしても、私を評価してくれる人がいたことは、嬉しかったし感謝している。私たち夫婦に愛がないのは、私の資質の問題ではなく、夫の側の問題なのだ。PCがうまく動かなければ、タスクを減らして問題を切り分ける。問題の切り分けができたことだけでも、私はイケメン君に感謝しなければならないだろう。まぁ、私が盲目でなければ、夫との交際時代にそのことを見極められたのだろうけど。

ようやく、私は若かった頃とは違って、男性を過度に恐れたり、嫌悪したりすることはなくなった。街で視線を感じても、以前なら気持ち悪かったり、意味がわからず困惑したり、自分の服装など何か変なのかと自信をなくしたりしていたが、今はもう平気だ。何かご用、とでも問いたげに目を見返してあげると、向こうがドギマギして、目を逸らす。…なぁんだ、他愛もないじゃないの。
本当は一人ぼっちで、ものすごく惨めだけど、そんな一過性の状況に流されるほど、私は惰弱じゃない。私に相応しいのは永遠の真理で、仮初の虚構ではない。

夫とのことも、私は神様に感謝している。私の人をコントロールしたいという思い上がりをくじき、傲慢さを悔い改めさせてくれた。ぜひ結婚しなさい、良妻ならば幸せに、悪妻ならば哲学者になれる、とソクラテスが言ったという。私も同じだ。幸せにはなれなかったけれど、得たものはある。

人は去っていく。状況が許さなかったり、気持ちが離れたり、プライドが邪魔をしたり。誰が悪いわけでもない。私は、森の奥にひっそりと佇む汲めども尽きぬ泉だ。そこに水を飲みたい旅人がやってこなくても、水を豊かに湛えていることには変わりがない。
美容師君に口説かれてるのは分かってたけど、イケメン君の時みたいに積極的にはなれなかった。話が面白くて楽しませてくれるし、声がいいので落ち着くし、頼みも聞いてくれる。だけど、目を見るとなぜか悲しくなった。その身体感覚がブレーキをかけたというのは、確実にある。違和感、とでも言うのだろうか。私だって、弱くて寂しい。気持ちは少し動いていた。夫と喧嘩して、一人駐車場の車内で寝る夜、このまま美容師君の一人暮らしの家に泊まりに行こうかな、なんてことが頭の片隅をよぎったこともある。ただ、やめときな、と、身体が告げていた。相手の好意を利用するなんて、卑怯なことは私はしたくなかった。
恋には手触りがある。ほんとうにそうなので、私は40になるまでそれを知らなかったけれど、たしかにそれは存在する。

心から愛する人に一年ぶりに再会して抱きしめられた時には、周りの空気がソーダみたいになってパチパチとはじける。シャンパンのプールに入っているみたいな、甘い、きらめくsparkle。果てしなく透明に近いピンクゴールド。見つめ合うと、全身が熱くなって、手足の指先が甘く痺れて、感覚をなくす。自分でも驚くほどの、制御できない身体反応。それが、私にとっての恋で、駆け引きとか、気を持たせるとか、条件とか、こんなこと言われたとか、そういう擬似体験ゲームみたいな遊びとは違うのだ。嵐とか暴力みたいな、巻き込まれて抗いようのないもの。

それを体験したのはたった一度きりで、その人とはもう一年以上会えていない。最後に私の頬にキスして、I love youと言ってくれたあの人。アメリカにいる。あまりにも遠くて。憧れだけが募る。15歳も年上の、音楽家。私の知る中で最高のいい男だ。彼になら私は、本当に仔猫みたいに甘えられた。媚びた目で睨んでみたり、自分の小柄さをアピールするために指先を握ってみたり、みんなの前(というかイケメン君に見せつけるように)で抱きついてみたり。自分でもこんなことができるなんて、と驚くようなことが、自然にできてしまう。彼は全部受け止めてくれる。いつもは余裕たっぷりで、I’m always perfect (俺はいつも完璧さ)なんて言ってるのに、私が見つめると発光しそうなくらい真っ赤になって、少年みたいに全身ではにかむ彼を見るのは、あれが私の人生の絶頂だったのかもしれない。大きなホールの、終演後の客席に並んで座って。とろけそうに幸せだった。彼とも完全にプラトニック。

イケメン君とは、また違った。まっすぐ目を見ると、彼は美しく微笑んだまま見つめ返してくる。その瞳の奥に吸い込まれそうになった。永遠の一瞬、とでもいうような。とても綺麗な目と手をしていて、彼といると胸が苦しくなった。キーとなる場面では、今まで曇っていた空が晴れ、黄金色の夕日が二人のところへまっすぐに届く。私たちはさっきまでのシリアスな会話を忘れたみたいに、軽口を言い合いながら、今し方来た道を急ぎ足で海まで戻る。まるでフランス映画みたいな、夢みたいな、ほろ苦くておしゃれな恋。くっついたり、離れたり。倫理と恋心、男と女のプライドの戦い、薄氷の上の綱渡りのスリル。私は年下の彼を翻弄するいい女で、でも本当は繊細で傷つきやすくて、時々弱みを見せては彼をどうしようもない気持ちにさせる。そんな役。意地っ張りの彼は、素直になれない自分と、許されない欲望の狭間で、だんだんと大人の男になろうとする。おそらく、私とは結ばれない。だからこそ、私は彼の前ではいつも凛として美しくいてあげたいのだ。私を好きになったことを、後悔して欲しくないんだもの。これが私なりのやり方、彼を愛している。

美容師君とは、どうしようもなかった。彼は努力家で、才能のある人だ。頼り甲斐のあるいいパパになりそうな。彼の世界は健康すぎて、私の役割、物語が思い浮かばない。やっぱり、彼は私の人生では端役だった。思った通り、私から離れていった。彼のことは、人間として好きだ。これからは良い友達になれたらと思うけれど、それも相手次第だ。彼の器が大きければ友達になれるし、そうでもなければ私だって、これ以上不躾な態度を取られるのはごめんだ。顧客として会うのは、次で最後になるのかもしれない。

そんな風にして、夫の出る幕はないまま、私の物語は進んでいく。どんな帰結になるのか…全ては夢幻のごとく、だ。この物語が終わっても、私には帰るべき家がある。最高の脚本家、演出家、舞台監督がいて、最高の物語が用意されてることを、私は知ってる。だから、何も心配する必要はないのだ。
完全な愛は、アガペーの愛だけだ。地上の愛は、その影に過ぎない。夢を見ているように、地上の生涯は過ぎる。胡蝶の夢…そのなかに、いったいいくつの美しいシーンを持てるだろうか。





美容師君に彼女ができたらしい(笑)
私はここまで浮かれた人間というものを、初めて見たかもしれない。彼への印象は、とんでもないお調子者、だったけれど、やっぱり間違ってなかったようだ。
私に対する態度も施術もあからさまに随分ラフになって、おいおい、プロとしてそれでいいのかと思うけれど、まぁ、得意の絶頂なんだろうし今回は大目にみてあげようじゃない。美容師としての腕は買ってたけれど、友達以上にはなりようがない。住む世界が違いすぎるもの。私も、その方が気楽だし、今までこんなこと聞いて好意があると思われたら困ると、会話も弾まなかったんだけれど、ラフに扱われればこちらも軽口も叩けるというものだ。あちらも、自分を実際以上に良く見せようとするのをやめたんだろう、自然に自分の弱みなんかを話してくれるから、今までよりよほど話しやすい。
娘ちゃんが将来不倫なんかしたらよくないですしね、などと際どいワードをぶっこんでくるので、お前がいうかと思いつつ、割といつもギリギリの線探ってくるよねぇ、と笑いながら一応釘を刺しておいた。そしたら、人間としての器がでかいですよね、とまた微妙なところを褒めてきた。はっはっは。だといいよね(君にとって)。冷たいお茶をサーブする時には、わざわざ”冷え冷えですよ”、と教えてくれる。見りゃ分かるわよ、そんなもん。娘を可愛いと褒めちぎり、これからは娘と仲良くしたいそうだ。勝手に好きになっておいて、どうでもよくなれば、その扱いですか。お客をなくすわよ。まぁ、男の沽券は大事よね。すごいチヤホヤしてくれたから、そのサービス精神に免じて許してあげる。これで陰のあるイケメンとかだったら刺したくなったかもしれないが、どちらかというと憎めない顔なので、浮かれてるなぁ、かわいいなぁという感じ。そりゃもちろん、急変した態度に一抹の嫉妬や寂しさのようなものも、感じないではないけれど。お似合いの彼女だと思うよ、お幸せにね。一時の気の迷いで人妻と不倫なんかしなくてよかったでしょ?今の幸せは私が君のためを思って応じなかったお陰でもあるんだから、ちょっとは感謝してよね、バーカ。

問題はイケメン君のほう。7月、約半年ぶりに現場に居合わせたのでちらりとだけ顔を合わせた。別に呼んでもないのに来て、事務的なことを質問してもつっけんどんな態度。”この人”呼ばわりされて、話しかけるのが怖くなる。何しにきたんだろうと思っていたら、帰りにご機嫌伺いのメッセージなど寄越してくる。
こちらにも早く彼女でもできればいいのに。彼のことは、私も好きだったから、そんな態度をとられるとやっぱり気になってしまう。
もうそろそろ、出会って2年経つ。お互い傷つけ合うだけの、不毛な消耗戦をしてる。どうして、こうなっちゃうんだろう。まだ私を好きなのに素直になれないだけなんじゃないかって、また甘っちょろい期待をしてしまう。そんなんじゃない。分かってる。彼は何も築けない人だ。少し積み木を積んでは、崩すのが楽しい赤ちゃん。愛情を一緒に育てるなんて到底無理だ。

夫を、私の愛で支えていれば、変えられると思った。けれど、20年一緒にいてもできなかった。何も変わらなくて、夫は人間不信の小人物のままで、私たちにはなんの信頼関係もない。お前を愛してないし、お前からの愛情も必要ない。それが夫の結論で、私たちがいま離婚しないのは、世間体が悪いのと離婚するだけのエネルギーがないからだ。
私が”微熱が出たから自己隔離してる”、と連絡したら、夫は帰るなりマスクを一枚持って部屋に入ってきて、これを付けてろとだけ言う。なんの気遣いもなく、ただ、俺に迷惑をかけるなと。私が、咳もないし、部屋で1人でいるのにつける意味が分からないので付けたくない、と拒否すると、夫は、俺には付けない意味が分からない。じゃあ2週間部屋から出るなよ、と言い捨てて、娘のところへ行き、ママが使ったものに触るんじゃないぞと聞こえよがしにご指導を始める。熱は翌朝下がった。
翌週夫が食中毒になって、その看病をしながら、どうして私が病気をしてもマスク一枚しか貰えないのに、私は相手を看病しなければならないのかと、虚しさだけがこみ上げてきた。

私と娘のクラフトを一緒にやってもらったら、自分がやりたくもないことを手伝わされたという理由でゴミ箱に捨てられた。夫にとって、家族のために自分が何かする、ということは、使役、隷属であり、敗北なのだ。

夫は給与以外何も与えてくれない。でもイケメン君と付き合ったりしたら、きっともっと悲惨なことになるんだろう。社会的立場も、お金も、健康も、美貌も、精神も。全て奪われて、ボロ雑巾にされる未来しか思い浮かばない。何もかも捨てて激しいドラマチックな愛に身を任せてそうなりたい気がしないでもないけれど、娘のことを考えるとできない。私の愛で彼の孤独を癒してあげたい、なんて、とんだ思い上がりだ。人は変わらない。
きっと美容師君は、たくさん与えて満たすことが自分の喜びだという人なんだろう。彼と同じ世界に生きているであろう彼女が、正直羨ましい。