彼女の借金は2年弱で返し終わりました。元旦那に借りていたお金も、おれの両親からのお祝い金をそのまま渡す形で返してました。

新しいマンションに引越しも終わり、順風満帆に思えますよね?
自分は30代後半。新生活は、日々の小さい楽しみを積み上げ、老後の生活のために貯金をし、余裕が出たらたまには旅行に行く、みたいなDINKSの姿をイメージしていました。

実際は、もっとバブルな感じです。

年一回の海外旅行(それとは別に国内旅行も)、毎月新しい服を購入、毎週末土日は外食。不定期ですがライブやスポーツ観戦、ミュージカルやイベントなどにも度々でかけてました。たぶん、自分ひとりだったら、こんな経験はしなかったと思います(基本インドア)。

彼女は引越して間もなく仕事を辞めました。家事をちゃんとやりたい、と。自分の仕事が順調だったこともあり、一年間の専業主婦を承認しました。

とはいえ、社会との接点をなくしてほしくないし、生活レベルを上げていくためには共働きしてほしいと思っていました。折に付け伝えていた甲斐あって、扶養の範囲内で派遣・パートを始めました。
 

彼女が正社員で働いていた頃は「財布は別々」の原則でした。借金を返済し、彼女は変わってしまいました。本当に最低限のこと以外はおれの財布から支払われることになっていました。そのときの自分の精神状態は、「ここで弱音は吐けない」「おれが家族を支える」「笑顔が見られるなら無理しよう」でした。

そんな中、おれの職場が経営不振に陥ります。管理職は自分を筆頭に退職勧奨を受けました。40名の社員から15名程度が辞めました。

幸いすぐ次は決まったものの、年収は下がりました。

  • かみさんが扶養に入り、家計収入としては戦力外
  • カードを自由に使うため、月次の収支が読めない
  • 会社都合の転職で年収減
  • 国内外の旅行、外食、服の購入など生活レベルが落とせない

世帯年収でいうと、マンション購入時から300万以上も下がりました(もちろん、自分の年収減よりもかみさんの収入減が大きいです。同僚の頃は給料同じくらいでしたし)。
 

そら、詰みますよね、笑。

バカな話ですが、綱渡りの生活がここから5年続きます。

実績から言って、年間100万程度のショートです。
最初の2年くらいは、独身時代に買った1DKマンションの家賃とローンの差益分でなんとか乗り切ってました。後半の3年は副業をやったり、保険や証券を解約・売却したり、1DKのマンションを売却したり。

 

「おれに甲斐性がないせいだ」と自分を責めてました。なんとか転職して年収を上げて、生活レベルを戻さなきゃいけない、そればかり考えてました。

最後の1年はほぼ死んだ目。毎日が辛かったです。彼女は、そんな状態のおれの気分を盛り上げようと、美味しいお店や楽しいイベントに連れてってくれるのですが、自分は「外に出るとお金使っちゃうのに」「経済状況は伝えてるのに本当にわかっているのか、言っても無駄なのか」って思ってました。

支出の引き締めについては何度も話していました。ただ、おれがなんとかするって気持ちと甲斐性なしって引け目があって、強く言えていなかったように思います。