今って、そのへん(どのへん?)のことって、どーなんだろう。

わたしが子どものころ(半世紀近く前!)は、奥様がお亡くなりになったご家庭に、すぐに後妻さんがいらっしゃることが多かった。


後妻さんの成り手、と言ったらあれだけど、当時は身近なところに成り手がいらっしゃったのかも。
前妻とは死別だったり離婚だったり、あるいは蒸発されちゃったり、さまざまな理由で後妻さんが必要(?)になったのかな。

当時、そんな話を聞くにつれ、「え、もう?」と子ども心に思ったっけ。思うだけじゃなくて口に出すから、大人たちからたしなめられたっけ。

「残された子どもたちの面倒をみたり、家事をしたりする人が必要でしょ」と大人たちは言うけれど。えー、そーゆーもんかなぁ?

役割の椅子が有って、そこに座る人の成り手が必要。ってのは理解できる、っちゃできるけど。 


そこに役割があるのはいいとしても、椅子を置く場所は自分で決めたくないか?そこに置く椅子は、自分の好きに選びたくないか?

自分が座ろうとする椅子の形が、がっちり決まっちゃっているところに座りたいかなぁ? というのは子どもっぽい考え方なのか。
いや、いまでも思う。いまでこそ、そう思うかも。あー、年食っても幼稚。

「わたしは絶対、後妻にならない!」と思わず言っちゃったんだっけ。
「あんたね、結婚すらしたことないくせに。後妻の何かも分かんないくせに」と更にたしなめられたんだった。

それでも、自分の座る椅子のデザインは、自分で決めるのが良いな。椅子を置く場所も、もちろん。ってのは、ローカルルールがばっこするスモールワールドの話。たぶん。

というわけで、かどうか分かんないけど表題へ。 
引越しして、一年経った。けれど、まだ椅子を買っていない、ってことをここでカミングアウト。 

低反発の座布団で、いつまでしのげるものか?ってのをトライアル中だから。うそやで。 

オーダーしたテーブルが届いたのが、秋ごろだった。その前につかっていたのがローテーブルだから、椅子が届くまでは繋ぎで低反発座布団を。と思っていたけれど、椅子はまだオーダーしていない。
ショールームであれこれ見てみよう、なぁんて言っていたのに、それも乗り気にはならず。

使用感を無視した椅子はいや。だからといって、エルゴノミクス過ぎるのもちょっと。カクカクしていなくて、いい感じのフォルムのシンプルな椅子が良いな。 

時節的に懐が激寒にならないお代だとありがたい。そんな素敵な椅子が、どこかにないかなぁ。

さて、ジューシーなサルタナレーズンとオレンジピールのビター感、そこにパネトーネ酵母の香りが合わさってなんとも素敵なコントラスト。


しっかりめのセイロンで淹れたミルクティを添えて、スローな朝ごはんのスタート。

今年も、娘の意向でシュトーレンだけど、やっぱりホリデーシーズンはパネトーネ無しじゃ淋しいじゃん。