ここちゃんと小ペンギン
 
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悲しいかもペンギン

芸能人って結構寂しいんじゃないかな、と思うときが多々ある。
例えば。。。
良く俳優がCDを出したり、バンドを作ってライブをやったりする。すごく人が集まりそうだと思うとそうでもない。俳優のファンは「俳優」としてのその人が好きなのである。だからただ「いる」、ステージの上で「ギターを弾いている」と言うだけではファンは魅力を感じない。つまり「その人」が好きなのではなく「その俳優」が好きなのである。以前日本の実業団でプレイしていたアメリカ人のバスケ選手と知り合いだった。その人は何とあのマイケルジョーダンと同じ高校に通っていた。それどころか大親友だったようだ。非常に有名な話だが、マイケルが高校一年生の時にバスケ部のレギュラーになろうと頑張ったが落とされた。その時最後に選ばれたのは私の友人だった。だから未だにマイケルはホテルで存在がばれたくないときにはその友人の名前を使ってチェックインするそうだ。常に初心に戻ると言うことを自分に言い聞かせているらしい。友人が日本でプレイしていた時、マイケルは大大スーパースターだった。で、友達はみな有名俳優や大富豪と言ったいわばセレブ達。マイケルは周りの人達が自分の何が好きで、何が欲しくて寄ってくるのか分からなくなる時があったみたいだ。そのような時に私の友人に電話があったりするそうだ。高校生、つまり自分は有名人でも何でもない時の友人。ただ面白いやつ、気の合うやつだから友人。そういう人こそ信頼できるみたいだ。周りは「スーパースター」のマイケルが好き。別の言い方をすれば「スーパースター」でなければそんなでもないかも、と言うことではないか。。。そのように回りの人達を見ていないか常に吟味して生きたいものだ。。。

字幕ペンギン①

 百聞は一見にしかず、と言うことわざがある。

英語だと、

A picture is worth a thousand words.

これはナポレオンが語った言葉と言われているそうです。

何回聞いても、一目見たらぜんぜん印象も理解も深まると言うことでしょう。

良い例はテレビではないでしょうか。

私達は本当にテレビが好きです。

ニュースでもそうです。新聞も良いですが、テレビで見るニュースは迫力ありますね。より印象深いのではないでしょうか。

私は昔フリーで翻訳業をやっていた時期がありますが、その時友人の紹介でテレビのドキュメンタリー用の取材テープの原稿おこし、翻訳をお願いされました。カリフォルニアの電気供給の問題に関してでした。用は電気産業を自由化したとたん電気代がめちゃくちゃ上がってしまったと言う内容でした。で、その取材班はいろいろと電話供給会社幹部や役人などインタビューをしてきたようです。で、そのインタビューテープを訳して行きました。

提出後再びその会社から電話ありました。今度は実際番組を作ったが、インタビューの正しい箇所を使っているかチェックしてもらいたいと言われました。要するに、どこどこの役人が「カリフォルニアの政策は上手く行っていないかもしれない。」と言っている箇所を流したいが、本当にそう言っている部分か確認してほしいと。さもなければ、

(日本語のサブタイトル)
カリフォルニアの政策は上手く行っていないかもしれない。

(カリフォルニアの役人が英語で言っていること)
。。。かもれないが、場合によってはそう言え。。。

みたいになってしまうのである。

でも実際チェックしてみたら上記のような箇所が多かった気がします。
また確かにその役人は、「カリフォルニアの政策は上手く行っていないかもしれない。」と言っているが、30分ほどのインタビューを全部聞いてみるとぜんぜん違うこと言っていたり。いろいろ考えさせられました。

実際ニュースを見ていても、サブタイトルはちゃんとしているものの、

ブッシュ大統領「今のアメリカは確かに苦しんでいる、しかしこれからは」

みたいな微妙な箇所でカットされていることは非常に多いです。

「おい!これからなんだよ!」と思わずテレビに叫んでしまいます。

何故これが成り立つのでしょうか。それは見ている人が英語分からないと言うことでしょうか。また上記私の携わったドキュメンタリー同様ディレクターが英語分からないと言うことでしょう。

でもそれ以上に、その映像の正確性などはどうでもいいことだからではないでしょうか。

「一見」が大切なのです。ブッシュ大統領が重々しい表情で力強く話している姿が大切なのです。何を言っているかはこの場合大切でないようです。「一見」がすべてだからです。

情報の正確性がだんだん問われている今日この頃ですが、まず私達自信が分別を磨かなければならにと言う警告のようにも聞こえてくる気がします。

音楽ペンギン①

子供に取って時間はゆっくり流れる気がする。

一瞬、一瞬が大切。一瞬、一瞬に新たな発見、大きな経験したことのない感動がある。

よって一瞬が永遠に感じる。

何故そう思うようになったかと言うと仕事でそう感じたからです。

私は音楽に携わる仕事をしています。

電気メーカーにも6年ほどいました、音楽業界に移ってから、電気メーカー時代にはいろいろ感じなかったことを仕事上感じます。

と言うのは、電気メーカー時代は(私の場合ですが)すべてが未知で、自分の毎日の生活にはあまり関係しない商品、言葉に囲まれて仕事をこなしていました。 よって、会社を一歩出たら仕事は自分にとって関係なくなりました。宿題や課題に追われてた学生時代とは徹底的に違って、社会人になって好きな部分でした。

音楽業界はかってが違いました。「商品」は知っている名前ばかりです。

テレビつけたら出てくる。。。
ラジオつけたら流れてくる。。。
雑誌見たら載っている。。。
スタバで隣の人達の会話の中に出てくる。。。

なかなか仕事から離れられません

神経質の私は結構戸惑います。

仕事を忘れたいときでも世間がそうさせてくれません。

そこで本題に戻りますが、仕事でよく子供の頃聞いていたアーティストが登場します。

「わーこいつはビッグネームだ!」

と思っているとそうでもなかったり、

「ゲッ!まだいたんだ!」 
「彼はあまり大したことないよな」

と思うと結構人気あったり。

つまり私はいくら子供の頃そのアーティストを聞いていたとしても、
それはそのアーティストのわずか数年(2,3年)の断片を聞いていただけでした。

私にはその2、3年が永遠に感じられたので、

そのアーティストは「永遠に」凄いか、

「永遠に」大したことないか

と感じてしまいます。

実際冷静に各アーティストのキャリアを見てみると、
10年も20年も出すアルバムが次々売れるアーティストって実はなかなかいません。

非常にまれです。

私達が想像する本当にビッグなアーティストが、
本当にトップに君臨してビッグなのは、
結構3、4年で、
アルバムの枚数で言うと2、3枚です。

それから
だんだん
どんどん
人気がなくなっていきます。

だけど子供には2,3年は「永遠」に感じます。

だから僕は時々よくとまどいます。

あっ、このアーティストは、直ぐ落ちちゃったんだ、
と知ったとき、


少しさびしくなったりします。