爺さんの思い出 (戦争について) | ガンプラは根気と修行【ヤマテツのブログ】

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ガンプラ好きな福岡市在住のオッサンです(´Д`)

日々のくだらない出来事やガンプラ制作日誌をアップしてます。
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お盆になると終戦記念日として数々の戦争番組がある。
戦後75年たった今、戦争を知らない自分がテレビ番組観て毎回思い出すのが爺さんとの思い出。

40年も前になるが、自分がチビの時風呂にいつも一緒に入ってた。
『ここんとこに弾入っとるとじぇ。』
と、毎回太ももに入ってる弾丸の膨らみを見せられていた。自分も面白がって触っていた。

戦争の話になるとよく聞いてたのが
『鉄砲でやっつけたことあると?』
だった。
幼子の恐ろしい質問に
『お爺ちゃんは人殺したことなか。』
と言っていた。本当かどうかは知らない。

湯船に浸かってるときは
『みんないっぱい死んどうけんね~』
とよく分からない鼻歌歌いながら言ってた。
今思えば多分、軍歌っぽかった。

当時よく爺さんに連れられて遊びに行ってた時の事。
あれは博多駅のバス停だった。
風船とビラを通行人に渡している集団がいた。
自分もチビだからハッキリ覚えてないが、戦争反対を訴える集団だったのは覚えている。

『戦争反対うんたらかんたら・・・』
と、声かけて爺さんに小さな風船とビラを渡してたが、爺さんはバス停の椅子に座った後に風船を握りしめてパンッ!と割ってしまった。
故意かどうかは知らない。たまたまだったのかもしれない。
その後にハッキリと覚えているのが
『戦争は悪くないけんね~』
と、爺さんが呟いてた。

トンデモ発言にビックリせず、集団の近くで風船を割ったことにビックリしたのを思い出す。
何故かこの出来事は両親にも話してはいない。

余談ですが、当時の博多駅や都心部には傷痍軍人なのか手足が欠損したボロボロの軍服を着た人が物乞いをしていた。その時でも戦後30年以上経ってたんですが実際に覚えてます。

月日は流れ爺さんは74歳で癌で亡くなった。
自分が中学二年生の時だ。
弔辞を同じ年齢くらいの老紳士が読んでいた。
『山下くんとはビルマの◯◯部隊で・・』
と戦時中の話だった。
同じ釜の飯を食べたとか、辛かった事とか、助け合った事、生き延びれた事とか。
張上げる声で震え泣き読む姿に、いつもは爺さんの悪口しか聞かない婆さんも泣いていた。
老紳士が、かけがえのない思い出として読んだ弔辞は十代の自分にも響いた。

爺さんの火葬後、婆さんと母が太ももに入ってた弾をお焼き後の中から探していたが、溶けたんだろうか見つからなかった。生前確かに入ってた太ももを触らしてもらったから弾があったのは間違いないんやけどな~。

何年か経った法事の時かな~?母に昔話を聞いたことがある。
爺さんは
『俺は青春時代を戦争にとられたけん今遊びよるったい!』
と偉そうに言ってたそうである(´д`|||)
遊び行こう言うて競艇に連れていかれよったもんな~(´Д`)

爺さんが亡くなって30年以上経ち、自分も40後半となった。
今年も盆になり戦争番組を観る。
悲惨さ、残酷さ、事実など興味よく観る。
戦争はいけないこと、絶対に繰り返してはダメなこと。正にそう願う。

しかし、爺さんが
『戦争は悪くないけんね~』
って呟いた言葉は深く感じる。
爺さんは戦争が好きと言うわけでなく、戦争に加担した全ての人が間違ってるという認識に対してムカついたのかなって感じる。

戦友との思い出や戦死した同期とかの生き様を、悪い事と認めたくなかったかも知れない。
これは実際に経験した世代(戦地へ行った人)じゃないとわからないんだろう。
極限の生き死にを味わった事ないので、極限の精神状態を解説や批評なんか出来ない。

自分は戦争賛美などいっさいするつもりはない。むしろ勘弁してほしい。
ただ、爺さんが風船割った際の呟き
『戦争は悪くないけんね~』
と言う言葉をこれからも深く考え続けなければいけないと思う。

擁護するわけじゃないけど、爺さんは気は荒かったけど温和な人でしたからね。(^^)

長文読んでいただきましてありがとうございますm(._.)m
あくまでも私個人の意見となりますので御批判あるかもしれませんが、一意見としてご了承ください。

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ガンプラばかりですが(;´д`)