以下の「」内は昨日の私の個人的な日記兼「備忘録」に記入したことで、
昨年にも似たようなことを書いた記憶がありますが、再び膨らませて書き記してみたいと思います。


「最近、土の上に正月の餅を置いておいたらどこからともなく様々な虫がやってきて分解して餅が土に還った。

自然界に分解してくれる役割がいてくれるおかげで食物連鎖が成り立つ。
だが、餅を分解してくれた虫達は食物連鎖を成り立たせようとしたわけではなく単純に餅を食べたかったからにすぎない。


餅を食べた虫たちは交尾をして卵を生み、又その卵から還る虫に新たな魂が輪廻して宿る。
唯食べたいという欲望を発露するために生まれてくる魂。

欲望にマッチする需要。需要にマッチする欲望。

この世に生まれてくる者は何らかの役割を担わされる。」

生き物がこの肉体を得て煩悩を発露させるためには、それらの親の役割をする者達が性交、又は交尾して養分を胎児、又は卵に送り続け、そして出産、又は排卵して成人するまで育成しなければならない。

そしてその育成環境を取り巻く社会、自然などがそれを許す環境に整わないとならない。
人間社会だったら誰かがインフラの整備をする役を担い、誰かが米などの食料を供給することを担い、誰かががそれを流通させる役を担い、誰かが治安を守る役を担う事をしなければならない。
動物界の場合は何者かが食料となる役を担い、何者かが排泄物を土に還したりの役を担当しなければならない。

煩悩を発露するには単独では不可能。
周囲の環境が必ず関係してくる。

人の煩悩を発露させる時、随分多くの家畜を消費する。
家畜にも煩悩がありますので、彼等の飼育方法や屠殺方法の苦痛を緩和することは人類にプラスに働くと予測できる。

((文章をまとめるのが下手すぎてつらい。))

欲望に合う周囲の需要。周囲の需要に合う煩悩。
周囲環境の需要に合わない煩悩は周囲環境の需要に合うように肉体が変容、或いは最も相応しい環境に身を置くようになるでしょう。

(都合のよい社会にとって都合の良い者も悪い者も、共に都合の良い社会の存続を願っているので、共に都合の悪い者が都合が悪い。都合の良い社会にとって都合が悪い者は自らの願いによって、都合の良い社会から弾かれる。だが都合が悪い者も煩悩があるのでまた輪廻します。もう生まれたくないと願っていても再び生まれる。そして彼等が生まれる為の受け皿となる社会から彼等は誕生してくる。都合のよい社会に住む住人はそれらが自分たちの社会に入ってこないようにしながら上手に付き合っていくしかないかも。)

(関連するかもしれませんが、脳の容量のあまりない猿を使った実験で、利己的な個体、他者を妨害する個体を区別し、避けていることが判明したという。
まだ生後数ヶ月の赤ん坊でも同様の結果であったという。
利己的な個体は都合の良い社会の歯車とならない事を本能で知り、避けている。
避けることで自らの益を守る為だろう。そして避けられてしまった個体の魂は別の社会の中に投げ込まれ、そこで生きていくしかなくなる。)


煩悩がある限り輪廻は止まらない。

そして輪廻転生は当人の希望を100%叶えられない。


© 西田夕夏 2020.6.5.