今回は
「釈迦と浄土真宗」 の続き を書こうと思います。
「釈迦と浄土真宗」の中で私はこの経文は救いようのない凡夫を慰めるために書かれた経文であると結論づけました。
釈迦が示した救いに賛同するサインを出しながら実行しない凡夫達のために書かれたものであると。
凡夫のことを私は「涅槃先延ばし仏教徒」と名付けています。
涅槃しない とは言わない。 何時か涅槃しよう。 とするスタンスを保ち続ける者たちの呼称である。
このブログで度々書いていますが、この浄土真宗では、自力で涅槃しないという姿勢をとっている。
では、どうやって涅槃するのかというと、外部の力で涅槃しようとしている。
その外部の力を「ミクロ」と呼んでいる。
で、いつ涅槃するのかというと、56億7千万年後であるとしています。
釈迦は今すぐ自力で涅槃しようとしていたのに反して、こちらは56億7千万年後に他力で涅槃しようとしている。
56億7千万年後に何が起きるのか。ある有名な物理学者は宇宙の消滅する時期が56億7千万年後だと言ったという説がある。
もしも宇宙の消滅ならば、他力での涅槃は「あり」なのかもしれないと私は予測しています。
ただ、この経文に書かれている描写はそれを打ち砕くものである。
「ミクロ」によって、素晴らしい世界の中での生活が始まるかのような事が書かれている。
それは「涅槃」に反するのである。
この経文には「人の世の中で、邪な考えを抱かずに過ごせば素晴らしい世界の住人となれる」といったことが書かれている。
そして、煩悩については「妬み・怒り・邪な心」といった訳され方をしている。それは間違いではないが、誤解を生む。むしろこの経文の書き手は誤解させようとしているかのようだ。
この経文の書き手は「涅槃」について知らなかったのか、それとも確信犯的にそのような描写を書いたのか。おそらく後者でしょう。(凡夫を慰めるために書いたのだ。)
涅槃しない人々をどのように導くべきか考えた末の経文であろう。
だが、この数字がどこからもたらされたのか?である。親鸞による「神通力」か何かだろうか?偶然現代の天才物理学者が計算してはじき出した答えと一致してしまったのか?
この浄土真宗には釈迦以外の別の媒体(天文学的な計算ができる何者か)が絡んでいると私は見ている。 (それは法隆寺から和風スタイルのレプティリアンの石像が収められていたために働いた私のカンである。その法隆寺から出土したレプティリアンの石像にそっくりな顔をしたものがシュメール遺跡からも出土しているという。)
法隆寺とシュメール遺跡のレプティリアン はやしひろし
©西田夕夏 2019.2.12.
「釈迦と浄土真宗」 の続き を書こうと思います。
「釈迦と浄土真宗」の中で私はこの経文は救いようのない凡夫を慰めるために書かれた経文であると結論づけました。
釈迦が示した救いに賛同するサインを出しながら実行しない凡夫達のために書かれたものであると。
凡夫のことを私は「涅槃先延ばし仏教徒」と名付けています。
涅槃しない とは言わない。 何時か涅槃しよう。 とするスタンスを保ち続ける者たちの呼称である。
このブログで度々書いていますが、この浄土真宗では、自力で涅槃しないという姿勢をとっている。
では、どうやって涅槃するのかというと、外部の力で涅槃しようとしている。
その外部の力を「ミクロ」と呼んでいる。
で、いつ涅槃するのかというと、56億7千万年後であるとしています。
釈迦は今すぐ自力で涅槃しようとしていたのに反して、こちらは56億7千万年後に他力で涅槃しようとしている。
56億7千万年後に何が起きるのか。ある有名な物理学者は宇宙の消滅する時期が56億7千万年後だと言ったという説がある。
もしも宇宙の消滅ならば、他力での涅槃は「あり」なのかもしれないと私は予測しています。
ただ、この経文に書かれている描写はそれを打ち砕くものである。
「ミクロ」によって、素晴らしい世界の中での生活が始まるかのような事が書かれている。
それは「涅槃」に反するのである。
この経文には「人の世の中で、邪な考えを抱かずに過ごせば素晴らしい世界の住人となれる」といったことが書かれている。
そして、煩悩については「妬み・怒り・邪な心」といった訳され方をしている。それは間違いではないが、誤解を生む。むしろこの経文の書き手は誤解させようとしているかのようだ。
この経文の書き手は「涅槃」について知らなかったのか、それとも確信犯的にそのような描写を書いたのか。おそらく後者でしょう。(凡夫を慰めるために書いたのだ。)
涅槃しない人々をどのように導くべきか考えた末の経文であろう。
だが、この数字がどこからもたらされたのか?である。親鸞による「神通力」か何かだろうか?偶然現代の天才物理学者が計算してはじき出した答えと一致してしまったのか?
この浄土真宗には釈迦以外の別の媒体(天文学的な計算ができる何者か)が絡んでいると私は見ている。 (それは法隆寺から和風スタイルのレプティリアンの石像が収められていたために働いた私のカンである。その法隆寺から出土したレプティリアンの石像にそっくりな顔をしたものがシュメール遺跡からも出土しているという。)
法隆寺とシュメール遺跡のレプティリアン はやしひろし
©西田夕夏 2019.2.12.