瀬戸内寂聴 暴飲 暴食 性欲解放 問題

瀬戸内寂聴(せとうちじゃくちょう)さんのその様な行為は実はある条件付きで特に問題ない行為であると仏教ではみなせます。

仏教の目的は涅槃である。その涅槃をする時に邪魔になるのが煩悩である。

涅槃する者には来世がない。

涅槃するものは輪廻転生しません。
涅槃するものはカルマも気にしません。(涅槃する時にチャラになります。)

ところで、冒頭で述べた「条件付き」の部分ですが、それは瀬戸内寂聴さんが有余涅槃者であれば、仏教的に特に問題ないと言えます。

もう修行が済んで、何時でも死ぬ準備ができた人。「人生が今生で終わるのだから好きなだけ食べるといい 」と仏教徒は思うのです。
何時でも死ぬ準備ができた人とは有余涅槃状態(うよねはんじょうたい)に何時でもなれる人のことを指す。この状態以外は生理機能がある普通の人。釈迦が生前托鉢(たくはつ:働かずに人から食べ物を恵んでもらって食べる行為 )をしていた理由はコレ。

そもそも、少なく食べても、少なく飲酒しても、結婚相手とだけ性行為をしても、更に墓参りしても全部煩悩による行為とみなせます。

禁欲が求められたのは、禁欲しないと修行する意欲が湧かなくなるからです。
だけど、意志が強ければ禁欲は必要ないのです。

そのいつでも死ぬ準備ができた人を「有余涅槃者」(うよねはんしゃ)と呼んだり「悟った人」と呼んだりします。

この有余涅槃者か否かを客観的に見極める方法が実は存在する。
それはその有余涅槃者に、脳波測定器を取り付け、有余涅槃状態になってもらうと普通の人ではないことが判明する。( 脳波測定器にどういう反応が見て取れるかはまた今度 )
この状態にいつでも成れる人が有余涅槃者である。
この状態になれる人が仏教的に何時でも死ぬ準備ができた人。と言える。
(死ぬまでの間、常にその状態でいるわけではない。その状態のまましばらくすると即身仏になります。)

だから瀬戸内寂聴さんは今生限りの人生を楽しんでいるのではないか?

だけどもしも有余涅槃者ではない場合は仏教の修行をした人ではなく、作家や人生の先輩として扱うことになるでしょう。

瀬戸内寂聴さんの了解を経て、一度脳波測定器を取り付けて調べてみるといいかも知れません。

※余談になるのですが、仏教の僧侶に人生の悩み事を相談して凡夫が納得する答えが返ってくるだろうか?もしも納得する答えが返ってきたとするならば、それは方便である。
仏教徒に人生の悩みを相談したら、全ての答えに「涅槃すれば即解決します。」と言うと思います。
 

© 西田夕夏  2018.4.12.