この地上を今よりもマシな世界にする方法を考えました。
これは涅槃先延ばし型仏教徒の使命ではないかと私は考えています。

その方法は仏教の持っている知識を使います。
だけどその方法は釈迦が説いた仏教とは違うものです。釈迦は即涅槃を実行することを奨励した人物ですが、この方法はその考えと方向性が違うことをあらかじめ最初に言っておきます。
この知識は仏教の知識というよりか、仏教以前からある知識ですので、「仏教徒も知っている知識を私も共有し活用しました。」と言った方良いですかね。

仏教徒の持っている知識というのは日本でもおなじみの輪廻転生です。
そして、来世は今生の行い、つまりカルマによって左右される。というものである。

輪廻転生をもうしたくないと考えたのが釈迦ですが、ココではよりマシな来世に輪廻転生することをテーマに考え進めています。

その来世とはどう決まるのかが涅槃先延ばし型仏教徒の関心の的なのである。
(偉そうなことを書いていますが、私もその一人です。)

来世の原動力は煩悩という自発的なものと、カルマという外圧的なものとが合わさって決まると考えられている。
先ず1つ目の原動力である煩悩。コレを消すことを釈迦は奨励しました。
だけど涅槃先延ばし型仏教徒はコレを拒否しています。拒否しなければ死にます。
(「有余涅槃し、その後釈迦みたいに生きれば?」と簡単に言う人もあるでしょうが、涅槃先延ばし型仏教徒は釈迦が悪魔と呼んだものに足を引っ張られてどう仕様もない状態なのである。つまり来世を望んでいるのである。 )

そして2つ目の原動力であるカルマ。
外圧的と書きましたが、結局は自らの行いから生じるものである。
自らの行いが自分以外の煩悩を持った存在に対して与えた影響がカルマの正体。
カルマとは別の煩悩を持ったものからの反射である。

このカルマに関しては釈迦は何も関心を示していないようです。
それもそのはずで、涅槃するのにこのカルマは関係のない事柄であるからです。

そのカルマとは何もしなくても只生きてるだけで発生していきます。
生きることは衣食住が伴います。
何もせず生きるということは、誰かの働きを使ったということですので、やはり何かしらのカルマが発生しているのです。
そして、平和な暮らしも無料ではありません。
何もしなければ平和な暮らしはありえません。
何もしないということは、誰かが支払った代償の上でノウノウと暮らしているということです。何もしない人は、知らず知らずのうちに借金を背負っているのだ。
無能だから仕方がないということではないので、この件は慎重に取り扱わなければならない。能力があるのなら借金の返済をしたほうが懸命である。
カルマとは何が正解なのかをその時々で自分で考え判断していかなければならないものである。
正しいと思ってしたことが、実は正しくなかったと後で判断して悔いれば、何とかなるというものではないので、カルマというのは厄介なのです。だけど、涅槃先延ばし型仏教徒はコレと関わっていくしかないのである。

【 本題 】
ではココから本題に入りたいと思います。

輪廻転生する際、来世の決定権にカルマが関与していると考えれば、この地上をより良いものにする可能性が見えてくる。

煩悩は自らの希求ですが、カルマは他所からの希求ということになります。
そこには住みやすい環境を乱す煩悩を持った個体を排除出来る可能性が秘められています。( 他所からの反射が影響するということは、当人の思い通りには行かない事を意味する。なので、他人に迷惑な個体の希求は阻害され安いということである。
その他人に迷惑な個体も、その個体も本当は住みやすい環境で生きたいのですが、その個体自身がそれを阻害しているので、その環境から更に排除され安くなる。その個体が自らを排除したいと自ら願うことにつながるのだ。 )

その住みよい環境を乱す個体も煩悩がある限り必ず肉体に入魂する。
何も対策を取らなければ、その住みよい環境に又顔を出してしまう。
その個体がその住みよい環境を崩す可能性もゼロではありません。
何故なら住みよい環境は魅力なので、それを阻害する個体もそこに生まれでたいと希求し続けるからである。
全くの無策では、いくらカルマの作用が生じていても、住みよい環境にそれを乱す存在が入り込む余地を与えてしまいます。
その対策として、大真面目な話しをします。

この地上以外の別の惑星を探し、そこに適応できる生物を人間の遺伝子から遺伝子操作して開発します。
そして、その生物にこの地上の住みやすい環境を乱す個体を入魂させるように仕向ける。
遺伝子解析をしてこの地上の住みよい環境を乱す個体を見つけ次第その個体が
この地上に顔を出さないように芽を摘む水際対策をし続けたら、自動的に遺伝子操作した生物の住む惑星に、住みよい環境を乱す個体は顔を出すようになると予測しています。
どんな生き物も常に肉体という媒体を得ようとするのである。それが煩悩の力。
そして、カルマの発動がそれを後押しする。(このカルマの部分については又の機会に)

煩悩がある限り、魂は入魂できる媒体を探そうとする。
この地上の住みよい環境を乱す個体の受け皿として別の惑星に住まう遺伝子操作した生物を充てがう策とはつまり、我々と別々の環境に住んで関わりを断つのが目的である。

その遺伝子操作で開発する生物が人間の姿でないと、人間の魂は入魂しないだろうと私は予想しています。
その逆にミジンコの魂は人間の肉体に入魂しないと予想します。
(涅槃する方法を裏返すと単細胞生物も輪廻転生していると考えられます。よってミジンコ、更に植物も輪廻転生していると考えられる。)

(人は人の考えで生きているので、人は人に輪廻転生すると私は予測しています。
もし人類が絶滅したら、人類に近い他所の惑星の生物に入魂するだろう。
それが叶いにくいようだったら、又人類が住める環境が整い、人に似た生き物が誕生し、嫌でも輪廻転生は続いていくのだろう。)

そして、面倒だけどその新たな惑星に衣食住を用意して、できるだけ直ぐに遺伝子操作で作った人間に似た生き物たちが生活できるような環境を整える。
そして、その生き物達が自分で食料を調達できるように農業と牧畜を教える。そうしないとその生き物たちの食料の面倒を我々がしないといけなくなる。何故なら絶滅させてはならないからだ。

我々はその生き物たちが絶滅してしまわないように時々見守らなければならない。
絶滅してしまったら入魂する媒体がなくなり、又この地上に舞い戻ってくる可能性があります。
絶滅してしまった時の事を考慮に入れて、必ず遺伝子サンプルを保管するようにしてもらいたい。

以上のことを行えば、この地上は楽園のような世界になり、涅槃という選択を先延ばしてもそれ程苦ではなく成ると私は考えます。

© 西田夕夏  2018.3.10.