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* no place like home *

~ この世は愛から

$* no place like home *


先々週に買ったものです
いつもの、困ったときのZARA頼み♫ 
6,900yenくらいだったかな

キャメルカラー × ざっくりニット × 五分袖 × ファー × 良心価格

いつも黒ばかり選んでいた私が、
今年はキャメルカラーにばかり目がいってしまいます

でもどうでしょう、似合うかどうかは不明~
(→o←)ゞ


軽やかな五分袖がすきです
それか十二分袖か
普通に 長袖 というのが一番手に負えないような今日このごろ(*v.v)。

ファーがタテのラインなところも♫




インナーに選んだのはこちら↓↓↓
まだ夏日で暑かったので(^▽^;)

$* no place like home *


サスペンダー付きのTシャツ
取り外し可
3,500yenくらいです


きれいめパンツにゆるくサスペンダーをしている素敵な人とすれ違って以来、
この秋はサスペンダーづいている私
実際におしゃれな人と会ったとき、雑誌よりもやっぱり、
リアルコーデは刺激度がちがいます
いつまでもまぶたのうらに残る感じ

でもでも、
うさぎちゃんがかわいすぎて全く似合わない、、、
(プリントものはヤングのものなイメージなので、そもそも苦手)
サスペンダー付きでこの価格で冒険心が湧きましたが‥‥返却
(→o←)ゞ
かわいいものが似合うおんなのこになりたかった~涙






$* no place like home *



先日、郵便受けにマイケル・ジャクソンのポストカードが。
ディズニーランドから友人が書いて送ってくれていたものだった。

その友達は都内在住で、一番よく会う友達で。

家族で出掛けていたなか、マイケル好きな私のことを思い出して
わざわざ時間を割いて書いてくれたと思うと嬉しくて。


今週月曜の朝、身に覚えのない腰痛に襲われて身動きが取れない状態に。。
今日もまだほぼ寝たきり(ノ_・。)

初めての腰痛で不安だったときに届けられた葉書だっただけに、
余計にうれしかったな。


この葉書を見て夫チャン、
俺も、人にやってもらって嬉しかったことは、どんどん人にやっていこう
としみじみ。


誰かと気持ちの受け渡しができたとき、
それは大きな喜びです。


*余談
肉体の要 と書くとはよくできていて、
まさに、腰を痛めると全ての動きが封じられるよう。

朝、目覚ましが鳴ったとき、起き上がることもできず、
靴下を履くのも、着替えも手伝ってもらって。。

あの痛みは陣痛を思い起こさせるもので、
ハンマーで腰骨をがんがん叩かれるかんじ。

徐々に痛みは弱まってきたとはいえ、
おとといからは片足膝下が痺れはじめて、
昨日はむくみが。
むくみというものも初めての経験で、
いつもは骨ばってごつごつした脚の甲が山のようにふくらんだとき、
その象のような脚におそれおののいた。

便利な世の中で、
牛乳やパン、食材に日用品、、
ネットスーパーを使えば、数時間後には届けてくれる。

お医者さんは来てはもらえないので、
歩けるようになったら会いに行かないとなぁ
( ´(ェ)`)

しゃがんだりおじぎをしたり、、
普通の動きがこんなに恋しいとは。。






どこからともなく新しい言葉が生まれ、
社会に浸透していく

目下流行中の なう

その 放たれた なう には違和感がある
初めて目にしたときからずっと

私はツイッターを利用しないけれど、
普通に、多くの場所で目にすることが多くなった

たくさんの人が使っていて受け入れられているから、
私の感覚がおかしいのだと思う



なうと言った瞬間、1秒前は過去になり、それはもうnowではない

なう という題で上げた記事は、
読み手が同時に経験するか、あるいはもう、
その時に隣にいなければ成立しない
その言葉が伝える意味を消失している
意味を失った言葉が、取り残されたようにただそこに在るだけ

読むのには時間差があって、それは翌日かもしれない

なう という言葉を見ると、
読み手不在だな と感じてしまう
瞬時に情報交換しあうツイッターでしか存在しえないのかもしれない

もう、いっさいがっさい、すべての記事が なう でもいいのだ
すべては いつか その時 now に起こったことだから

でも書くという行為で変換されたき、
そのときの時間軸はそこにはもうない


それがただの記号なのだということはわかる
いまこうしてるよ、という記号として便利だということは
でも、

でも、
この違和感
ツイッター以外の場で広がり過ぎたなうの文字

見た瞬間、私の正確な時計の針を無理やり巻き戻される気がする


書き手のなうを私が共有することはほとんど無理だろう

誰かが なう としたレストランでの食事は、
私が読む頃にはすでにもう終わり、
その人は帰宅していることだろう

どこにももう、その なう は存在しない


今 といううつくしい言葉を無力にしているようで淋しい




‥こんなふうに感じるひと、
どこかにいないかな。。。
(ノ◇≦。)